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第13話
(8)
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「お前に行動を予測されるなんて、自分が単純だと言われてるようで、軽くショックだ……」
「ひでーよ、先生。俺こそ、どれだけ先生に単純だと思われてるんだよ」
たまらず声を洩らして笑った和彦は、並んでいるマフラーを指さす。
「お前の予測だと、ぼくのマフラーを一緒に選ぶ、というのも入ってるのか?」
もちろん、と返事をした千尋が、率先してマフラーを取り上げ、和彦の首元に持ってくる。その状態で、側に置かれた鏡を覗き込んだ和彦は、今度こそ本気で驚いて目を見開く。反射的に振り返ると、そこには、さきほど別れたばかりの澤村が立っていた。
和彦以上に驚いた様子の澤村は、咄嗟に言葉が出ないのか、物言いたげな表情で千尋を指さした。和彦は慌ててマフラーを千尋に押し返し、澤村に歩み寄る。
「どうかしたのか、澤村先生。女の子たちを待たせているんじゃないのか」
冗談交じりに言ったつもりだが、動揺して声が上擦ってしまい、ひどく不自然な話し方になってしまう。澤村はようやく我に返ったのか、ぎこちなく頭を動かした。
「……えっ、ああ、そうなんだ、が――」
澤村の視線は、まっすぐ千尋に向けられる。千尋は困ったように頭を掻いたあと、人好きのする感じのいい笑顔を浮かべた。カフェでバイトしていた頃は、千尋はこの表情がトレードマークだったのだ。
「お久しぶりですね、澤村先生」
千尋から屈託なく声をかけられ、澤村はうろたえた素振りを見せながら答えた。
「あっ、えっと……、久しぶり。長嶺くん」
まるで助けを求めるように澤村から目配せされ、和彦も驚いている場合ではなくなる。
明らかに、和彦と千尋が一緒にいるのは不自然なのだ。澤村の同僚であった頃も、和彦たちは関係を隠しており、カフェで顔を合わせるときも、あくまで客と従業員として接していた。その後、和彦は逃げるようにクリニックを辞め、千尋もまた、カフェのバイトを辞めた。
時期は微妙にズレているが、澤村の前から姿を消した二人が、こうして一緒にいて親しげにしていれば、何かしら不審なものは感じるはずだ。
「長嶺くんとは、街で偶然会ったんだ。そのとき彼に、バイトを辞めたあとのことを相談されて、たびたび会っているうちに、まあ……、こんなふうに一緒に出歩くようになった。今日は、時間が合えば、外でお茶でも飲もうってことを話していて……」
「そうなんです。佐伯先生と一緒だといろいろ奢ってくれるから、俺がよく誘うんですよ。就職活動中のフリーターには、ありがたくて」
咄嗟の機転は千尋のほうが上だと、内心で和彦は感心する。和彦はまったく気が回らなかったスーツ姿の理由まで、違和感なく説明してしまった。
千尋にさりげなく腕を小突かれた和彦は、深く追究される前に澤村に問いかけた。
「どうしてここに? 用があるんじゃなかったのか」
この瞬間、澤村の視線が落ち着きなく動く。必死に言い訳を〈探して〉いるのだと、和彦は思った。
「あー、駐車場に行こうとして、家にハンカチを忘れたのを思い出したんだ。それで、ついでだからお前と一緒の店で買おうかと思って、追いかけてきたら――」
千尋がいたというわけだ。
気まずい空気が三人の間に流れ、和彦はどう会話を続けようかと悩む。すると、空気を読んだのか、澤村は片手を上げた。
「じゃあ、俺はこれで。急いで行かないといけないんだ」
言葉通り、澤村はハンカチ一枚を素早く選んで買い求めると、もう一度和彦たちに向けて片手を上げたあと、立ち去ってしまう。
「――澤村先生、絶対おかしいと思ったよね」
隣に立った千尋がぽつりと洩らし、思わず和彦は苦笑いを浮かべる。千尋に押し付けたままのマフラーを受け取ると、鏡を覗き込む。
「おかしいと思っても、またぼくと会ってくれるかどうかは、澤村に任せる。ぼくが厄介事に巻き込まれていると知っていても、連絡をくれるような男だ。そのうえで、ぼくとお前の関係をどう判断しても、文句は言えない」
「でも、ちょっとショック?」
一緒に鏡を覗き込んできた千尋は、不安そうな顔をしていた。自分と一緒にいるところを澤村に見られ、和彦の心が揺れる事態を心配しているのかもしれない。
「……そうだな。澤村がもう連絡をくれなくなったら、少しはショックかもしれない。だけど、それなら仕方ないとも思っている。友人だからというのもあるが、澤村は、今のところぼくにとって、表の世界と繋がる数少ない人間なんだ」
だけど最近の和彦にとって表の世界は、遠くに離れた場所にあり、漠然と眺めるものになってしまった。なんらかの執着を感じているのかどうか、もう自分でも判断がつかない。
「未練がましく堅気の人間と親しくしているのも、もう限界なのかもな」
「先生……」
痛みを感じたように顔をしかめた千尋の頬を、和彦は軽く抓り上げる。
「ほら、千尋。マフラーを選べ」
きゅっと唇を引き結んだ千尋は、大きく頷いたあと、ニッと笑みを浮かべた。
「ひでーよ、先生。俺こそ、どれだけ先生に単純だと思われてるんだよ」
たまらず声を洩らして笑った和彦は、並んでいるマフラーを指さす。
「お前の予測だと、ぼくのマフラーを一緒に選ぶ、というのも入ってるのか?」
もちろん、と返事をした千尋が、率先してマフラーを取り上げ、和彦の首元に持ってくる。その状態で、側に置かれた鏡を覗き込んだ和彦は、今度こそ本気で驚いて目を見開く。反射的に振り返ると、そこには、さきほど別れたばかりの澤村が立っていた。
和彦以上に驚いた様子の澤村は、咄嗟に言葉が出ないのか、物言いたげな表情で千尋を指さした。和彦は慌ててマフラーを千尋に押し返し、澤村に歩み寄る。
「どうかしたのか、澤村先生。女の子たちを待たせているんじゃないのか」
冗談交じりに言ったつもりだが、動揺して声が上擦ってしまい、ひどく不自然な話し方になってしまう。澤村はようやく我に返ったのか、ぎこちなく頭を動かした。
「……えっ、ああ、そうなんだ、が――」
澤村の視線は、まっすぐ千尋に向けられる。千尋は困ったように頭を掻いたあと、人好きのする感じのいい笑顔を浮かべた。カフェでバイトしていた頃は、千尋はこの表情がトレードマークだったのだ。
「お久しぶりですね、澤村先生」
千尋から屈託なく声をかけられ、澤村はうろたえた素振りを見せながら答えた。
「あっ、えっと……、久しぶり。長嶺くん」
まるで助けを求めるように澤村から目配せされ、和彦も驚いている場合ではなくなる。
明らかに、和彦と千尋が一緒にいるのは不自然なのだ。澤村の同僚であった頃も、和彦たちは関係を隠しており、カフェで顔を合わせるときも、あくまで客と従業員として接していた。その後、和彦は逃げるようにクリニックを辞め、千尋もまた、カフェのバイトを辞めた。
時期は微妙にズレているが、澤村の前から姿を消した二人が、こうして一緒にいて親しげにしていれば、何かしら不審なものは感じるはずだ。
「長嶺くんとは、街で偶然会ったんだ。そのとき彼に、バイトを辞めたあとのことを相談されて、たびたび会っているうちに、まあ……、こんなふうに一緒に出歩くようになった。今日は、時間が合えば、外でお茶でも飲もうってことを話していて……」
「そうなんです。佐伯先生と一緒だといろいろ奢ってくれるから、俺がよく誘うんですよ。就職活動中のフリーターには、ありがたくて」
咄嗟の機転は千尋のほうが上だと、内心で和彦は感心する。和彦はまったく気が回らなかったスーツ姿の理由まで、違和感なく説明してしまった。
千尋にさりげなく腕を小突かれた和彦は、深く追究される前に澤村に問いかけた。
「どうしてここに? 用があるんじゃなかったのか」
この瞬間、澤村の視線が落ち着きなく動く。必死に言い訳を〈探して〉いるのだと、和彦は思った。
「あー、駐車場に行こうとして、家にハンカチを忘れたのを思い出したんだ。それで、ついでだからお前と一緒の店で買おうかと思って、追いかけてきたら――」
千尋がいたというわけだ。
気まずい空気が三人の間に流れ、和彦はどう会話を続けようかと悩む。すると、空気を読んだのか、澤村は片手を上げた。
「じゃあ、俺はこれで。急いで行かないといけないんだ」
言葉通り、澤村はハンカチ一枚を素早く選んで買い求めると、もう一度和彦たちに向けて片手を上げたあと、立ち去ってしまう。
「――澤村先生、絶対おかしいと思ったよね」
隣に立った千尋がぽつりと洩らし、思わず和彦は苦笑いを浮かべる。千尋に押し付けたままのマフラーを受け取ると、鏡を覗き込む。
「おかしいと思っても、またぼくと会ってくれるかどうかは、澤村に任せる。ぼくが厄介事に巻き込まれていると知っていても、連絡をくれるような男だ。そのうえで、ぼくとお前の関係をどう判断しても、文句は言えない」
「でも、ちょっとショック?」
一緒に鏡を覗き込んできた千尋は、不安そうな顔をしていた。自分と一緒にいるところを澤村に見られ、和彦の心が揺れる事態を心配しているのかもしれない。
「……そうだな。澤村がもう連絡をくれなくなったら、少しはショックかもしれない。だけど、それなら仕方ないとも思っている。友人だからというのもあるが、澤村は、今のところぼくにとって、表の世界と繋がる数少ない人間なんだ」
だけど最近の和彦にとって表の世界は、遠くに離れた場所にあり、漠然と眺めるものになってしまった。なんらかの執着を感じているのかどうか、もう自分でも判断がつかない。
「未練がましく堅気の人間と親しくしているのも、もう限界なのかもな」
「先生……」
痛みを感じたように顔をしかめた千尋の頬を、和彦は軽く抓り上げる。
「ほら、千尋。マフラーを選べ」
きゅっと唇を引き結んだ千尋は、大きく頷いたあと、ニッと笑みを浮かべた。
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