血と束縛と

北川とも

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第12話

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 取り寄せた医学書をラックに並べた和彦は、一歩引いてから、デスクとのバランスを確認する。医者として、使い慣れた医学書を手元に置いておきたいというのもあるが、堅苦しくない程度に知的な空間を演出するための、ちょっとした小道具だ。
 無機質な診察道具は、なるべく患者の目に入るところに置かないよう気をつけ、緊張感を与えないために、壁もロールカーテンも柔らかな色彩で統一している。
 診察室は、カウンセリング室でもあるのだ。かつて和彦が勤めていたクリニックは、設備は整っていたが、その点の配慮が少し欠けていた。だからこそ、このクリニックでは、できる限りの配慮をしたかった。
 設置のために特別な許可を必要とするレントゲン以外の医療機器は、無事に運び込まれており、もうここは、どこから見ても立派なクリニックとなった。
 念のため、早くから保健所に相談をしていたこともあり、開業届をいつ提出するかも見通しが立っている。それを受けて、看板のほうもすでに発注済だ。派手な広告は必要ないクリニックなので、あとは必要に応じて名刺とパンフレットを印刷すればいいが、これは慌てなくていい。
 ここまで準備ができてしまうと、あとはインテリアの細かな部分に目を配るだけなので、難しい書類と首っ引きにならなくていい分、和彦は気楽だ。
 こうして、クリニックで一人で過ごす時間は、楽しくもある。たとえ、自分の名を堂々と表に出せないとしても、他人から与えられたものだとしても、ここは和彦のクリニックなのだ。
 イスに腰掛けた和彦は、改めて診察室を見回す。
 自分の力で手に入れたわけではなく、それどころかヤクザの組長の打算の賜物である場所だが、和彦はこの場所が好きだった。こうして一人で過ごしながら、悦に入るのは簡単だ。
 コーヒーでも入れてこようかと思っていると、クリニックのインターホンが鳴った。設備が整ったのを機に、防犯対策として警備会社と契約をしたのだが、それに伴いインターホンのシステムも一新した。
 本当は監視カメラを勧められたが、夜間に組の人間が出入りするとき、かえって映像が残っては困る。そこで、テレビモニター付きのインターホンを選んだのだ。
 診察室を出た和彦は足早に玄関に向かい、インターホンに出る。
「はい――」
 モニターに映った人物の姿を見て、和彦はどんな顔をすればいいのかわからなかった。
「……どちらさまですか」
 思いきり皮肉を込めた声で問いかけると、モニターに映った人物はニヤリと笑った。
『お届けものです』
「へえ。警察から、運送業に転職したのか」
 和彦の言葉に、運送業者――ではなく、〈まだ〉現役刑事であるはずの鷹津は肩をすくめた。
『いいから、早く開けろ。ここは寒いんだ』
 仕方なく和彦は玄関の鍵を開けてやる。すかさず外からドアが開けられ、まるで獣のような荒々しい空気を振り撒きながら鷹津が入り込んできた。鷹津とともに入り込んできた冷たい風に首をすくめ、小さく身震いする。ここ数日、急に寒さが増してきた。
 和彦は軽く眉をひそめながら、鷹津を頭の先から爪先まで眺める。
 今日はくたびれたスーツを着た男は、相変わらずオールバックの髪型をしてはいるものの、不精ひげは剃っている。見た限り、どこか怪我をしている様子はない。鷹津に一切手を出していないという賢吾の言葉は、どうやら本当だったようだ。
 和彦が向ける眼差しをどう解釈したのか、ニヤニヤと笑いながら鷹津は言った。
「元気そうな俺を見て、感動して抱きついてもいいんだぞ?」
「……バカか、あんた」
 素っ気なく言い捨てて、和彦は待合室へと移動する。何も言わなくても、鷹津もあとに続いた。
「そう冷たくするな。これでも忙しい中、お前が心配していると思って、わざわざ顔を出してやったんだぞ」
「電話一本で済んだんじゃないか」
「俺とお前の仲で、それはないんじゃねーか」
 振り返った和彦は、鷹津を睨みつける。
「ぼくに、馴れ馴れしくするな」
「だが、嫌でも俺とつき合わざるをえない。そういうことで、長嶺と話はついてるんだろ。お前は、俺を飼うしかない、ってな」
 蛇蝎同士、一体どんなことを話し合ったのだろうかと思いながら、ふいっと顔を背けた和彦は、待合室のソファに腰掛ける。当然のように鷹津も隣に腰掛けた。それどころか、和彦の肩に腕を回してくる。
 やはりこの男は嫌いだと、改めて和彦は痛感していた。触れられただけで、鳥肌が立ちそうだ。
 鷹津の指に髪先を弄ばれたところで、ぴしゃりと手を払い除けて本題に入る。
「――あんた、全部承知していたんだろ」
「何がだ」
「ぼくと寝たら、遅かれ早かれ、長嶺組の人間が踏み込んでくると」

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