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第13話
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和彦は、この店で秦に安定剤を飲まされ、体をまさぐられたのだ。挙げ句、内奥にはローターを含まされた。長嶺組組長である賢吾と関わりを持ちたかった秦が、賢吾のオンナである和彦に目をつけたうえでの策略だ。
賭けに近い危険極まりない策略だが、秦は生殺与奪の権を賢吾に握られながらも、こうして艶やかな存在感を放ち、元気にしている。そのうえ、賢吾の許可を得て、和彦の〈遊び相手〉という立場に収まっている。
よくこの店に招待できたものだと、見た目に反した秦の神経の図太さに、和彦は感心すらしてしまう。
「……中嶋くんに肩入れしたくなる……」
聞こえよがしに和彦が呟くと、慣れた手つきで氷を砕きながら、秦が囁くような声で言った。
「わたしなりに、必死に考えたんですよ。中嶋の出世を祝いたい気持ちもあるし、中嶋の思い詰めた顔も見たくないという気持ちもあって」
「だからといって、ぼくを巻き込むな。この間、確かそう言ったはずだ」
グラスに氷を入れた秦が、嫌味なほど清々しい微笑みを浮かべた。
「それは、無理ですね。わたしも中嶋も、先生が好きですから」
グラスとウィスキーのボトルをカウンターに置かれ、和彦はそれらを持って席に戻る。すると中嶋が、肩に腕を回してきた。
「――二人して、内緒話ですか」
いかにも酔っ払いらしい気の抜けた笑みを向けてくる中嶋だが、芝居の可能性が高い。
切れ者のヤクザで、恩人ですら利用できると断言するしたたかさを持つ反面、その恩人が絡むときだけ、妙に〈女〉を感じさせ、健気さすら見せるこの青年を、和彦なりに傷つけたくないと思っている。
周囲にいる男たちからは甘いと笑われるだろうが、中嶋に対して友情めいた感情を抱きつつあるのだ。
「出世祝いに、君に何か贈ったほうがいいだろうかと、相談してみたんだ」
和彦のウソに、中嶋は一瞬真顔となってから、次の瞬間には困ったように眉をひそめた。やはり、酔ったふりをしていたのだ。和彦のウソなど、簡単に見抜かれた。
「……先生は、甘いですね。男に対して」
「この世界で生きていく武器だ――と、最近思わなくもない。千尋みたいに、見た目からして犬っころみたいな奴なら、いくらでも頭を撫でてやれるんだが、それ以外の男たちは、可愛いとは言いがたい。だけど、甘やかしたくなる。ヤクザなんて、この世でもっとも親しくなりたくない人種だっていうのにな。自分で自分の甘さが、嫌になる」
そう言いながらも和彦は、自分の口調が柔らかだという自覚はあった。
グラスをゆっくり揺らしてから、ウィスキーを一口飲む。美味しい、と思わず洩らしていた。中嶋の元には、琥珀色が美しいマンハッタンが置かれ、しっかりとチェリーも添えられている。
秦は、中嶋の満足そうな顔を見て小さく微笑むと、自分の分のカクテルを作るため、カウンターに戻る。
もてなされる側の和彦と中嶋は、ゆったりと美味しいアルコールを楽しんでいるが、もてなす側に回っている秦は、テーブルとカウンターを行き来して、なかなか慌ただしい。
もっとも、秦本人は楽しそうにしているので、かつての仕事柄というより、人にサービスすることが好きな性質なのかもしれない。
しかし、いくらこんなことを推測しても、秦の本性に触れた気がしない。相変わらず謎の男のままだ。
機嫌よく飲んでいるうちに、次第に和彦も緊張を解く。いい思い出があるとは言いがたい店であることや、一緒に飲んでいる面子にクセがあるということを差し引いて、それでも気分はよかった。
護衛を待たせているという心苦しさを感じなくていいのが、その気分に拍車をかけている。
カウンターに入ってオレンジを絞っている秦を、ソファの背もたれに腕を預けて和彦は眺める。
「――ああいう姿を見ていると、秦静馬というのは何者なんだろうかと思えてきません?」
和彦と同じような姿勢となって、中嶋が話しかけてくる。
「何者なのかはともかく、抜け目がないな。物騒なことに巻き込まれたと思ったら、いつの間にか、長嶺組を後ろ盾にしたんだ」
若い頃、警察に目をつけられるようなこともしているらしい秦だが、結局、補導歴も逮捕歴もないのだ。やはり、抜け目がない。
「あまり、何者なのか考えないほうがいいのかもしれない。ぼくは今みたいな生活を送っていて、自分の好奇心に折り合いをつけている。知りたいこと、知りたくないこと、知ったところで、つらくなるだけのこと――」
「俺も、わかってはいるんですけどね。ただ、秦さんと知り合って十年以上になるのに、ほとんど何も知らないっていうのは、けっこうキツイ」
中嶋は、苦々しげに唇を歪めていた。そんな表情を目にして、和彦のほうが胸苦しくなる。
賭けに近い危険極まりない策略だが、秦は生殺与奪の権を賢吾に握られながらも、こうして艶やかな存在感を放ち、元気にしている。そのうえ、賢吾の許可を得て、和彦の〈遊び相手〉という立場に収まっている。
よくこの店に招待できたものだと、見た目に反した秦の神経の図太さに、和彦は感心すらしてしまう。
「……中嶋くんに肩入れしたくなる……」
聞こえよがしに和彦が呟くと、慣れた手つきで氷を砕きながら、秦が囁くような声で言った。
「わたしなりに、必死に考えたんですよ。中嶋の出世を祝いたい気持ちもあるし、中嶋の思い詰めた顔も見たくないという気持ちもあって」
「だからといって、ぼくを巻き込むな。この間、確かそう言ったはずだ」
グラスに氷を入れた秦が、嫌味なほど清々しい微笑みを浮かべた。
「それは、無理ですね。わたしも中嶋も、先生が好きですから」
グラスとウィスキーのボトルをカウンターに置かれ、和彦はそれらを持って席に戻る。すると中嶋が、肩に腕を回してきた。
「――二人して、内緒話ですか」
いかにも酔っ払いらしい気の抜けた笑みを向けてくる中嶋だが、芝居の可能性が高い。
切れ者のヤクザで、恩人ですら利用できると断言するしたたかさを持つ反面、その恩人が絡むときだけ、妙に〈女〉を感じさせ、健気さすら見せるこの青年を、和彦なりに傷つけたくないと思っている。
周囲にいる男たちからは甘いと笑われるだろうが、中嶋に対して友情めいた感情を抱きつつあるのだ。
「出世祝いに、君に何か贈ったほうがいいだろうかと、相談してみたんだ」
和彦のウソに、中嶋は一瞬真顔となってから、次の瞬間には困ったように眉をひそめた。やはり、酔ったふりをしていたのだ。和彦のウソなど、簡単に見抜かれた。
「……先生は、甘いですね。男に対して」
「この世界で生きていく武器だ――と、最近思わなくもない。千尋みたいに、見た目からして犬っころみたいな奴なら、いくらでも頭を撫でてやれるんだが、それ以外の男たちは、可愛いとは言いがたい。だけど、甘やかしたくなる。ヤクザなんて、この世でもっとも親しくなりたくない人種だっていうのにな。自分で自分の甘さが、嫌になる」
そう言いながらも和彦は、自分の口調が柔らかだという自覚はあった。
グラスをゆっくり揺らしてから、ウィスキーを一口飲む。美味しい、と思わず洩らしていた。中嶋の元には、琥珀色が美しいマンハッタンが置かれ、しっかりとチェリーも添えられている。
秦は、中嶋の満足そうな顔を見て小さく微笑むと、自分の分のカクテルを作るため、カウンターに戻る。
もてなされる側の和彦と中嶋は、ゆったりと美味しいアルコールを楽しんでいるが、もてなす側に回っている秦は、テーブルとカウンターを行き来して、なかなか慌ただしい。
もっとも、秦本人は楽しそうにしているので、かつての仕事柄というより、人にサービスすることが好きな性質なのかもしれない。
しかし、いくらこんなことを推測しても、秦の本性に触れた気がしない。相変わらず謎の男のままだ。
機嫌よく飲んでいるうちに、次第に和彦も緊張を解く。いい思い出があるとは言いがたい店であることや、一緒に飲んでいる面子にクセがあるということを差し引いて、それでも気分はよかった。
護衛を待たせているという心苦しさを感じなくていいのが、その気分に拍車をかけている。
カウンターに入ってオレンジを絞っている秦を、ソファの背もたれに腕を預けて和彦は眺める。
「――ああいう姿を見ていると、秦静馬というのは何者なんだろうかと思えてきません?」
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「何者なのかはともかく、抜け目がないな。物騒なことに巻き込まれたと思ったら、いつの間にか、長嶺組を後ろ盾にしたんだ」
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「あまり、何者なのか考えないほうがいいのかもしれない。ぼくは今みたいな生活を送っていて、自分の好奇心に折り合いをつけている。知りたいこと、知りたくないこと、知ったところで、つらくなるだけのこと――」
「俺も、わかってはいるんですけどね。ただ、秦さんと知り合って十年以上になるのに、ほとんど何も知らないっていうのは、けっこうキツイ」
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