血と束縛と

北川とも

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第12話

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「弄らないと、骨を元に戻せない。鼻が曲がったままなのは、嫌だろ? それだけじゃなく、鼻の通りも悪くなる恐れがある」
 説明しながら、消毒を終えた器具をトレーに並べていく。それをまた青年は、忌まわしいものがあるかのように、ちらちらと見ている。どんなふうにこれらの器具が使われるか想像しているのか、今にも失神しそうな様子だ。
 難波には、きちんと治療してやってほしいと頼まれはしたが、子供扱いしてほしいとまでは言われていない。和彦は隙を見て、局所麻酔の注射を済ませる。
 鼻に詰め物をしているため、鼻声となっている青年の抗議をたっぷりと聞いてから、組員たちに頼んで、しっかりと青年を押さえてもらう。
 和彦が鉗子を手に取ると、それだけで悲痛な声が上がったが、わずかな間を置いてから、今度は絶叫が上がった。


「――派手でしたね」
 楽しげな様子を隠そうともせず、ハンドルを握った中嶋がそう話しかけてくる。青年の悲鳴を間近で聞き続けたせいで、耳の調子が少し怪しくなっている和彦は、首を傾げて尋ねた。
「何か言ったか?」
「悲鳴ですよ。難波組長の息子さんの。別の部屋にいても、よく聞こえました」
「ああ。……麻酔を打っても、鉗子で骨を挟んで元に戻すときは痛いだろうな。ぼくなら、絶対こんな治療は受けたくない。鼻の骨折は、骨折した瞬間より、治療のときのほうがつらい。今夜は傷が痛むはずだ。渡した鎮痛剤が効けばいいが」
「……聞いているだけで、痛くなってきますね」
 そう言って中嶋が肩をすくめる。そんなことを言いながら、ヤクザである中嶋が暴力沙汰と無縁でここまでのし上がってきたとは考えにくい。目の前で殴り合いが起ころうが、誰かが出血しようが、眉一つ動かさないように思える。
 ただ、秦が怪我をしてボロボロになっていたときは、悲愴な様子だった。
 あのときのやり取りを思い出していた和彦だが、バックミラー越しに中嶋と目が合い、ドキリとする。一瞬、自分の心の中を見透かされた気がした。
 総和会から回ってきた仕事なので、長嶺組の組員との待ち合わせ場所まで送り届けてくれるのは、いつものように中嶋だ。
 あえて考えないようにしているが、意識すればするほど、中嶋とキスしたときの光景が蘇る。だからといって、露骨に中嶋を警戒しているわけではない。むしろ和彦が警戒しているのは、自分と秦とのセクシャルな出来事はもちろん、賢吾によって秦が、〈遊び相手〉となったという事実を知られることだ。
 中嶋自身は有能で頭が切れ、損得を考えられる男だが、そこに秦が絡むと様子が変わる。和彦は、できることなら中嶋を傷つけたくなかった。中嶋からされたキスによって、この青年が抱え持つ柔らかな部分を知った気がするからだ。
 こう思うこと自体、傲慢なのかもしれないが――。
 ふっと息を吐き出して和彦が前髪を掻き上げると、信号待ちで車を停めた中嶋が、急に振り返った。
「――先生、よければ夕飯につき合ってくれませんか?」
 思いがけない申し出に、和彦は目を丸くする。
「これから……?」
「これから。実は先生にお話したいことがあって、総和会には許可を取ってあります。あとは、先生が長嶺組に話を通してくれれば……ありがたいです」
 平均を上回るハンサムではあるものの、どこにでもいそうな青年の顔で中嶋は笑う。身構えながら和彦は、慎重に尋ねた。
「ぼくを不愉快にしない話なら、聞いてもいい」
 中嶋は前に向き直り、ハンドルを握りながら応じる。
「先生には直接関係ない話ですが、悪い話ではないです。少なくとも俺にとっては、いい話です」
「……そう言われると、気になるじゃないか」
 これで話は決まりだ。和彦はすぐに自分の携帯電話を出すと、和彦の護衛兼運転手を務めている組員に連絡を取り、中嶋と食事をするため、待ち合わせ場所に着くのが遅れることを告げる。
 総和会の中嶋が同行するということで止められはしなかったが、結局、食事する店まで、組員が迎えに来ることになった。これについては、特に不満はない。食事後の中嶋も、和彦を送り届ける手間が省けていいだろう。
 中嶋が連れて行ってくれたのは、有名ホテル内にある中国料理店だった。席に案内される前に、組員に居場所をメールで知らせておく。これで、豪華な夕食をゆっくりと楽しめる。
「――自分の都合だけで、こうして先生を連れ回していると、なんだか緊張しますね。もし先生に何かあったら、大変だ」
 ディナーを注文してから、テーブルの上で指を組みながら中嶋がそんなことを言う。和彦は少しだけ意地の悪い返しをした。
「でも、自分の都合だけでぼくを連れ回すのは、これが初めてじゃないだろ」

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