血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
上 下
273 / 1,267
第14話

(14)

しおりを挟む
 千尋の頬を軽く叩いてから、送り出す。見事なもので、甘ったれの子供のようだった雰囲気はその瞬間には払拭され、背筋を伸ばし、きびきびと歩く千尋の姿に、思わず和彦は目を細める。
 しかし、せっかくの颯爽とした姿も長続きはしない。エレベーターホールに消える寸前、こちらに目配せしてきた千尋が、ニッと笑いかけてくる。まるで、悪ガキのような表情だ。
「――凄みのあるイイ男まで、あと一歩……二歩ってところだな、千尋」
 笑いを堪えて和彦は呟くと、待合室に戻る。ここで、テーブルの上に置いたままの、ドーナツの箱に気づく。千尋もがんばって食べてはいたが、ドーナツはまだ半分もなくなってはいない。
 買ってきてくれた千尋には申し訳ないが、護衛の組員たちに持って帰ってもらうしかないようだった。


 今日もひどく冷え込み、厚手のカーディガンを羽織っている和彦は、ブルリと肩を震わせる。エアコンを利かせた書斎から出ると、特にそれを思い知らされる。
 広い部屋に一人で生活しているため、和彦がいる場所以外は、どうしても空気がひんやりしてしまう。だからといって、常にどの部屋も暖めておこうとは思わない。誰かが来る予定もないのに、なんだか空しい行為のように思えるのだ。
 和彦はキッチンカウンターにもたれかかり、湯が沸くのを待ちながら、薄暗いダイニングを眺める。今夜に限って、一人きりの静寂が耳に痛くて、気に障る。
 まだ、精神的に完全に落ち着いたとは言いがたいらしい。こうしていると、一人の世界に溶け込んで、自分がなくなってしまいそうだ。
 いや、そうなりたいと願ってしまうのか――。
 子供の頃の悪い妄想癖がぶり返したようで、もう一度肩を震わせた和彦は、カーディガンの前を掻き合わせる。
 気持ちを切り替えるため、何か楽しいことを考えようと思ったとき、まっさきに蘇ったのは、今日の昼間の、千尋とのやり取りだった。
 砂糖味の甘い口づけの余韻に浸っている間に湯が沸き、ペーパーフィルターを取り出そうとする。そのとき突然、インターホンの音が鳴り響き、飛び上がりそうなほど驚いた。
 連絡なしの夜の訪問者ともなると、必然的に人間は限られる。ただし、〈彼ら〉はインターホンを鳴らす必要もなく、勝手に部屋に上がってくることが可能だ。なんといっても、この部屋の鍵を持っているのだ。
 インターホンに出た和彦は、予想通りの人物が画面に映っているのを見て、眉をひそめる。
「……こんな時間になんの用だ」
 素っ気なく和彦が応対すると、画面を通して鷹津がニヤリと笑いかけてくる。ただし、その笑みにはいつもより、悪辣さと鋭さが足りない。鷹津は首をすくめ、大げさに身震いした。
『寒いんだ。早く中に入れろ』
 何様だと追い返したいところだが、鷹津は和彦の〈番犬〉で、欲しいと言われれば〈餌〉を与えなければならない立場だ。インターホン越しにあしらうこともできるが、寒い中、こんな時間になんのためにやってきたのか、理由が気になる。
 それに、すべての部屋に明かりをつけ、暖める理由もほしかった。
 和彦はエントランスのロックを解除してやり、数分後、部屋の玄関に鷹津を迎え入れた。
「――雪が降ってるぞ」
 開口一番の鷹津の言葉に、和彦は目を丸くする。まさかこの男に限って、天気の話から切り出すとは思っていなかった。
 和彦の反応がおもしろかったのか、鷹津は唇を歪めるようにして笑った。
「その様子だと、知らなかったみたいだな」
「暗くなってからすぐにカーテンを引いたから、気づかなかった」
「けっこうな降りだ。辺りが白くなる程度には、積もっている」
 鷹津を玄関に残し、和彦はさっさとリビングの窓のカーテンを開く。すでに外は暗いため、白く染まっているという景色をはっきりと見ることはできないが、バルコニーにも雪が積もっていた。
「寒いはずだ……」
 和彦は小さく呟き、ガラスに反射して映る鷹津に視線を向ける。図々しい男らしく、当然のように部屋に上がり込んできたのだ。
「……それで、なんの用だ。雪が積もっていると、知らせに来たわけじゃないだろ」
「この何日か、寝込んでいたらしいな。秦が言っていたぞ」
 反射的に振り返った和彦は、鷹津を睨みつけながら、口中では秦に対して毒づいた。
「秦とずいぶん、仲よくなったみたいだな」
「その言い方はやめろ。仕事上、やむをえず、あいつと連絡を取り合っているだけだ。今日も、いままで会っていたんだ。そのとき、お前のことを教えられた。――嫌な男だ。思わせぶりなことを言いながら、肝心なことは何一つ言いやしねーんだ」
「それで秦に煽られて、弱っているぼくを笑いに、のこのことやってきたというのか」

しおりを挟む
感想 79

あなたにおすすめの小説

もう人気者とは付き合っていられません

花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。 モテるのは当然だ。でも――。 『たまには二人だけで過ごしたい』 そう願うのは、贅沢なのだろうか。 いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。 「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。 ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。 生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。 ※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中

泣くなといい聞かせて

mahiro
BL
付き合っている人と今日別れようと思っている。 それがきっとお前のためだと信じて。 ※完結いたしました。 閲覧、ブックマークを本当にありがとうございました。

心からの愛してる

マツユキ
BL
転入生が来た事により一人になってしまった結良。仕事に追われる日々が続く中、ついに体力の限界で倒れてしまう。過労がたたり数日入院している間にリコールされてしまい、あろうことか仕事をしていなかったのは結良だと噂で学園中に広まってしまっていた。 全寮制男子校 嫌われから固定で溺愛目指して頑張ります ※話の内容は全てフィクションになります。現実世界ではありえない設定等ありますのでご了承ください

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

ただ愛されたいと願う

藤雪たすく
BL
自分の居場所を求めながら、劣等感に苛まれているオメガの清末 海里。 やっと側にいたいと思える人を見つけたけれど、その人は……

【完結】別れ……ますよね?

325号室の住人
BL
☆全3話、完結済 僕の恋人は、テレビドラマに数多く出演する俳優を生業としている。 ある朝、テレビから流れてきたニュースに、僕は恋人との別れを決意した。

塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)

ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。 そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。

イケメン彼氏は年上消防士!鍛え上げられた体は、夜の体力まで別物!?

すずなり。
恋愛
私が働く食堂にやってくる消防士さんたち。 翔馬「俺、チャーハン。」 宏斗「俺もー。」 航平「俺、から揚げつけてー。」 優弥「俺はスープ付き。」 みんなガタイがよく、男前。 ひなた「はーいっ。ちょっと待ってくださいねーっ。」 慌ただしい昼時を過ぎると、私の仕事は終わる。 終わった後、私は行かなきゃいけないところがある。 ひなた「すみませーん、子供のお迎えにきましたー。」 保育園に迎えに行かなきゃいけない子、『太陽』。 私は子供と一緒に・・・暮らしてる。 ーーーーーーーーーーーーーーーー 翔馬「おいおい嘘だろ?」 宏斗「子供・・・いたんだ・・。」 航平「いくつん時の子だよ・・・・。」 優弥「マジか・・・。」 消防署で開かれたお祭りに連れて行った太陽。 太陽の存在を知った一人の消防士さんが・・・私に言った。 「俺は太陽がいてもいい。・・・太陽の『パパ』になる。」 「俺はひなたが好きだ。・・・絶対振り向かせるから覚悟しとけよ?」 ※お話に出てくる内容は、全て想像の世界です。現実世界とは何ら関係ありません。 ※感想やコメントは受け付けることができません。 メンタルが薄氷なもので・・・すみません。 言葉も足りませんが読んでいただけたら幸いです。 楽しんでいただけたら嬉しく思います。

処理中です...