267 / 1,268
第14話
(8)
しおりを挟む
和彦は、箱の中から小さなサンタクロースのぬいぐるみを取り上げる。可愛らしいが、これも秦が選んだのだろうかと思ったら、つい顔が綻ぶ。
こうして笑える自分が不思議だった。ほんの二時間ほど前まで、和彦は自宅のベッドで丸くなり、負の感情に苛まれていたのだ。そこになぜか、秦が迎えにやってきて、優雅に微笑まれながらも有無をいわせず連れ出された。
力ずくで従わされるのであれば抵抗もできるのだが、秦相手だと勝手が違う。まるで優しい風に運ばれるように、ふわふわとついて歩いていた。
途中、スーパーなどで買い物を済ませて、連れてこられたのが、先日、中嶋と三人で飲んだホストクラブだ。一体何をするのかと思っていると、クリスマスツリーの飾りつけを手伝ってくれと秦に言われた。
面くらい、最初は首を傾げながらオーナメントを手にしていた和彦だが、作業に熱中してしまうと、意外に楽しい。
グラスボールを取り付けていると、コーヒーの香りが鼻先を掠める。ソファに腰掛けた秦に手招きされ、休憩することにした。コーヒーと一緒に出されたのは、ここに来るときに買ったドーナツだ。
食欲はなかったはずだが、いかにも甘そうなドーナツを見て、空腹を自覚する。和彦は砂糖をまぶしたドーナツを取り上げ、一口食べた。
「……甘い」
「胸がいっぱいになるほど気持ちを溜め込んでいるときは、甘いものがいいんですよ。店のお客さまの受け売りですけどね」
向かいに座った秦が、ドーナツ以上に甘い笑みを浮かべる。端麗な美貌を際立たせるその顔を眺めながら和彦は、やっと切り出すことができた。
「ぼくの子守りを、長嶺組から任されたのか?」
「武骨なヤクザだと、下手に扱って先生を壊しかねない――と組長がおっしゃってました。少し困ったような顔をして」
「ウソだ」
「だったら、表情のほうはわたしの見間違いかもしれませんね」
悪びれた様子のない秦を軽く睨みつけた和彦だが、またドーナツをかじる。砂糖が舌の上で溶け、優しい甘さが広がっていく。たったそれだけのことなのに、なんだかほっとして、肩から力が抜けた。
「みなさん、本当に困っていましたよ。先生が突然塞ぎ込んでしまった理由がわからなくて。特に三田村さんは、責任を感じていました。自分が連れ出したせいで、先生が何かよくないものに出会ったんだと言って」
三田村は、英俊の姿を見ていない。もし一目でも見ていれば、和彦の血縁者だとわかったはずだ。それほど和彦と英俊はよく似ている。
「……強面のヤクザ相手より、ヘラヘラしているわたしのほうが、少しは話しやすいだろうということで、今日はこうして先生を外に連れ出しました。あとは、気分転換も兼ねて。少なくともドーナツを食べてもらえたので、わたしの任務の一つは遂行できたようなものです。長嶺組のみなさんに怒られることもないでしょう」
よくこんなに淀みなく話せるものだと、和彦は純粋に感心する。ついでにドーナツも、あっという間に一つを食べ終えた。
数日ぶりに固形物を胃に流し込んだせいか、体の奥からじわじわと活力のようなものが湧き出してくるようだった。それとも秦と話したせいかもしれない。自覚のないところで人恋しさが芽生えていたとしても不思議ではなかった。
秦の柔らかく艶やかな存在感は、疲弊した今の和彦にはちょうどよかった。それに、今食べているドーナツのように甘い。
コーヒーを飲みながら、何から話すべきだろうかと考えた和彦は、まず秦にこう問いかけた。
「――〈秦静馬〉に、親兄弟はいるのか?」
驚いたように秦は目を丸くしたあと、口元に微苦笑を刻んだ。
「そういえば先生は、鷹津さんと仲がいいんですよね。刑事のくせに、口が軽い人だ」
「仲はよくないぞ。……つき合いはあるが」
秦はソファに深くもたれて足を組み、天井を見上げた。
「わたしは一人っ子です。それはもう、大事に育てられましたよ。中国で生まれたのに、将来を思う裕福な両親によって、香港国籍を取らせてもらうほどに」
「中国……」
「いわゆる上流階級というやつです。ですが、父親が権力闘争に敗れ、家族はバラバラに。このあたりの話は、血生臭い話なので割愛させてもらいます。結果として、わたしは親族がいる日本に移り住み、日本人になった。母親はヨーロッパに渡って再婚したそうです。一方の父親は、香港で復権を目指しています。……権力への執念に関しては、化け物ですよ、わたしの父親は」
最後の言葉を呟くとき、秦の口調は冷ややかで、嘲笑のようなものが入り混じっていた。その秦の反応に、和彦は同調していた。
「……化け物というなら、ぼくの父親も同じだ。それに、兄も。さすがに血生臭くはないが、それでもいつも、生臭い話をしていた」
こうして笑える自分が不思議だった。ほんの二時間ほど前まで、和彦は自宅のベッドで丸くなり、負の感情に苛まれていたのだ。そこになぜか、秦が迎えにやってきて、優雅に微笑まれながらも有無をいわせず連れ出された。
力ずくで従わされるのであれば抵抗もできるのだが、秦相手だと勝手が違う。まるで優しい風に運ばれるように、ふわふわとついて歩いていた。
途中、スーパーなどで買い物を済ませて、連れてこられたのが、先日、中嶋と三人で飲んだホストクラブだ。一体何をするのかと思っていると、クリスマスツリーの飾りつけを手伝ってくれと秦に言われた。
面くらい、最初は首を傾げながらオーナメントを手にしていた和彦だが、作業に熱中してしまうと、意外に楽しい。
グラスボールを取り付けていると、コーヒーの香りが鼻先を掠める。ソファに腰掛けた秦に手招きされ、休憩することにした。コーヒーと一緒に出されたのは、ここに来るときに買ったドーナツだ。
食欲はなかったはずだが、いかにも甘そうなドーナツを見て、空腹を自覚する。和彦は砂糖をまぶしたドーナツを取り上げ、一口食べた。
「……甘い」
「胸がいっぱいになるほど気持ちを溜め込んでいるときは、甘いものがいいんですよ。店のお客さまの受け売りですけどね」
向かいに座った秦が、ドーナツ以上に甘い笑みを浮かべる。端麗な美貌を際立たせるその顔を眺めながら和彦は、やっと切り出すことができた。
「ぼくの子守りを、長嶺組から任されたのか?」
「武骨なヤクザだと、下手に扱って先生を壊しかねない――と組長がおっしゃってました。少し困ったような顔をして」
「ウソだ」
「だったら、表情のほうはわたしの見間違いかもしれませんね」
悪びれた様子のない秦を軽く睨みつけた和彦だが、またドーナツをかじる。砂糖が舌の上で溶け、優しい甘さが広がっていく。たったそれだけのことなのに、なんだかほっとして、肩から力が抜けた。
「みなさん、本当に困っていましたよ。先生が突然塞ぎ込んでしまった理由がわからなくて。特に三田村さんは、責任を感じていました。自分が連れ出したせいで、先生が何かよくないものに出会ったんだと言って」
三田村は、英俊の姿を見ていない。もし一目でも見ていれば、和彦の血縁者だとわかったはずだ。それほど和彦と英俊はよく似ている。
「……強面のヤクザ相手より、ヘラヘラしているわたしのほうが、少しは話しやすいだろうということで、今日はこうして先生を外に連れ出しました。あとは、気分転換も兼ねて。少なくともドーナツを食べてもらえたので、わたしの任務の一つは遂行できたようなものです。長嶺組のみなさんに怒られることもないでしょう」
よくこんなに淀みなく話せるものだと、和彦は純粋に感心する。ついでにドーナツも、あっという間に一つを食べ終えた。
数日ぶりに固形物を胃に流し込んだせいか、体の奥からじわじわと活力のようなものが湧き出してくるようだった。それとも秦と話したせいかもしれない。自覚のないところで人恋しさが芽生えていたとしても不思議ではなかった。
秦の柔らかく艶やかな存在感は、疲弊した今の和彦にはちょうどよかった。それに、今食べているドーナツのように甘い。
コーヒーを飲みながら、何から話すべきだろうかと考えた和彦は、まず秦にこう問いかけた。
「――〈秦静馬〉に、親兄弟はいるのか?」
驚いたように秦は目を丸くしたあと、口元に微苦笑を刻んだ。
「そういえば先生は、鷹津さんと仲がいいんですよね。刑事のくせに、口が軽い人だ」
「仲はよくないぞ。……つき合いはあるが」
秦はソファに深くもたれて足を組み、天井を見上げた。
「わたしは一人っ子です。それはもう、大事に育てられましたよ。中国で生まれたのに、将来を思う裕福な両親によって、香港国籍を取らせてもらうほどに」
「中国……」
「いわゆる上流階級というやつです。ですが、父親が権力闘争に敗れ、家族はバラバラに。このあたりの話は、血生臭い話なので割愛させてもらいます。結果として、わたしは親族がいる日本に移り住み、日本人になった。母親はヨーロッパに渡って再婚したそうです。一方の父親は、香港で復権を目指しています。……権力への執念に関しては、化け物ですよ、わたしの父親は」
最後の言葉を呟くとき、秦の口調は冷ややかで、嘲笑のようなものが入り混じっていた。その秦の反応に、和彦は同調していた。
「……化け物というなら、ぼくの父親も同じだ。それに、兄も。さすがに血生臭くはないが、それでもいつも、生臭い話をしていた」
45
お気に入りに追加
1,391
あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。

朝起きたら幼なじみと番になってた。
オクラ粥
BL
寝ぼけてるのかと思った。目が覚めて起き上がると全身が痛い。
隣には昨晩一緒に飲みにいった幼なじみがすやすや寝ていた
思いつきの書き殴り
オメガバースの設定をお借りしてます
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…


ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる