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第11話
(16)
しおりを挟むあの男は、優しいのか残酷なのか、よくわからないと、いまさらながら実感していた。
そもそも、あの男の中では、その二つは区別する必要がないのかもしれない。緩く溶け合い、一つの感情として存在していたとしても、不思議ではない。
一時間ほど前にかかってきた賢吾からの電話の内容を、和彦は頭の中で反芻する。
『狂犬の対処で頭を悩ませているようだな、先生。俺としては、あんな物騒なものはいらない、という返事もありかと思っていたが、それすらないってことは、先生なりに、雑に扱える番犬の必要性を少しは感じているということか』
開口一番の相手の言葉は、これだった。数日ほど、和彦から反応を示さなかったことへの意趣返しも込められていたのかもしれない。大蛇を身の内に潜ませた男は、どこか楽しげに、和彦に言葉の爆弾を投げつけてきた。
『思い悩む先生は色っぽくて好きだが、俺たちと違って繊細だからな。悩みすぎて寝込まれても困る。ここいらで、スパッと結論を出せるよう、手助けをしてやる。――先生の大事な〈オトコ〉を、今、そっちに行かせている。休みを与えているから、二人で過ごせばいい。そうしているうちに、いろいろと見えてくるだろう』
何が、とは賢吾は言わなかった。言う必要がないと思ったのだろう。
なんにしても和彦は、困惑の真っ只中にいた。まだ、すべてを打ち明ける心積もりができていなかったのだ。なのに賢吾が、強引にお膳立てをしてしまった。
「……意地が悪すぎるんだ、あの男は……」
優しいとか残酷とか、そういうレベルではない。ただ、意地が悪い。
和彦が憎々しげに呟くと、スッと傍らに人影が立つ。
「――睨みつけるほど、どのビールを買おうか悩んでいるのか、先生」
ハスキーな声をかけられ、和彦は我に返る。ビールの陳列ケースの前に立ち尽くし、じっと考え込んでいたらしい。顔を上げると、三田村が無表情で、缶ビールのパックを取り上げていた。
その姿を見て、和彦はほっと笑みをこぼす。賢吾の思惑はともかく、こうして三田村と二人の時間を過ごせているのだ。ぼんやりしている暇はない。
「どれぐらい買えばいいかと思ってたんだ」
「まあ、ほとんど俺しか飲まないからな。先生のワインは、まだ部屋にあっただろ?」
「帰りに酒屋に寄って、ウィスキーのいいやつも買っておきたいな……」
飲むことばかり話しているなと思いながら、和彦は炭酸水のボトルもカゴに入れる。
「あっ、チーズも欲しい」
和彦がぽつりと洩らすと、心得たとばかりに三田村は足早に行ってしまう。地味な色のスーツをしっくりと着こなした男の、あまりに堂々とした足取りに、他の客が何事かといった視線を向け、つい和彦は顔を伏せて笑う。
生活臭のない男二人が、平日の午後、スーパーでのんびりと買い物をしているというのは、妙な感じだ。他の買い物客の目には、友人同士か、似ていない兄弟とでも映っているのかもしれない。
ヤクザの組長のオンナと、そのオンナを護衛するヤクザとは、万が一にも思いつかないだろう。
笑みを消した和彦は、所在なく髪を掻き上げる。今のこの状況を喜んでいる反面、戸惑っていた。
賢吾が電話で言っていた〈オトコ〉とは、もちろん三田村のことだ。マンションまで来た三田村は、ただ賢吾から、和彦と一緒の時間を過ごすよう言われたらしい。そこにどんな目的があるのか、何も知らされていなかった。つまり、和彦の口から聞けということだ。
察しがよく、誰よりも和彦を気遣ってくれる三田村は、当然、自分から疑問をぶつけたりはしない。思いがけない形で手に入った二人きりの時間を、有意義に過ごすことを優先してくれる。
これから、三田村が借りている部屋に向かうのだが、そこで優雅に過ごすため、あれこれと買い込んでいる最中だ。一緒にいられる明日まで、一歩も部屋を出なくていいように。
和彦と三田村がどのように過ごしているか想像して、大蛇の化身のような男は、いまごろニヤニヤしているかもしれない。
戻ってきた三田村が、カゴを差し出して見せてくれる。
「他に何か欲しいものは?」
「うーん、酒には困りそうにないな。つまみも十分だし――、あっ」
声を上げた和彦がパッと顔を輝かせると、三田村が驚いたように目を丸くする。かまわず和彦は、三田村の腕を取って歩く。
「先生?」
「三田村、せっかくだから〈あれ〉を作ってくれ」
「あれ……?」
「〈あれ〉だ」
和彦が指さしたほうを見て、三田村は心底困ったような顔をした。
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