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第10話
(18)
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「先生は物腰が柔らかいから、つい余計なことまでしゃべってしまいますね。こんな仕事をしていると、気恥ずかしくなるような話題とは無縁なので、俺も油断してしまいました」
ようやく中嶋がいつもの笑みを見せたので、和彦は安堵する。ちょうどコーヒーも飲み終えたので、シャワーを浴びに行くことにしたが、中嶋も同時に立ち上がる。
示し合わせたわけではないが、行動をともにする流れになっていた。
着替えを取りに一旦更衣室に向かい、ロッカーは別々なので中嶋とは出入り口で別れる。
和彦が借りているロッカーがある列に客は二人しかおらず、着替えながら世間話をしていた。軽く会釈して傍らを通り、自分のロッカーを開ける。
バスタオルや替えのTシャツを取り出しているうちに会話の声は遠ざかり、和彦一人となったが、入れ替わるように足音が聞こえ、こちらに誰かが近づいてくる。和彦は開けたロッカーの扉から顔だけを出して、足音の主の姿を確認した。
「中嶋くん……」
傍らに立った中嶋が手ぶらであることを訝しみつつ、声をかける。
「どうかしたのか。これからシャワーを浴びに――」
「先生、さっきの俺の発言は訂正します」
「えっ?」
「秦さんに甘い感情はないけど、興味はあります。特に、あの人の感触に」
どういう意味かと問いかける間もなかった。いきなり中嶋に肩を掴まれて押される。眼前に中嶋の顔が迫ってきて、唇を塞がれた。中嶋の思いがけない行動に和彦は目を見開くが、奇妙なほど冷静でいられた。
中嶋は、乱暴ではなかった。何かを確かめるようにゆっくりと丁寧に和彦の唇を吸い、和彦はその中嶋の目を、間近から覗き込む。こんな場所で、突拍子もない行為に及んでいるにもかかわらず、中嶋の目は静かだった。おそらく和彦も、同じような目をしているだろう。
何度も唇を吸われているうちに、和彦もつい中嶋の唇を吸い返す。
欲情は刺激されないが、不快ではないキスだった。心地いいと表現していいかもしれない。漠然と、秦とのキスに似ていると思ったところで、中嶋の目的がわかった気がした。
ロッカーの列の向こう側で人の話し声がする。それをきっかけに唇が離れ、うつむいた中嶋が息を吐き出した。
「……まあ、こんなことをして、わかるはずがないですよね。あの人の感触が」
「悪い。ぼくが余計なことを吹き込んでしまったから……」
「被害者である先生が謝らないでください。下手をしたら、俺は長嶺組長の前で、落とし前をつけなきゃいけない」
中嶋は自己嫌悪に陥っているようだが、もしかすると演技かもしれない。そんな穿った見方をする自分に、和彦のほうが自己嫌悪に陥りそうだ。
中嶋の肩をポンポンと叩き、声を潜めて話しかけた。
「やましいことはしてないんだから、別に話す必要はない。君は秦静馬という男のことが知りたくて、ぼくは少しだけ彼のことを知っているから教えた。――それだけだ」
顔を上げた中嶋が苦笑する。
「どうして、この間まで堅気だった先生が物騒な男たちに大事にされるのか、初めてわかった気がします」
「ぼくは、ズルイ人間だからな。どこでも上手く立ち回れる。……自分の実家以外では」
最後の言葉はほとんど囁きに近く、中嶋には聞き取れなかったかもしれない。
何事もなかった顔をして声をかけられた。
「先生、シャワーに行きませんか?」
「……ああ」
頷いた和彦は、ロッカーから着替えとバスタオルを取り出した。
パーティー用の飾りつけも買ってくるべきだったかもしれないと、まるで子供のように嬉しそうにプレゼントを開ける千尋を見ながら、そんなことを和彦は考える。
「すげーっ、先生から誕生日プレゼントなんて、初めてもらった」
「……語弊のある言い方をするな。一年前の今頃、ぼくとお前はまだ知り合ってなかっただろ」
「そうだっけ?」
「そうだ」
応じながら和彦は、自分の言葉に奇妙な感慨深さを覚える。これだけ濃密なつき合いをしている千尋と、知り合ってまだ一年も経っていないのだと。それは千尋だけでなく、今、和彦の身近にいる男たちに対しても同じことがいえる。千尋よりもさらに、知り合ってからの期間は短い。
「――……ぼくがいままでつき合ってきた男の中じゃ、お前が一番長いかもな。十歳も年下とつき合うのは初めてで、一週間ももたないんじゃないかと思っていたが……」
「予想を超えて、俺とのセックスがよかった?」
和彦が誕生日プレゼントとして贈ったネクタイを首に締めながら、千尋がニヤリと笑いかけてくる。そんな千尋をわざと冷めた視線で一瞥してから、和彦は顔を背けてため息をつく。
「まあ、若さが〈売り〉だからな」
ようやく中嶋がいつもの笑みを見せたので、和彦は安堵する。ちょうどコーヒーも飲み終えたので、シャワーを浴びに行くことにしたが、中嶋も同時に立ち上がる。
示し合わせたわけではないが、行動をともにする流れになっていた。
着替えを取りに一旦更衣室に向かい、ロッカーは別々なので中嶋とは出入り口で別れる。
和彦が借りているロッカーがある列に客は二人しかおらず、着替えながら世間話をしていた。軽く会釈して傍らを通り、自分のロッカーを開ける。
バスタオルや替えのTシャツを取り出しているうちに会話の声は遠ざかり、和彦一人となったが、入れ替わるように足音が聞こえ、こちらに誰かが近づいてくる。和彦は開けたロッカーの扉から顔だけを出して、足音の主の姿を確認した。
「中嶋くん……」
傍らに立った中嶋が手ぶらであることを訝しみつつ、声をかける。
「どうかしたのか。これからシャワーを浴びに――」
「先生、さっきの俺の発言は訂正します」
「えっ?」
「秦さんに甘い感情はないけど、興味はあります。特に、あの人の感触に」
どういう意味かと問いかける間もなかった。いきなり中嶋に肩を掴まれて押される。眼前に中嶋の顔が迫ってきて、唇を塞がれた。中嶋の思いがけない行動に和彦は目を見開くが、奇妙なほど冷静でいられた。
中嶋は、乱暴ではなかった。何かを確かめるようにゆっくりと丁寧に和彦の唇を吸い、和彦はその中嶋の目を、間近から覗き込む。こんな場所で、突拍子もない行為に及んでいるにもかかわらず、中嶋の目は静かだった。おそらく和彦も、同じような目をしているだろう。
何度も唇を吸われているうちに、和彦もつい中嶋の唇を吸い返す。
欲情は刺激されないが、不快ではないキスだった。心地いいと表現していいかもしれない。漠然と、秦とのキスに似ていると思ったところで、中嶋の目的がわかった気がした。
ロッカーの列の向こう側で人の話し声がする。それをきっかけに唇が離れ、うつむいた中嶋が息を吐き出した。
「……まあ、こんなことをして、わかるはずがないですよね。あの人の感触が」
「悪い。ぼくが余計なことを吹き込んでしまったから……」
「被害者である先生が謝らないでください。下手をしたら、俺は長嶺組長の前で、落とし前をつけなきゃいけない」
中嶋は自己嫌悪に陥っているようだが、もしかすると演技かもしれない。そんな穿った見方をする自分に、和彦のほうが自己嫌悪に陥りそうだ。
中嶋の肩をポンポンと叩き、声を潜めて話しかけた。
「やましいことはしてないんだから、別に話す必要はない。君は秦静馬という男のことが知りたくて、ぼくは少しだけ彼のことを知っているから教えた。――それだけだ」
顔を上げた中嶋が苦笑する。
「どうして、この間まで堅気だった先生が物騒な男たちに大事にされるのか、初めてわかった気がします」
「ぼくは、ズルイ人間だからな。どこでも上手く立ち回れる。……自分の実家以外では」
最後の言葉はほとんど囁きに近く、中嶋には聞き取れなかったかもしれない。
何事もなかった顔をして声をかけられた。
「先生、シャワーに行きませんか?」
「……ああ」
頷いた和彦は、ロッカーから着替えとバスタオルを取り出した。
パーティー用の飾りつけも買ってくるべきだったかもしれないと、まるで子供のように嬉しそうにプレゼントを開ける千尋を見ながら、そんなことを和彦は考える。
「すげーっ、先生から誕生日プレゼントなんて、初めてもらった」
「……語弊のある言い方をするな。一年前の今頃、ぼくとお前はまだ知り合ってなかっただろ」
「そうだっけ?」
「そうだ」
応じながら和彦は、自分の言葉に奇妙な感慨深さを覚える。これだけ濃密なつき合いをしている千尋と、知り合ってまだ一年も経っていないのだと。それは千尋だけでなく、今、和彦の身近にいる男たちに対しても同じことがいえる。千尋よりもさらに、知り合ってからの期間は短い。
「――……ぼくがいままでつき合ってきた男の中じゃ、お前が一番長いかもな。十歳も年下とつき合うのは初めてで、一週間ももたないんじゃないかと思っていたが……」
「予想を超えて、俺とのセックスがよかった?」
和彦が誕生日プレゼントとして贈ったネクタイを首に締めながら、千尋がニヤリと笑いかけてくる。そんな千尋をわざと冷めた視線で一瞥してから、和彦は顔を背けてため息をつく。
「まあ、若さが〈売り〉だからな」
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