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第11話
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「すまない、びっくりさせてしまったようだね。わたしは、君のお父さんの後輩なんだ。君が高校生ぐらいの頃まで、仕事の関係でよく、佐伯家にお邪魔していたよ」
「そう、でしたか……」
「まあ、記憶になくても仕方ないかな。わたし一人じゃなく、何人もの人間が佐伯家に出入りさせてもらっていたから。しかも、『勉強会』なんて堅苦しい名前の集まりだったし。確か君は、お医者さんになられたんだよね。医大を受験したと、君のお父さんから聞かされたときは、びっくりしたよ。佐伯家といえば、代々――」
この場から立ち去るタイミングを探っていた和彦は、男の話を遮るように問いかけた。
「これから披露宴にご出席ですか?」
男は面食らったように目を丸くしたあと、気を悪くした様子もなく笑って頷いた。和彦の顔が強張っていることに、気づいてはいないようだ。
「ああ、わたしの部下の。とはいっても、今は、うちの〈省〉から民間企業に出向しているんだ。その出向先で、見事にきれいなお嬢さんを射止めたんだから、若い連中が羨ましがって大変だ」
男の話を聞いていると、昔の記憶が少し蘇ってくる。そういえば、実家をよく訪ねてくる父親の同僚の中に、一際大きな声で闊達と話す男がいた。ちょうど、今の男のように。
「――実家にはよく戻っているのかい?」
にこやかな表情で男に問われ、今度は和彦が面食らう。無理やり話題を変えたつもりだが、男はしっかり和彦の意図を見抜いていたようだ。
「いえ、あまり……。忙しいですから」
「大学に入ってから、まったくと言っていいほど実家に帰ってこないと、お父さんが洩らしていたよ。連絡もあまり取らないらしいね」
「そんなことは……」
「意外な場所で君に会ったことを知らせたら、喜ぶだろうね。一番喜ぶのは、君自身が連絡を取って、実家に顔を見せに行くことだろうけど」
要領がいい人間なら、ここで頷いて、調子のいい返事をするのだろうが、和彦には無理だった。そうすることで無難にこの場を離れられるとわかってはいても、気持ちが、理屈を裏切る。
ようやく和彦の頑なさに気づいたのか、男はわずかに目を細めた。父親の同僚で、〈勉強会〉にも顔を見せていたとなれば、切れ者のはずだ。父親から何を聞かされているか知らないが、実家に寄り付かない、連絡すら取らない和彦が目の前にいて、このまま見逃すことはしないだろう。
不穏な空気を感じ取り、和彦は無意識に一歩だけ後退ったが、二歩目はなかった。男の手が肩にかかって動けなかったからだ。寸前までにこやかな表情を浮かべていた男は、今は無表情で和彦を見つめていた。
「ちょうどいい。今日の披露宴には、君のお父さんに世話になっている人間が、何人か来ているんだ。せっかくだから紹介しよう」
「いえ、ぼくはこれで失礼します」
「時間は取らせないから。びっくりするだろうな。兄弟そっくりだと言って。君のお兄さんも、省内じゃ、かなりの有名人だから――」
そう言いながら男に腕を掴まれそうになり、鳥肌が立つような危機感を覚えた和彦は、反射的に男の手を払い除ける。思わず声を荒らげて言い放っていた。
「父とは……佐伯の家とは関わりたくないんですっ」
「そんなことを聞いたら、なおさら君を行かせるわけにはいかない。――君と連絡が取れなくなっていると、佐伯さんが心配されていたよ。いままで住んでいたところも引っ越して、行き先がわからないとも」
何年も会わず、連絡を取り合わなくても平然としている父親に、そんな感覚があるはずがない。和彦は唇を歪める。だがすぐに、顔を強張らせる。
再び腕を掴まれると同時に、男が誰かを呼んだのだ。何事かと言った様子で、招待客の間から三人の男たちが姿を見せた。
「誰か、わたしと一緒に、彼を捕まえておいてくれ。それと、佐伯〈審議官〉にすぐ連絡を取るんだ」
男の鋭い指示に、他の男たちは驚いた表情を見せながらも従おうとする。さすがに、複数の男たちに囲まれては、逃げられない。和彦は考えるより先に体が動き、男を突き飛ばした次の瞬間には駆け出す。
人の間をすり抜けて、エスカレーターを駆け下りる。
「和彦くん、待ちなさいっ」
背後から声をかけられたが、もちろん立ち止まったりはしない。
このままホテルを出ようとしたが、今日の和彦は、最悪な出会いという意味で、恵まれすぎていた。
エスカレーターを降りた先に、高級ホテルの宴会場フロアには不似合いな格好の男が立っていた。自分のトレードマークのつもりなのか、毎日の服選びが面倒なのか、黒のソリッドシャツにジーンズ、その上からブルゾンを羽織った鷹津だ。オールバックにした髪形や無精ひげもそのままで、どこから見ても不審者だった。
そして和彦にとっては、疫病神だ。
「そう、でしたか……」
「まあ、記憶になくても仕方ないかな。わたし一人じゃなく、何人もの人間が佐伯家に出入りさせてもらっていたから。しかも、『勉強会』なんて堅苦しい名前の集まりだったし。確か君は、お医者さんになられたんだよね。医大を受験したと、君のお父さんから聞かされたときは、びっくりしたよ。佐伯家といえば、代々――」
この場から立ち去るタイミングを探っていた和彦は、男の話を遮るように問いかけた。
「これから披露宴にご出席ですか?」
男は面食らったように目を丸くしたあと、気を悪くした様子もなく笑って頷いた。和彦の顔が強張っていることに、気づいてはいないようだ。
「ああ、わたしの部下の。とはいっても、今は、うちの〈省〉から民間企業に出向しているんだ。その出向先で、見事にきれいなお嬢さんを射止めたんだから、若い連中が羨ましがって大変だ」
男の話を聞いていると、昔の記憶が少し蘇ってくる。そういえば、実家をよく訪ねてくる父親の同僚の中に、一際大きな声で闊達と話す男がいた。ちょうど、今の男のように。
「――実家にはよく戻っているのかい?」
にこやかな表情で男に問われ、今度は和彦が面食らう。無理やり話題を変えたつもりだが、男はしっかり和彦の意図を見抜いていたようだ。
「いえ、あまり……。忙しいですから」
「大学に入ってから、まったくと言っていいほど実家に帰ってこないと、お父さんが洩らしていたよ。連絡もあまり取らないらしいね」
「そんなことは……」
「意外な場所で君に会ったことを知らせたら、喜ぶだろうね。一番喜ぶのは、君自身が連絡を取って、実家に顔を見せに行くことだろうけど」
要領がいい人間なら、ここで頷いて、調子のいい返事をするのだろうが、和彦には無理だった。そうすることで無難にこの場を離れられるとわかってはいても、気持ちが、理屈を裏切る。
ようやく和彦の頑なさに気づいたのか、男はわずかに目を細めた。父親の同僚で、〈勉強会〉にも顔を見せていたとなれば、切れ者のはずだ。父親から何を聞かされているか知らないが、実家に寄り付かない、連絡すら取らない和彦が目の前にいて、このまま見逃すことはしないだろう。
不穏な空気を感じ取り、和彦は無意識に一歩だけ後退ったが、二歩目はなかった。男の手が肩にかかって動けなかったからだ。寸前までにこやかな表情を浮かべていた男は、今は無表情で和彦を見つめていた。
「ちょうどいい。今日の披露宴には、君のお父さんに世話になっている人間が、何人か来ているんだ。せっかくだから紹介しよう」
「いえ、ぼくはこれで失礼します」
「時間は取らせないから。びっくりするだろうな。兄弟そっくりだと言って。君のお兄さんも、省内じゃ、かなりの有名人だから――」
そう言いながら男に腕を掴まれそうになり、鳥肌が立つような危機感を覚えた和彦は、反射的に男の手を払い除ける。思わず声を荒らげて言い放っていた。
「父とは……佐伯の家とは関わりたくないんですっ」
「そんなことを聞いたら、なおさら君を行かせるわけにはいかない。――君と連絡が取れなくなっていると、佐伯さんが心配されていたよ。いままで住んでいたところも引っ越して、行き先がわからないとも」
何年も会わず、連絡を取り合わなくても平然としている父親に、そんな感覚があるはずがない。和彦は唇を歪める。だがすぐに、顔を強張らせる。
再び腕を掴まれると同時に、男が誰かを呼んだのだ。何事かと言った様子で、招待客の間から三人の男たちが姿を見せた。
「誰か、わたしと一緒に、彼を捕まえておいてくれ。それと、佐伯〈審議官〉にすぐ連絡を取るんだ」
男の鋭い指示に、他の男たちは驚いた表情を見せながらも従おうとする。さすがに、複数の男たちに囲まれては、逃げられない。和彦は考えるより先に体が動き、男を突き飛ばした次の瞬間には駆け出す。
人の間をすり抜けて、エスカレーターを駆け下りる。
「和彦くん、待ちなさいっ」
背後から声をかけられたが、もちろん立ち止まったりはしない。
このままホテルを出ようとしたが、今日の和彦は、最悪な出会いという意味で、恵まれすぎていた。
エスカレーターを降りた先に、高級ホテルの宴会場フロアには不似合いな格好の男が立っていた。自分のトレードマークのつもりなのか、毎日の服選びが面倒なのか、黒のソリッドシャツにジーンズ、その上からブルゾンを羽織った鷹津だ。オールバックにした髪形や無精ひげもそのままで、どこから見ても不審者だった。
そして和彦にとっては、疫病神だ。
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