血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
上 下
218 / 1,267
第12話

(1)

しおりを挟む



 鷹津が住んでいるのは、見るからに古いマンションだった。周辺にいくらでも小ぎれいなマンションやアパートがあるためか、あまり人気のない物件なのだろう。歯が抜けたように、いくつかの部屋は空いている。
 鷹津の素行に問題はあるだろうが、刑事といえば公務員だ。もう少しマシなところに住めるだけの稼ぎも、信用もあるはずなのに、どうしてこんなところに住んでいるのかと、薄暗い通路を歩きながら、和彦はささやかな疑問を感じる。
 その疑問は、両隣が空き室となっている鷹津の部屋に足を踏み入れて、氷解した。
 古いせいか、部屋のそこかしこが傷んでいるようだった。それに、どことなく殺伐とした空気が漂っている。散らかってはいるのだが、生活臭というものが乏しい。
 ダイニングに接した二部屋のドアが空いているので、生活空間がほぼすべてが見渡せるが、おそらく鷹津は、ここに愛着や執着といった感情を持っていないのだろう。まさに、寝るためだけに必要とされている空間だ。
 新聞も何日分か畳んだままテーブルの上に放置してあり、郵便物の封すら切っていない。ここで和彦は、郵便物の表に印字された文字に目を留める。このとき初めて、鷹津の名が〈秀〉であると知った。
 視線だけを動かして観察している和彦に気づいたのか、ジャケットを脱ぎ捨てながら鷹津が言った。
「ムサい男の一人暮らしなんて、こんなもんだぜ。広くてきれいな部屋に住んで、買い物から掃除まで、すべて組員にやってもらうような生活を送る奴なんて、そうそういない」
 こんなときでも皮肉を忘れない鷹津を、和彦は睨みつける。しかし鷹津は鼻先で笑い、和彦の着ているコートの襟元を掴んだ。乱暴に引き寄せられ、眼前に鷹津の顔が迫る。
 ドロドロとした感情の澱が透けて見える目は、相変わらずだ。だが今は、その感情はすべて狂おしい欲情に支配されているようだ。鷹津は、和彦に欲情していることを、隠そうともしていなかった。
 それを感じ取った途端、嫌悪感から鳥肌が立った。
 顔を強張らせる和彦に対して、鷹津はニヤリと笑いかけてくる。
「そんな顔するなよ。お前は覚悟して、あそこに立っていたんだろ。番犬を伴わずに。……俺を番犬にしたいんじゃないのか?」
「……そのつもりだったが、やっぱり、あんたは嫌いだ」
「俺だって、ヤクザのオンナになってぬくぬくと生きている男は嫌いだ。だが――たまらなく抱きたいんだ。お前を」
 和彦が目を見開いた次の瞬間、鷹津の大きな手が後頭部にかかり、ぶつけるような勢いで唇を塞がれた。
「んんっ」
 和彦は必死で顔を背けようとしたが、鷹津に後ろ髪を鷲掴まれ、唇に噛みつかれる。そのまま、もつれるようにして隣の部屋に引きずり込まれ、突き飛ばされた。
 簡素な作りのベッドに倒れ込んだ拍子に、鉄製のパイプと床が擦れ、不快な音を立てる。確実に階下に響いただろうが、鷹津は気にかける様子はない。その理由を、ネクタイを解きながら鷹津本人が口にした。
「こんな汚いマンションだから、新しい住人が入らないんだ。下の階なんて、角部屋に一世帯入っているだけだ。つまり、近所迷惑なんて気にしなくていいというわけだ」
 ワイシャツを脱ぎ捨てた鷹津が、和彦の上に馬乗りになってくる。薄笑いを浮かべた鷹津を睨みつけはしたものの、コートを脱がされ始めると、たまらず和彦は顔を背け、体を強張らせる。
 長袖のTシャツをゆっくりと捲り上げられ、剥き出しとなった脇腹を撫でられてから、パンツと下着を手荒に引き下ろされて、脱がされた。粗雑な男らしくない手つきで靴下まで脱がされてしまうと、Tシャツ一枚という自分の姿が、ひどく心細くなる。和彦はぐっと奥歯を噛み締めていた。
 スラックスのベルトを外す金属音が聞こえ、衣擦れの音に続いて、床に何かが落ちる重々しい音がした。
 ふいに鷹津にのしかかられ、重みに息が詰まる。続いて、首筋に熱く濡れた感触が這わされた。
「うっ……」
 鷹津の舌だとすぐにわかった。首筋に、獣のような息遣いがかかるからだ。不快さと嫌悪感から、必死に唇を引き結ぶが、鷹津は和彦のそんな反応を楽しんでいた。
「気持ち悪くてたまらない、って顔だな」
 和彦の顔を覗き込んできて、鷹津が嬉しそうに囁いてくる。嫌悪感を隠そうとしない和彦の反応が、かえって鷹津を興奮させているのだ。
「……あんたに触られると、吐き気がするんだっ……」
「ああ、たっぷり嫌がってくれ。吐いてもいいぞ。そんなお前が、悔しそうに感じる様を見ているのが、俺は楽しくてたまらないんだ。媚びる女を抱いてイかせるより、嫌がる〈オンナ〉をいたぶって射精させたいんだ」

しおりを挟む
感想 79

あなたにおすすめの小説

もう人気者とは付き合っていられません

花果唯
BL
僕の恋人は頭も良くて、顔も良くておまけに優しい。 モテるのは当然だ。でも――。 『たまには二人だけで過ごしたい』 そう願うのは、贅沢なのだろうか。 いや、そんな人を好きになった僕の方が間違っていたのだ。 「好きなのは君だ」なんて言葉に縋って耐えてきたけど、それが間違いだったってことに、ようやく気がついた。さようなら。 ちょうど生徒会の補佐をしないかと誘われたし、そっちの方に専念します。 生徒会長が格好いいから見ていて癒やされるし、一石二鳥です。 ※ライトBL学園モノ ※2024再公開・改稿中

泣くなといい聞かせて

mahiro
BL
付き合っている人と今日別れようと思っている。 それがきっとお前のためだと信じて。 ※完結いたしました。 閲覧、ブックマークを本当にありがとうございました。

病気になって芸能界から消えたアイドル。退院し、復学先の高校には昔の仕事仲間が居たけれど、彼女は俺だと気付かない

月島日向
ライト文芸
俺、日生遼、本名、竹中祐は2年前に病に倒れた。 人気絶頂だった『Cherry’s』のリーダーをやめた。 2年間の闘病生活に一区切りし、久しぶりに高校に通うことになった。けど、誰も俺の事を元アイドルだとは思わない。薬で細くなった手足。そんな細身の体にアンバランスなムーンフェイス(薬の副作用で顔だけが大きくなる事) 。 誰も俺に気付いてはくれない。そう。 2年間、連絡をくれ続け、俺が無視してきた彼女さえも。 もう、全部どうでもよく感じた。

心からの愛してる

マツユキ
BL
転入生が来た事により一人になってしまった結良。仕事に追われる日々が続く中、ついに体力の限界で倒れてしまう。過労がたたり数日入院している間にリコールされてしまい、あろうことか仕事をしていなかったのは結良だと噂で学園中に広まってしまっていた。 全寮制男子校 嫌われから固定で溺愛目指して頑張ります ※話の内容は全てフィクションになります。現実世界ではありえない設定等ありますのでご了承ください

ヤクザと捨て子

幕間ささめ
BL
執着溺愛ヤクザ幹部×箱入り義理息子 ヤクザの事務所前に捨てられた子どもを自分好みに育てるヤクザ幹部とそんな保護者に育てられてる箱入り男子のお話。 ヤクザは頭の切れる爽やかな風貌の腹黒紳士。息子は細身の美男子の空回り全力少年。

ただ愛されたいと願う

藤雪たすく
BL
自分の居場所を求めながら、劣等感に苛まれているオメガの清末 海里。 やっと側にいたいと思える人を見つけたけれど、その人は……

目が覚めたら囲まれてました

るんぱっぱ
BL
燈和(トウワ)は、いつも独りぼっちだった。 燈和の母は愛人で、すでに亡くなっている。愛人の子として虐げられてきた燈和は、ある日家から飛び出し街へ。でも、そこで不良とぶつかりボコボコにされてしまう。 そして、目が覚めると、3人の男が燈和を囲んでいて…話を聞くと、チカという男が燈和を拾ってくれたらしい。 チカに気に入られた燈和は3人と共に行動するようになる。 不思議な3人は、闇医者、若頭、ハッカー、と異色な人達で! 独りぼっちだった燈和が非日常な幸せを勝ち取る話。

公爵家の五男坊はあきらめない

三矢由巳
BL
ローテンエルデ王国のレームブルック公爵の妾腹の五男グスタフは公爵領で領民と交流し、気ままに日々を過ごしていた。 生母と生き別れ、父に放任されて育った彼は誰にも期待なんかしない、将来のことはあきらめていると乳兄弟のエルンストに語っていた。 冬至の祭の夜に暴漢に襲われ二人の運命は急変する。 負傷し意識のないエルンストの枕元でグスタフは叫ぶ。 「俺はおまえなしでは生きていけないんだ」 都では次の王位をめぐる政争が繰り広げられていた。 知らぬ間に巻き込まれていたことを知るグスタフ。 生き延びるため、グスタフはエルンストとともに都へ向かう。 あきらめたら待つのは死のみ。

処理中です...