血と束縛と

北川とも

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第12話

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 ああ、と声を洩らして中嶋は苦笑する。怪我をした秦の治療を、和彦に頼んだことを思い出したらしい。
「今になって考えるんですよ。あのときの俺の選択は正しかったのかどうか、と。結果として、秦さんは無事だったし、先生との距離も近くなりましたが……その分、しっかり代償を払ったような気もします」
「君と秦さんとの距離間が、わからなくなってきたか」
 中嶋は驚いたように和彦を見て、皮肉っぽく唇の端を持ち上げた。
参ったな……。先生と秦さんが、普段どんなことを話しているのか、すごく気になりますよ。その様子だと、俺のことも聞いているんでしょう?」
「彼の秘密を知りたくなったんだろ」
「秦さんが、長嶺組長とも関わりを持ち始めたみたいなので、今のうちに、あの人の秘密を握れるだけ握っておこうと思いまして――と言っても、先生なら信じないでしょう」
「半分だけ、信じてもいい」
 和彦と中嶋は、テーブルを挟んでじっと互いの目を見つめ合う。そうやって、互いの腹を探り合っていたのだが、食事前の〈遊び〉としては、少々胃にもたれそうだ。
 先に降参したのは、和彦だった。
「――……ぼくは、何も聞かされてない。信じるも信じないも勝手だが、ぼくにとって、彼のことを知る利点はないしな。唯一知っているのは、長嶺組が彼の後ろ盾になったということだ」
「それは、いいことを聞きましたね」
「ウソだ。ぼくを試したんだろう。とっくに、秦さんから聞かされているんじゃないのか」
 中嶋は楽しげに顔を綻ばせるだけで、肯定も否定もしなかった。それが、中嶋なりの返事なのだろう。
 ここで会話は秦のことから飛んで、中嶋が総和会という組織について教えてくれる。内密に、と念押しされるような類のものではなく、ヤクザの世界で半ば常識となっているような情報だ。ただそれでも、長嶺父子や三田村からも聞かされたことのない内容で、和彦としては非常に興味深いし、おもしろいと感じる。
「総和会は、眠らない組織なんですよ。常に、人が蠢いている。むしろ、夜のほうが活気があるんです。ただ、総和会と名のつく唯一のオフィスは、勤務時間は普通の企業と同じなんです。朝、出勤して、夕方になると退勤する」
「どうしてだ」
「出入りするのが、普通の企業ばかりだからですよ。十一の組から成り立っている組織ですから、人も物もよく流れる。どうしたって、一般企業との取引も必要になるんです。そうやって表の世界とつき合いながら、総和会として、最低限の社会的順応を見せている、というアピールしているわけです。もちろん、総和会とは無関係の看板を表に出して、総和会に関わる業務を行っている本来のオフィスがあります。そこは、広いですよ。ビジネス街にある大きなビルに入っているんです」
「でもそこも、実はカムフラージュ、ということじゃないのか」
 察しがいいと、声に出さずに唇だけを動かした中嶋が、拍手するマネをする。
 物騒な会話が弾んだところで、料理が運ばれてくる。二人分のディナーのコースともなると、テーブルの上は豪華な料理で埋め尽くされるようだ。
 ふかひれのスープを一口飲んで、その味に満足して吐息を洩らす。エビのチリソース煮も程よい辛さで、食欲を刺激される。
「この、牛肉も美味しいですよ。オイスターソースの味がいい」
 中嶋に勧められるまま牛肉も口に運び、じっくり味わった和彦は大きく頷いた。
 上品に盛り付けられた、色鮮やかな野菜を使った五目焼きそばを見たときは、若頭補佐に作ってもらった焼きそばを思い出してしまい、思わず笑みをこぼす。慌てて顔を背けた和彦は、軽く咳をするふりをして誤魔化した。


 料理が美味しかったこともあり、すっかり食べ過ぎた和彦だが、デザートを前にしても手と口を止めることはできなかった。
 杏仁豆腐のさっぱりとした甘さと滑らかな舌ざわりを、中嶋とともに褒め合ったところで、この食事のメインへと入る。
「――で、話というのは?」
 さりげなく和彦が切り出すと、フルーツを食べた中嶋が片方の眉を動かしてから、ナプキンで口元を拭った。
「実は、先生の送迎をするのは、今日で最後になります」
「……突然だな」
 中嶋はちらりと笑みを浮かべる。
「少しは、寂しいと思ってくれますか?」
「君とは、ジムでけっこう顔を合わせているしな。どうだろう……」
「そうですね。俺と先生は、健全なジム仲間ですから」
 これは中嶋なりの冗談なのだろうかと、和彦は首を傾げる。ここで中嶋は表情を一変させ、真剣な顔となる。ビジネスライクなヤクザの顔ともいえる。
「端的に言うなら、出世したんです。いままでの俺は、組預かりということで、何をするにも、総和会の前にいた組の名がついて回っていたんですが、来週からは、総和会の遊撃隊の所属になります」
「遊撃隊?」
「必要とされれば、なんでもやりますよ。物騒なことでも。しかし、俺に期待されているのは、情報収集でしょう。だからこそ、いままでより制約を受けずに活動ができます。先生とも、いままで以上に遊べますよ」
「……遊び相手なら間に合っている」
 和彦は小声で呟いたが、中嶋には聞こえなかったようだ。もしかして、秦が和彦の〈遊び相手〉になったと知っているのではないかと疑いもしたが、秦に関することで、中嶋がドライな反応を示すとも思えない。
 中嶋は、秦が関わることに関してだけ、ねっとりと絡みつくような〈女〉を感じさせるのだ。
「冗談抜きで、先生とは今以上にいい関係を築きたいんですよ。俺には、ホスト時代に築いたコネがせいぜいで、特別な大物と顔が利くわけでもないので」
「出世した君にとって、ぼくの必要性が増したということか」
 悪びれた様子もなく中嶋は頷く。下手に誤魔化しを口にされるより、よほど気持ちいい態度だ。
「なんといっても先生は、特別だ。総和会に目をかけられている医者という立場もありますし、あの長嶺組……長嶺組長が大事にしている存在でもある。それに――」
 中嶋が呑み込んだ言葉が、和彦には容易に想像がついた。きっと、秦のことを口にしようとしたのだ。
 和彦が先を促さないでいると、我に返った中嶋は、恥じ入るように視線を伏せたあと、すぐにまたこちらを見据えてきた。
「総和会の中で先生に興味を持っているのは、俺だけじゃありません。だから今のうちに、先生の友人としての立場を確保しておきたいんです。それにこれは、先生のためでもあります。総和会の中に独自のパイプを持っておくのは、先生の立場なら損にはなりませんよ」
「――君にとっても」
 中嶋は、スッと筋者らしい笑みを唇に刻む。この笑みには、さすがの和彦も背筋に冷たいものを感じた。
 息を呑んだあと、取り繕うように杏仁豆腐を一口食べてから、ぼそぼそと答えた。
「君がぼくに、どれだけのものを望んでいるのか知らないが、ジムで会ったらにこやかに会話を交わして、たまにこうして、美味しいものを一緒に食べるぐらいでいいというなら、友人になろう」
「決まり、ですね」
 中嶋が片手を差し出してきたので、和彦は数瞬戸惑いはしたものの、スプーンを置いて中嶋の手を握った。

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