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第14話
(13)
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「何もないとは言わないが、深い仲にはならない。秦は、ヤクザに囲まれているぼくにあてがわれた、ちょっと変わった話し相手、といったところだ」
露骨に疑いの眼差しを向けてきた千尋の頬を、抓り上げてやる。すかさず言い訳された。
「素直に信じられないのは、俺が疑り深いというより、先生がモテすぎるせいだからねっ。なんかもう、俺が先に目をつけて口説いたっていうのに、いつの間にか先生に、ワラワラと男が群がって――」
「人を、蟻に集られる角砂糖みたいな言い方するなっ」
和彦がムキになって言い返すと、千尋が安心したように息を吐き出す。ここまで、喜怒哀楽のはっきりした子供のような表情を見せていたのに、一瞬にして、落ち着いた青年の顔となる。鮮やかな変化を目の当たりにして、和彦はドキリとしていた。
「千尋……」
「安心した。その怒鳴り声、いつもの先生だ」
小さく声を洩らした和彦は、照れ臭くなってしまい、どう反応していいかわからなくなる。結局、千尋の髪をくしゃくしゃと撫でていた。
千尋はそれ以上、和彦が塞ぎ込んでいたことについて話題にしようとはしなかった。買いすぎたとぼやきながら、ドーナツを口に押し込み、コーヒーで流し込んでいく。和彦は、一個食べ終えたところで限界だった。
「差し入れをくれたお前の気持ちだけはしっかり受け止めておくから、ドーナツはお前の胃がしっかり受け止めろよ」
「……はい」
情けない顔で返事をする千尋がおかしくて、顔を背けて笑っていると、携帯電話が鳴った。すぐに千尋が電話に出る。横で会話を聞いていたが、どうやらこれからすぐに、組事務所に向かわなければならないようだ。
携帯電話を折り畳んだ千尋が、申し訳なさそうに立ち上がる。
「ごめんね、先生。もっとゆっくりする予定だったんだけど……」
「かまわない。お前がこうして顔を出してくれただけで、嬉しいんだ」
千尋を見送るため、玄関まで一緒に向かう。後ろ髪を引かれるように千尋は何度もちらちらと和彦を見ていたが、ドアを開ける寸前になって、我慢できなくなったように正面に回り込んできた。
「千尋?」
「――……先生、もう大丈夫?」
突然の問いかけに目を丸くした和彦だが、千尋の真剣な顔を目の当たりにすると、冗談で返すことなどできなかった。
軽く息を吐き出して、千尋の頬を優しくてのひらで撫でる。
「ああ、落ち着いた。……意外な人間に、意外な場所で会ったりしたものだから、混乱した。トラウマ、ってやつだな。ヤクザに囲まれて、予想外に大事にされているから、精神が柔になっていたのかもしれない」
「俺としては、もっと先生を大事にしたいけど。クリニックの開業なんて、本当はしてもらいたくないんだ。もっと言うなら、外に出したくない」
「……そうなったら、本格的にヤクザの囲い者らしい生活だな」
「先生のためにも、それはよくないし、組の運営のためにも、先生の力が必要だとわかってるんだ。長嶺組の後継者として、先生を最大限利用する――ぐらいの大口は叩きたい。だけどさ、今回のことで、やっぱり思うんだ。先生を外に出したくないって」
誰にも聞かせられない、とことん甘い千尋の言葉だった。こんなことを言わせてしまうぐらい、千尋に心配をかけたのだと思い、和彦は口中で小さく謝る。面と向かって頭を下げるのは、やはり気恥ずかしいのだ。
千尋は、そんな和彦の気持ちを汲み取ってくれたのか、単に自分の欲求を満たすためか、にんまりと笑って顔を突き出してきた。唇の端に、またドーナツの砂糖をつけている。
「長嶺組の後継者が、なんて甘ったるい顔してるんだ」
「玄関を一歩出たら、ピシッと決めるよ」
本当かと思いながら、和彦はもう一度千尋の頬を撫で、唇の端を舌先でペロリと舐めた。舌先に砂糖の微かな甘さを感じたとき、千尋の片手が後頭部にかかり、ぐっと力が込められる。
あるだけの情熱をぶつけてくるような、激しい口づけだった。噛み付く勢いで唇を吸われ、ねじ込むように侵入してきた舌に口腔をまさぐられる。
千尋の熱さが愛しかった。和彦は、まずは千尋に好きなように自分を貪らせてから、改めて千尋の唇を舐めて、柔らかく吸い上げる。今度は和彦が千尋の口腔に舌を差し込み、たっぷり舐め回す。我慢できなくなったように、千尋が舌を吸ってきた。
互いを味わうような口づけを交わしてから、唇を離す。すかさず千尋にきつく抱き締められた。
「ほら、千尋、早く行け。待ってもらってるんだろ」
「……近いうちに、先生の部屋に泊まりに行くから、風邪なんて引かないでよ」
「それは、お前のほうだ」
露骨に疑いの眼差しを向けてきた千尋の頬を、抓り上げてやる。すかさず言い訳された。
「素直に信じられないのは、俺が疑り深いというより、先生がモテすぎるせいだからねっ。なんかもう、俺が先に目をつけて口説いたっていうのに、いつの間にか先生に、ワラワラと男が群がって――」
「人を、蟻に集られる角砂糖みたいな言い方するなっ」
和彦がムキになって言い返すと、千尋が安心したように息を吐き出す。ここまで、喜怒哀楽のはっきりした子供のような表情を見せていたのに、一瞬にして、落ち着いた青年の顔となる。鮮やかな変化を目の当たりにして、和彦はドキリとしていた。
「千尋……」
「安心した。その怒鳴り声、いつもの先生だ」
小さく声を洩らした和彦は、照れ臭くなってしまい、どう反応していいかわからなくなる。結局、千尋の髪をくしゃくしゃと撫でていた。
千尋はそれ以上、和彦が塞ぎ込んでいたことについて話題にしようとはしなかった。買いすぎたとぼやきながら、ドーナツを口に押し込み、コーヒーで流し込んでいく。和彦は、一個食べ終えたところで限界だった。
「差し入れをくれたお前の気持ちだけはしっかり受け止めておくから、ドーナツはお前の胃がしっかり受け止めろよ」
「……はい」
情けない顔で返事をする千尋がおかしくて、顔を背けて笑っていると、携帯電話が鳴った。すぐに千尋が電話に出る。横で会話を聞いていたが、どうやらこれからすぐに、組事務所に向かわなければならないようだ。
携帯電話を折り畳んだ千尋が、申し訳なさそうに立ち上がる。
「ごめんね、先生。もっとゆっくりする予定だったんだけど……」
「かまわない。お前がこうして顔を出してくれただけで、嬉しいんだ」
千尋を見送るため、玄関まで一緒に向かう。後ろ髪を引かれるように千尋は何度もちらちらと和彦を見ていたが、ドアを開ける寸前になって、我慢できなくなったように正面に回り込んできた。
「千尋?」
「――……先生、もう大丈夫?」
突然の問いかけに目を丸くした和彦だが、千尋の真剣な顔を目の当たりにすると、冗談で返すことなどできなかった。
軽く息を吐き出して、千尋の頬を優しくてのひらで撫でる。
「ああ、落ち着いた。……意外な人間に、意外な場所で会ったりしたものだから、混乱した。トラウマ、ってやつだな。ヤクザに囲まれて、予想外に大事にされているから、精神が柔になっていたのかもしれない」
「俺としては、もっと先生を大事にしたいけど。クリニックの開業なんて、本当はしてもらいたくないんだ。もっと言うなら、外に出したくない」
「……そうなったら、本格的にヤクザの囲い者らしい生活だな」
「先生のためにも、それはよくないし、組の運営のためにも、先生の力が必要だとわかってるんだ。長嶺組の後継者として、先生を最大限利用する――ぐらいの大口は叩きたい。だけどさ、今回のことで、やっぱり思うんだ。先生を外に出したくないって」
誰にも聞かせられない、とことん甘い千尋の言葉だった。こんなことを言わせてしまうぐらい、千尋に心配をかけたのだと思い、和彦は口中で小さく謝る。面と向かって頭を下げるのは、やはり気恥ずかしいのだ。
千尋は、そんな和彦の気持ちを汲み取ってくれたのか、単に自分の欲求を満たすためか、にんまりと笑って顔を突き出してきた。唇の端に、またドーナツの砂糖をつけている。
「長嶺組の後継者が、なんて甘ったるい顔してるんだ」
「玄関を一歩出たら、ピシッと決めるよ」
本当かと思いながら、和彦はもう一度千尋の頬を撫で、唇の端を舌先でペロリと舐めた。舌先に砂糖の微かな甘さを感じたとき、千尋の片手が後頭部にかかり、ぐっと力が込められる。
あるだけの情熱をぶつけてくるような、激しい口づけだった。噛み付く勢いで唇を吸われ、ねじ込むように侵入してきた舌に口腔をまさぐられる。
千尋の熱さが愛しかった。和彦は、まずは千尋に好きなように自分を貪らせてから、改めて千尋の唇を舐めて、柔らかく吸い上げる。今度は和彦が千尋の口腔に舌を差し込み、たっぷり舐め回す。我慢できなくなったように、千尋が舌を吸ってきた。
互いを味わうような口づけを交わしてから、唇を離す。すかさず千尋にきつく抱き締められた。
「ほら、千尋、早く行け。待ってもらってるんだろ」
「……近いうちに、先生の部屋に泊まりに行くから、風邪なんて引かないでよ」
「それは、お前のほうだ」
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