血と束縛と

北川とも

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第12話

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 すっかり色づいた胸の突起を指の腹で擦り上げながら、鷹津はもう片方の手で頬に触れてくる。指で唇を割り開かれたので、和彦はその指に噛み付いてやった。
「ぼくは、あんたのものじゃない。あんたが、ぼくの番犬になったんだ」
「ああ、そうだったな……」
 鷹津の肩を押し上げると、あっさりと体の上から退く。手を掴んで引っ張り起こしてもらった和彦は、格好を整えた。そんな和彦を眺めながら鷹津は、今日は不精ひげを剃っているあごを撫でる。
「佐伯、一つ忘れるなよ」
「……なんだ」
 乱れた髪を手櫛で適当に整えながら、和彦はさりげなく立ち上がる。こんな男の隣にいると、いつまた押し倒されるか気が気でない。
「俺は、損得だけでお前の番犬になったわけじゃない。お前を口説くために都合がいいから、この役目を引き受ける気になったんだ」
 この男は突然何を言い出すのかと、和彦は露骨に警戒しながら鷹津を見つめる。サソリの毒のように、物騒な性質を持つ男の言葉だ。何が潜んでいるか、わかったものではない。
 和彦の反応に、煙草を取り出しながら鷹津は唇を歪めた。
「なんだ、俺がこんなことを言うと、おかしいか?」
「当たり前だ。たった今、女の口に銃口を突っ込んだなんて、とんでもないことを言った男が、似合わないことを言うな」
「――お前の口には、別のものを含ませてやる。ヤクザを腰砕けにするほど、上手いんだろうな」
 芝居がかった下卑た笑みを向けられ、カッと体を熱くした和彦は鷹津に歩み寄ると、唇に挟まれた煙草を奪い取った。
「ここは禁煙だっ」
 次の瞬間、素早く鷹津に手首を掴まれた。乱暴に引き寄せられて唇を塞がれそうになったが、和彦は反射的に鷹津の顔を押し退けると、手の届かない距離まで逃れる。鷹津は怒るどころか、妙に楽しげな様子でのっそりと立ち上がった。
「そうも嫌そうに逃げられると、かえって煽られるな」
「あんたと遊んでいる暇はないんだ。さっさと帰れ」
「飼い主なら、番犬の躾はお前の仕事だろ」
「……あんたは、必要なときに役に立てばいい。それ以外では、顔も見たくない」
 待合室の中を逃げ回っていた和彦だが、追いかけっこを楽しむ鷹津にいいように追い立てられ、結局、部屋の隅で逃げ場を失う。
「冷たいことを言いながら、部屋の外に逃げ出さないのは、どうしてだ? 男にケツを追い回されるのが好きだからか」
「ここは、ぼくの職場だ。なんでぼくが外に逃げないといけない。それに、人相の悪い男に追われていたなんて噂が立ったら、ここに居づらい」
「言い訳だな」
 そう言って、鷹津がぐいっと顔を寄せてくる。ドロドロとした感情で澱み、粘つくような目は、今は冷たい光を湛えている。それでも、燻り続ける厄介な熱を感じ取ることはできる。触れたくない熱だが、こうして向き合っていると、嫌でも和彦にまとわりついてくる。
 ふいに鷹津との、長い時間をかけての濃厚な交わりを思い出し、和彦はうろたえる。慌てて顔を背けようとしたが、すかさず鷹津にあごを掴まれた。
「――きちんと俺を躾けろよ、飼い主さん」
 鷹津が顔を寄せてこようとしたとき、和彦の視界にある光景が飛び込んでくる。
 肉食獣が獲物に忍び寄るように、男が待合室に入ってきたのだ。この瞬間から和彦の意識は、目の前の鷹津ではなく、その男へと向けられる。
 和彦が思わず笑みをこぼすと、鷹津は驚いたように動きを止めた。そして、和彦の視線がどこに向けられているのか気づいたらしく、ゆっくりと振り返った。
 二人の視線の先に立っているのは、三田村だった。
 地味な色のスーツをしっくりと着こなし、まるで影のように自分の存在感を消そうとしている男は、ごっそりと感情をどこかに置き忘れたかのような無表情だ。だが両目には、いつもはない強い意思が存在していた。自分の感情を押し殺そうとする意思だ。
 ふいに、鷹津の持つ空気が変わった。殺伐として剣呑。関わりたくない人種だと、一瞬にして思わせる〈何か〉をまとったのだ。
 キレた人間特有の鋭利さ――という表現が近いかもしれない。
 和彦は、自分と鷹津の間に、冷たく太い鎖の存在を感じていた。見えない鎖だが、手首にしっかりと食い込んでいるようだ。その鎖の先にいるのは、いつでも抜け出せる形だけの首輪をした狂犬だ。
 その狂犬が口を開いた。
「――三田村将成まさなりだな。長嶺組の若頭補佐の一人で、長嶺組傘下・城東会の幹部。実質は、長嶺の側近だ。そして、ここにいる佐伯和彦のオトコ」
「俺もあんたを知っている。ヤクザとズブズブの仲になって、警察をクビになりかけた男だ。今は、刑事の肩書きを持った、長嶺組長の飼い犬だ」

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