201 / 1,268
第11話
(3)
しおりを挟む
「いまさら慌てることもないだろ。この色男は、先生が俺のオンナだとよく知っている。それを承知で、先生に手を出したんだからな」
怖く感じるほど、賢吾の声は朗らかだった。この男の場合、それは相手を威嚇しているようなものだ。言葉の端々から、凄みが伝わってくる。
「先生に手を出したこと以外にも、この男に対してはいろいろと腹に据えかねることがある」
「どんな?」
和彦の問いかけに対する賢吾の返事は、言葉ではなかった。いきなりあごを掴み上げられ、噛み付くようなキスをされる。
驚いてなんの反応もできない和彦の眼前で、賢吾はひどく優しい顔をした。
「知りたいなら教えてやるが、いろいろと覚悟が必要だぞ、先生」
この男が口にする『覚悟』という言葉から、濃厚な闇の存在がうかがえる。ただの〈オンナ〉でしかない和彦が覗くには、あまりに深すぎる闇だ。
「……だったら、遠慮しておく……」
「先生は、肝が据わっているくせに、こういう部分で臆病なのがいい。ヤクザの世界で生きるには必要なものだ。どれだけ強い好奇心を持っていても、きちんと自分を律しきれるからな」
もう一度、和彦の唇に軽いキスを落としてから、賢吾はスッと秦に向き直る。さすがというべきか、秦は気まずい様子も見せず、口元に微笑を湛えていた。肝が据わっているとは、この男のことを言うべきだろう。
和彦はわずかな羞恥を覚えながら、つい唇を手の甲で拭う。賢吾のせいでまともな感覚が狂いそうになるが、たとえキスであろうが、人に見られていい気持ちはしない。
「先生は聞きたくないそうだから、事情と過程については省くが、長嶺組は、この色男のケツ持ちをすることにした」
唇を拭った和彦の手を取り、賢吾がさらりと言う。そして、嫌味のように手の甲に唇を押し当ててきた。和彦は横目で睨みつつも、問いかける。
「ケツ持ち?」
「この男の抱えたトラブルを、長嶺組が後ろ盾になって処理する、という意味だ。うちとしても事を荒立てる気はないから、うちの代紋を見て、相手の頭が冷えるなら、けっこう。そうでないなら――この色男を差し出すのもおもしろいかもな」
冗談めかしてはいても、賢吾の声にはヒヤリとするような冷たさがあった。賢吾の中に潜む大蛇の体温を、こんなときに実感する。小さく肩を震わせた和彦だが、一方の秦は、相変わらず微笑を浮かべていた。
和彦の知らないところで密談を重ねているうちに、賢吾のこの手の冗談は言われ慣れたのかもしれない。
「……二人の間で話がまとまっているなら、わざわざぼくを、この場に呼ばなくてもよかっただろ。電話で報告してくれるだけでよかったんだ」
「俺の親切心だぜ。先生だって、自分の浮気相手の処遇は気になるだろ」
「だからっ――」
賢吾の口から『浮気』という言葉が出るたびに、恐怖と羞恥がムチとなって、和彦の神経を打ち据えてくる。
たまらず声を荒らげようとすると、賢吾に肩を抱き寄せられ、髪に唇が押し当てられた。これだけで和彦は何も言えなくなる。代わりに賢吾が、秦に向けて言い放った。
「――色男、俺のオンナに手を出すなよ」
賢吾の声は柔らかだが、リビングの空気は一瞬にして凍りつく。和彦は顔を強張らせながら、賢吾を見上げた。
「俺に近づくために、先生に目をつけたのはともかく、妙な薬を飲ませたことについては、俺は少しばかり怒っているんだ。……二度目があると思うなよ」
そんなことを言いながら、優しげな顔で和彦を見つめてくる賢吾だが、大蛇を潜ませている目はひんやりとして、優しさの欠片も感じさせない。
こんな目を持つ男に、自分は大事にされているのだと思うと、うろたえるほど強烈な疼きが和彦の背筋を駆け抜ける。和彦の異変に気づいたのか、賢吾は唇の端を動かすだけの笑みを浮かべた。
和彦を片腕に抱いたまま、賢吾がちらりと秦を見る。一瞥されただけだというのに、目に見えて秦は緊張していた。
「いろいろと調べさせたが、お前、やり手のホストだったんだってな。のぼせ上がる女が多すぎて、派手な揉め事にも事欠かなかったようだが。なんにしても、ホストとしては一流だった――」
「若気の至りというやつで、無茶だけはできましたから」
「謙遜するな。それだけのホストだ。足を洗ったとはいっても、先生を楽しませるぐらいの手管はまだ持っているだろ? もちろん、セックス抜きで、という意味だ」
思いがけない賢吾の発言に慌てたのは、和彦だ。
「なっ……、何を言い出すんだ、あんたっ……」
賢吾は意味ありげな視線を寄越してきて、澄ました顔で応じる。
怖く感じるほど、賢吾の声は朗らかだった。この男の場合、それは相手を威嚇しているようなものだ。言葉の端々から、凄みが伝わってくる。
「先生に手を出したこと以外にも、この男に対してはいろいろと腹に据えかねることがある」
「どんな?」
和彦の問いかけに対する賢吾の返事は、言葉ではなかった。いきなりあごを掴み上げられ、噛み付くようなキスをされる。
驚いてなんの反応もできない和彦の眼前で、賢吾はひどく優しい顔をした。
「知りたいなら教えてやるが、いろいろと覚悟が必要だぞ、先生」
この男が口にする『覚悟』という言葉から、濃厚な闇の存在がうかがえる。ただの〈オンナ〉でしかない和彦が覗くには、あまりに深すぎる闇だ。
「……だったら、遠慮しておく……」
「先生は、肝が据わっているくせに、こういう部分で臆病なのがいい。ヤクザの世界で生きるには必要なものだ。どれだけ強い好奇心を持っていても、きちんと自分を律しきれるからな」
もう一度、和彦の唇に軽いキスを落としてから、賢吾はスッと秦に向き直る。さすがというべきか、秦は気まずい様子も見せず、口元に微笑を湛えていた。肝が据わっているとは、この男のことを言うべきだろう。
和彦はわずかな羞恥を覚えながら、つい唇を手の甲で拭う。賢吾のせいでまともな感覚が狂いそうになるが、たとえキスであろうが、人に見られていい気持ちはしない。
「先生は聞きたくないそうだから、事情と過程については省くが、長嶺組は、この色男のケツ持ちをすることにした」
唇を拭った和彦の手を取り、賢吾がさらりと言う。そして、嫌味のように手の甲に唇を押し当ててきた。和彦は横目で睨みつつも、問いかける。
「ケツ持ち?」
「この男の抱えたトラブルを、長嶺組が後ろ盾になって処理する、という意味だ。うちとしても事を荒立てる気はないから、うちの代紋を見て、相手の頭が冷えるなら、けっこう。そうでないなら――この色男を差し出すのもおもしろいかもな」
冗談めかしてはいても、賢吾の声にはヒヤリとするような冷たさがあった。賢吾の中に潜む大蛇の体温を、こんなときに実感する。小さく肩を震わせた和彦だが、一方の秦は、相変わらず微笑を浮かべていた。
和彦の知らないところで密談を重ねているうちに、賢吾のこの手の冗談は言われ慣れたのかもしれない。
「……二人の間で話がまとまっているなら、わざわざぼくを、この場に呼ばなくてもよかっただろ。電話で報告してくれるだけでよかったんだ」
「俺の親切心だぜ。先生だって、自分の浮気相手の処遇は気になるだろ」
「だからっ――」
賢吾の口から『浮気』という言葉が出るたびに、恐怖と羞恥がムチとなって、和彦の神経を打ち据えてくる。
たまらず声を荒らげようとすると、賢吾に肩を抱き寄せられ、髪に唇が押し当てられた。これだけで和彦は何も言えなくなる。代わりに賢吾が、秦に向けて言い放った。
「――色男、俺のオンナに手を出すなよ」
賢吾の声は柔らかだが、リビングの空気は一瞬にして凍りつく。和彦は顔を強張らせながら、賢吾を見上げた。
「俺に近づくために、先生に目をつけたのはともかく、妙な薬を飲ませたことについては、俺は少しばかり怒っているんだ。……二度目があると思うなよ」
そんなことを言いながら、優しげな顔で和彦を見つめてくる賢吾だが、大蛇を潜ませている目はひんやりとして、優しさの欠片も感じさせない。
こんな目を持つ男に、自分は大事にされているのだと思うと、うろたえるほど強烈な疼きが和彦の背筋を駆け抜ける。和彦の異変に気づいたのか、賢吾は唇の端を動かすだけの笑みを浮かべた。
和彦を片腕に抱いたまま、賢吾がちらりと秦を見る。一瞥されただけだというのに、目に見えて秦は緊張していた。
「いろいろと調べさせたが、お前、やり手のホストだったんだってな。のぼせ上がる女が多すぎて、派手な揉め事にも事欠かなかったようだが。なんにしても、ホストとしては一流だった――」
「若気の至りというやつで、無茶だけはできましたから」
「謙遜するな。それだけのホストだ。足を洗ったとはいっても、先生を楽しませるぐらいの手管はまだ持っているだろ? もちろん、セックス抜きで、という意味だ」
思いがけない賢吾の発言に慌てたのは、和彦だ。
「なっ……、何を言い出すんだ、あんたっ……」
賢吾は意味ありげな視線を寄越してきて、澄ました顔で応じる。
54
お気に入りに追加
1,391
あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…



塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる