血と束縛と

北川とも

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第11話

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「いまさら慌てることもないだろ。この色男は、先生が俺のオンナだとよく知っている。それを承知で、先生に手を出したんだからな」
 怖く感じるほど、賢吾の声は朗らかだった。この男の場合、それは相手を威嚇しているようなものだ。言葉の端々から、凄みが伝わってくる。
「先生に手を出したこと以外にも、この男に対してはいろいろと腹に据えかねることがある」
「どんな?」
 和彦の問いかけに対する賢吾の返事は、言葉ではなかった。いきなりあごを掴み上げられ、噛み付くようなキスをされる。
 驚いてなんの反応もできない和彦の眼前で、賢吾はひどく優しい顔をした。
「知りたいなら教えてやるが、いろいろと覚悟が必要だぞ、先生」
 この男が口にする『覚悟』という言葉から、濃厚な闇の存在がうかがえる。ただの〈オンナ〉でしかない和彦が覗くには、あまりに深すぎる闇だ。
「……だったら、遠慮しておく……」
「先生は、肝が据わっているくせに、こういう部分で臆病なのがいい。ヤクザの世界で生きるには必要なものだ。どれだけ強い好奇心を持っていても、きちんと自分を律しきれるからな」
 もう一度、和彦の唇に軽いキスを落としてから、賢吾はスッと秦に向き直る。さすがというべきか、秦は気まずい様子も見せず、口元に微笑を湛えていた。肝が据わっているとは、この男のことを言うべきだろう。
 和彦はわずかな羞恥を覚えながら、つい唇を手の甲で拭う。賢吾のせいでまともな感覚が狂いそうになるが、たとえキスであろうが、人に見られていい気持ちはしない。
「先生は聞きたくないそうだから、事情と過程については省くが、長嶺組は、この色男のケツ持ちをすることにした」
 唇を拭った和彦の手を取り、賢吾がさらりと言う。そして、嫌味のように手の甲に唇を押し当ててきた。和彦は横目で睨みつつも、問いかける。
「ケツ持ち?」
「この男の抱えたトラブルを、長嶺組が後ろ盾になって処理する、という意味だ。うちとしても事を荒立てる気はないから、うちの代紋を見て、相手の頭が冷えるなら、けっこう。そうでないなら――この色男を差し出すのもおもしろいかもな」
 冗談めかしてはいても、賢吾の声にはヒヤリとするような冷たさがあった。賢吾の中に潜む大蛇の体温を、こんなときに実感する。小さく肩を震わせた和彦だが、一方の秦は、相変わらず微笑を浮かべていた。
 和彦の知らないところで密談を重ねているうちに、賢吾のこの手の冗談は言われ慣れたのかもしれない。
「……二人の間で話がまとまっているなら、わざわざぼくを、この場に呼ばなくてもよかっただろ。電話で報告してくれるだけでよかったんだ」
「俺の親切心だぜ。先生だって、自分の浮気相手の処遇は気になるだろ」
「だからっ――」
 賢吾の口から『浮気』という言葉が出るたびに、恐怖と羞恥がムチとなって、和彦の神経を打ち据えてくる。
 たまらず声を荒らげようとすると、賢吾に肩を抱き寄せられ、髪に唇が押し当てられた。これだけで和彦は何も言えなくなる。代わりに賢吾が、秦に向けて言い放った。
「――色男、俺のオンナに手を出すなよ」
 賢吾の声は柔らかだが、リビングの空気は一瞬にして凍りつく。和彦は顔を強張らせながら、賢吾を見上げた。
「俺に近づくために、先生に目をつけたのはともかく、妙な薬を飲ませたことについては、俺は少しばかり怒っているんだ。……二度目があると思うなよ」
 そんなことを言いながら、優しげな顔で和彦を見つめてくる賢吾だが、大蛇を潜ませている目はひんやりとして、優しさの欠片も感じさせない。
 こんな目を持つ男に、自分は大事にされているのだと思うと、うろたえるほど強烈な疼きが和彦の背筋を駆け抜ける。和彦の異変に気づいたのか、賢吾は唇の端を動かすだけの笑みを浮かべた。
 和彦を片腕に抱いたまま、賢吾がちらりと秦を見る。一瞥されただけだというのに、目に見えて秦は緊張していた。
「いろいろと調べさせたが、お前、やり手のホストだったんだってな。のぼせ上がる女が多すぎて、派手な揉め事にも事欠かなかったようだが。なんにしても、ホストとしては一流だった――」
「若気の至りというやつで、無茶だけはできましたから」
「謙遜するな。それだけのホストだ。足を洗ったとはいっても、先生を楽しませるぐらいの手管はまだ持っているだろ? もちろん、セックス抜きで、という意味だ」
 思いがけない賢吾の発言に慌てたのは、和彦だ。
「なっ……、何を言い出すんだ、あんたっ……」
 賢吾は意味ありげな視線を寄越してきて、澄ました顔で応じる。

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