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第11話
(5)
しおりを挟むラウンジのイスに腰掛けた和彦は、つい物珍しさから、辺りをきょろきょろと見回す。これから行われる結婚披露宴に出席するため、続々と招待客が集まり始めていた。
和彦の年齢ともなると、友人・知人の結婚披露宴に出席するのは一度や二度ではないため、特別珍しいイベントというわけではない。ただ、ヤクザの組長の〈オンナ〉となり、しかも、その組長の名代として出席するのは、もちろん初めてだ。
だからこそ、一体どんな場所で、どんな人たちを集めて行われるのかと身構えていたのだが――。
和彦が今いるのは、有名な高級ホテルの大宴会場のラウンジだ。受付が始まるまで、ここで待っているのだが、和彦と同じように寛ぎ、談笑をしている招待客たちは皆一様に、きちんとした服装で身を包み、どこから見ても、一般の人たちだ。
物騒な世界に身を置くようになって、和彦も独特の嗅覚が働くようになったが、少なくともこの場には、剣呑とした空気を漂わせた人間は一人もいない。賢吾がどうして和彦を名代に指名したのか、この顔ぶれを見ると納得するしかなかった。
一流企業の社長を父親に持つ新郎の結婚披露宴だ。招待客は厳選されているはずだ。そのうえで、長嶺組の組長の元にも招待状が届いたということは、両者の間柄を多少は推測できる。
和彦はその間柄を保つために、礼儀正しく祝儀を渡し、記帳をするのだ。ただし、芳名帳に残すのは、賢吾の名ではなく、もちろん、和彦の名でもない。偽名というわけではないが、長嶺組が一般人と関わりを持つときに使う名があるのだという。
賢吾のその配慮のおかげで、和彦はホテル内を一人で行動できる。華やかな場であることを考えて、護衛の組員たちは同じホテル内にいないのだ。今頃、隣接している別のホテルのティーラウンジに、堅苦しい顔で座っていることだろう。
ご褒美というわけではないが、役目を果たしたあとは、ホテルの中で買い物や食事をゆっくりと一人で楽しんでくればいいと、賢吾に言われていた。
長嶺組の事情にどんどん組み込まれていると思わなくもないが、そうだとしても、逃れられるわけでもない。だったら、このホテルに入っているブランドショップで気に入ったものを買い、美味しいものを食べて帰るほうが、遥かに気分はいいだろう。
和彦は、自分の柔軟さに密かに自嘲の笑みを洩らす。
そのとき、一際華やかな歓声が耳に届き、反射的に振り返る。どうやら、他の広間でも結婚披露宴が行われるらしく、こちら同様、招待客が集まっているのだ。
男性客の服装は、和彦も含めてどうしても限られているが、それに比べて女性客の服装は、ドレスや着物にスーツと、目で楽しませてくれる。感じる華やかさの大部分は、彼女たちのおかげだなと、和彦はつい表情を和らげる。しばらくこんな場とは無縁だったため、いい気分転換にもなっていた。
ここで、受付の開始を告げるアナウンスがあり、招待客が静かに移動を始める。和彦も立ち上がると、ジャケットの裾を軽く引っ張りながら、服装が乱れていないか確認する。
オーダーメードで仕立てる時間はないからと、賢吾とともにショップに出かけて買い与えられたブラックスーツだが、物自体は非常によく、高価なものだ。これを着て、長嶺組組長の名代として出かける機会が多くなるぞと、賢吾に囁かれたりもしたが、どこまで本気なのか、あの男に関しては本当にわからない。
ジャケットの胸ポケットから、袱紗に包んだ祝儀袋を取り出し、受付に渡して記帳を済ませる。これで、和彦の仕事は終わりだ。これだけ、とも言えるが、賢吾の名代を務めたという点では、大きな仕事だ。
袱紗をきちんと畳み直してポケットに仕舞った和彦は、大宴会場に向かう招待客とは逆の方向に歩き出す。
まだ受付が始まっていない、別の大宴会場の側を通り過ぎようとしたときだった。
「――あれっ、和彦くんっ?」
前触れもなく名を呼ばれ、和彦は飛び上がりそうなほど驚く。咄嗟に、同名の他の誰かが呼ばれたのだろうと考え、周囲を見回したい衝動をぐっと堪える。
和彦にとってこの呼ばれ方は、不吉で不快以外、何ものでもなかった。
嫌な記憶に足元を掬われそうで、足早にこの場を立ち去ろうとすると、再び名を呼ばれる。
「ちょっと待ってっ。君、和彦くんだろっ」
同時に、肩に手がかかり、もう無視はできなかった。足を止めた和彦が振り返ると、目の前に立っていたのは、四十代後半の見知らぬ男だった。和彦と同じ理由でこの場にいるのか、ブラックスーツ姿だ。
「あの……」
和彦が戸惑った表情を見せると、ああ、と声を洩らした男は、納得したように頷く。
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