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第14話
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「だから先生は、官僚にならなかったんですか?」
和彦は唇を歪めて首を横に振る。
「ぼくは、父親と兄と同じ道を目指すことは、許されなかった。……佐伯家の中で、ぼくは異物だ。取り除きたいが取り除けない、厄介な腫瘍のようなものだ」
体に溜まっている毒を吐き出しているような気分だった。苦しくてたまらないが、抱え込んだままでは、きっと息もできなくなる。
「大学に入って一人暮らしを始めてから、実家とはなるべく関わりを持たないようにしてきた。ずっと。このまま、親の葬式まで顔を合わせなくてもいいと思っていたぐらいだ。はっきり言って、佐伯家の人間は嫌いだ。社会で通用する人間として育ててくれたことは感謝しているが、その代償として、ぼくの尊厳はずっと踏みにじられ、傷つけられてきた」
取り憑かれたように、佐伯家への恨み言を話し続けていた和彦だが、秦の柔らかな眼差しに気づいて我に返る。短く息を吐き出すと、ぽつりと洩らした。
「――……三田村と出かけた先で、兄に会った。友人に手を回して、ぼくの行方を探らせていたらしい。弟の行方なんて捜す人じゃないのに」
「怖かったんですね」
「ああ。兄が怖いんじゃない。兄によって、今の生活を失うことを、怖いと思った……。ヤクザに引きずり込まれて、押し付けられた生活なのに、佐伯家での十八年間の生活よりも大事だと……、愛しいと思っている」
口にして改めて、気持ちが揺さぶられる。今のままでいいのかと自問する声がある一方で、失いたくないと願う声がある。そして、そんな願いを持つ自分に、苛立ちもするのだ。
英俊の顔を見たときから、さまざまな声が和彦の中で渦巻いている。早く決断を下してしまわないと、大事なものを取り上げられてしまいそうな切迫感が、和彦を苦しめる。
「先生、そんなにつらそうな顔をしないでください。わたしは、先生の遊び相手です。息抜きをしてほしくて、ここに連れてきたんですから」
和彦の隣に座り直した秦が、肩に腕を回してくる。空になったカップを置いた和彦は、小さく苦笑を浮かべて言った。
「遊び相手といっても、いろんな意味を含んでいそうだな」
「組長からは、先生の息抜きに手を貸してやってくれと言われています」
「だから、ぼくの口を開かせるために、〈秦静馬〉以前の秘密を教えてくれたのか」
秦は口元に笑みを湛えながら、スッと目を細めた。和彦はこのとき秦に対して、ある匂いを嗅ぎ取った。筋者らしい血や硝煙といったわかりやすい匂いではない。
もっといかがわしい〈何か〉だ――。
肩を引き寄せられた和彦は秦に唇を啄ばまれながら、まとわりつくように甘く、官能的な匂いに包まれる。麻薬めいたそれは和彦から、抵抗の意思を根こそぎ奪っていた。
「先生に話したのは、ささやかな秘密です。わたしの本当の秘密は、もっと物騒で罪深いですよ」
どんな秘密かと問いかける前に、秦に囁かれた。
「――さあ、先生、わたしと遊びましょう」
苦い毒を吐き出したあとに、すかさず甘い毒を注ぎ込まれる。何も考えられないまま眩暈に襲われた和彦は、たまらず目を閉じた。
長嶺組の指示により引っ越したという秦の部屋は、人と車の往来が多い通りにある雑居ビルの最上階だった。襲われたことのある男としては、常に人目がある場所のほうが安全だと判断したのだろう。
和彦は、広さだけは十分ある部屋を眺める。部屋の片隅には段ボールが積み上げられ、部屋の中央に、大きなテーブルが鎮座している。そのテーブルで仕事をしているのか、パソコンやプリンタ、FAXといったものが揃っており、ファイルや書類が散乱している。
華やかな水商売で成功している青年実業家の住居としては、色気も彩りも欠けているが、案外、外見から受ける印象とは裏腹に、秦の内面を如実に表しているのかもしれない。
ベッドに横になったまま和彦は、ぼんやりと部屋の様子を観察する。
「――……先生」
秦に呼ばれて正面を見ると、優しく唇を吸われた。
秦の愛撫を受けているうちに、和彦の肌はしっとりと汗ばみ、背にシーツが張り付く。一方の秦は、服を着たままだ。さきほどから抱き締められるたびに、カシミヤセーターの柔らかく滑らかな感触に肌をくすぐられる。
「ぼくに手を出すなと、組長に言われているんじゃないのか」
秦の手に、恥知らずにも身を起こしたものを包み込まれ、和彦は腰を揺らす。優しく上下に扱かれると、快感が背筋を這い上がってくる。
「手を出す、という解釈の仕方ですね」
「……その理屈が、組長に通じればいいが」
「通じますよ。だから組長は、わたしに先生を任せてくれたんです。おそらく、わたしが一番、先生の心を上手く解すことができると思われたんでしょう」
和彦は唇を歪めて首を横に振る。
「ぼくは、父親と兄と同じ道を目指すことは、許されなかった。……佐伯家の中で、ぼくは異物だ。取り除きたいが取り除けない、厄介な腫瘍のようなものだ」
体に溜まっている毒を吐き出しているような気分だった。苦しくてたまらないが、抱え込んだままでは、きっと息もできなくなる。
「大学に入って一人暮らしを始めてから、実家とはなるべく関わりを持たないようにしてきた。ずっと。このまま、親の葬式まで顔を合わせなくてもいいと思っていたぐらいだ。はっきり言って、佐伯家の人間は嫌いだ。社会で通用する人間として育ててくれたことは感謝しているが、その代償として、ぼくの尊厳はずっと踏みにじられ、傷つけられてきた」
取り憑かれたように、佐伯家への恨み言を話し続けていた和彦だが、秦の柔らかな眼差しに気づいて我に返る。短く息を吐き出すと、ぽつりと洩らした。
「――……三田村と出かけた先で、兄に会った。友人に手を回して、ぼくの行方を探らせていたらしい。弟の行方なんて捜す人じゃないのに」
「怖かったんですね」
「ああ。兄が怖いんじゃない。兄によって、今の生活を失うことを、怖いと思った……。ヤクザに引きずり込まれて、押し付けられた生活なのに、佐伯家での十八年間の生活よりも大事だと……、愛しいと思っている」
口にして改めて、気持ちが揺さぶられる。今のままでいいのかと自問する声がある一方で、失いたくないと願う声がある。そして、そんな願いを持つ自分に、苛立ちもするのだ。
英俊の顔を見たときから、さまざまな声が和彦の中で渦巻いている。早く決断を下してしまわないと、大事なものを取り上げられてしまいそうな切迫感が、和彦を苦しめる。
「先生、そんなにつらそうな顔をしないでください。わたしは、先生の遊び相手です。息抜きをしてほしくて、ここに連れてきたんですから」
和彦の隣に座り直した秦が、肩に腕を回してくる。空になったカップを置いた和彦は、小さく苦笑を浮かべて言った。
「遊び相手といっても、いろんな意味を含んでいそうだな」
「組長からは、先生の息抜きに手を貸してやってくれと言われています」
「だから、ぼくの口を開かせるために、〈秦静馬〉以前の秘密を教えてくれたのか」
秦は口元に笑みを湛えながら、スッと目を細めた。和彦はこのとき秦に対して、ある匂いを嗅ぎ取った。筋者らしい血や硝煙といったわかりやすい匂いではない。
もっといかがわしい〈何か〉だ――。
肩を引き寄せられた和彦は秦に唇を啄ばまれながら、まとわりつくように甘く、官能的な匂いに包まれる。麻薬めいたそれは和彦から、抵抗の意思を根こそぎ奪っていた。
「先生に話したのは、ささやかな秘密です。わたしの本当の秘密は、もっと物騒で罪深いですよ」
どんな秘密かと問いかける前に、秦に囁かれた。
「――さあ、先生、わたしと遊びましょう」
苦い毒を吐き出したあとに、すかさず甘い毒を注ぎ込まれる。何も考えられないまま眩暈に襲われた和彦は、たまらず目を閉じた。
長嶺組の指示により引っ越したという秦の部屋は、人と車の往来が多い通りにある雑居ビルの最上階だった。襲われたことのある男としては、常に人目がある場所のほうが安全だと判断したのだろう。
和彦は、広さだけは十分ある部屋を眺める。部屋の片隅には段ボールが積み上げられ、部屋の中央に、大きなテーブルが鎮座している。そのテーブルで仕事をしているのか、パソコンやプリンタ、FAXといったものが揃っており、ファイルや書類が散乱している。
華やかな水商売で成功している青年実業家の住居としては、色気も彩りも欠けているが、案外、外見から受ける印象とは裏腹に、秦の内面を如実に表しているのかもしれない。
ベッドに横になったまま和彦は、ぼんやりと部屋の様子を観察する。
「――……先生」
秦に呼ばれて正面を見ると、優しく唇を吸われた。
秦の愛撫を受けているうちに、和彦の肌はしっとりと汗ばみ、背にシーツが張り付く。一方の秦は、服を着たままだ。さきほどから抱き締められるたびに、カシミヤセーターの柔らかく滑らかな感触に肌をくすぐられる。
「ぼくに手を出すなと、組長に言われているんじゃないのか」
秦の手に、恥知らずにも身を起こしたものを包み込まれ、和彦は腰を揺らす。優しく上下に扱かれると、快感が背筋を這い上がってくる。
「手を出す、という解釈の仕方ですね」
「……その理屈が、組長に通じればいいが」
「通じますよ。だから組長は、わたしに先生を任せてくれたんです。おそらく、わたしが一番、先生の心を上手く解すことができると思われたんでしょう」
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