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第10話
(10)
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カップを置いた和彦は髪を掻き上げてから、鷹津に問う。
「秦は、何者なんだ」
「俺も知らん」
冗談を言っているのだろうかと思ったが、無精ひげの生えたあごをしきりに撫でる鷹津の表情は真剣だ。そして、和彦をじっと見つめながら、思いがけないことを話し始めた。
「――俺が警官になったばかりの頃、秦そっくりの顔をしたガキは、他のガキどもをまとめ上げて、いろいろと悪さをしていた。頭の切れる奴で、少年課が目をつけていたが、尻尾を掴めなかった。それに、ヤクザともつき合いがあると噂になっていた。が、見た目はあの通り、きれいなツラをして、いい物を身につけたお坊ちゃまだ。派手にやっていたようだが、いつの間にか姿を見かけなくなった」
「今になって、消息がわかったということか……」
「そのときのガキに関しては、俺が直接関わっていたわけじゃないから、詳しくは知らん。ただ、確実にわかっていることがある」
鷹津が指先を動かし、顔を近づけろと言われる。和彦は露骨に眉をひそめて嫌がったが、話の続きが気になることもあり、仕方なく身を乗り出す。すると鷹津も顔を寄せ、囁くような声で言った。
「当時の秦は、〈日本人〉じゃなかった」
一瞬意味がわからず、和彦はますます眉をひそめる。
「あいつは当時、香港国籍だった。もちろん、名前は『秦静馬』じゃない。警察に補導も逮捕もされてないから、当時の名前は記録に残ってないし、俺の記憶にも残ってない。帰化したんなら、今は日本人の名前であっても不思議じゃないしな」
「調べて、ないのか……?」
すっかり鷹津の話に聞き入ってしまい、思わずそう尋ねてしまう。鷹津はわずかに唇を歪めた。
「俺〈たち〉の好奇心を満たすためだけに、一般市民のプライバシーを暴くのか?」
かつて、鷹津に部屋に踏み込まれかけたとき、和彦が自分のことを『一般市民』だと言い張ったことへの当て擦りらしい。和彦は吐き捨てるように言った。
「……こんなときに、ぼくに対する皮肉を言うな」
「それは失礼」
恭しく頭を下げる鷹津が、本気で忌々しい。話題が話題でなければ、すぐに席を立つところだ。
「華僑じゃないか、とも言われていたが、よくわからん。悪ガキなんて、秦一人じゃなかったし、もっと派手に暴れる外国人のガキたちもいたしな。俺もまさか、今になって秦を見かけることになるとは思わなかった。しかも、日本人の名前となったあいつと。 ……当時から得体の知れないガキのようだったが、今も、それは変わらないらしいな。長嶺とつるんでいるのか?」
和彦は唇を引き結び、返事を拒む。鷹津は軽く鼻を鳴らした。
「ふん、それはこっちで調べりゃいいか」
「なんの罪も犯していない、一般市民のプライバシーを暴くのか」
さきほど鷹津が言った言葉をそのまま使うと、テーブルの下でまた足がすり寄せられた。
「佐伯、秦という男が本当に犯罪を犯していないと言えるか?」
「――あんたが、自分は一般市民だと言い張れる程度には」
和彦が睨みつけると、鷹津は不審げに眉をひそめていたが、和彦の様子から何か感じ取ったらしく、驚いた表情のあと、堪え切れないように笑みを浮かべた。
「お前まさか、秦とも――」
「もう、あんたから聞くことはない。ぼくは忙しいから、これで帰る」
伝票を手に素早く立ち上がった和彦は、一度も鷹津の姿を振り返ることなく、レジへと向かった。
「秦は、何者なんだ」
「俺も知らん」
冗談を言っているのだろうかと思ったが、無精ひげの生えたあごをしきりに撫でる鷹津の表情は真剣だ。そして、和彦をじっと見つめながら、思いがけないことを話し始めた。
「――俺が警官になったばかりの頃、秦そっくりの顔をしたガキは、他のガキどもをまとめ上げて、いろいろと悪さをしていた。頭の切れる奴で、少年課が目をつけていたが、尻尾を掴めなかった。それに、ヤクザともつき合いがあると噂になっていた。が、見た目はあの通り、きれいなツラをして、いい物を身につけたお坊ちゃまだ。派手にやっていたようだが、いつの間にか姿を見かけなくなった」
「今になって、消息がわかったということか……」
「そのときのガキに関しては、俺が直接関わっていたわけじゃないから、詳しくは知らん。ただ、確実にわかっていることがある」
鷹津が指先を動かし、顔を近づけろと言われる。和彦は露骨に眉をひそめて嫌がったが、話の続きが気になることもあり、仕方なく身を乗り出す。すると鷹津も顔を寄せ、囁くような声で言った。
「当時の秦は、〈日本人〉じゃなかった」
一瞬意味がわからず、和彦はますます眉をひそめる。
「あいつは当時、香港国籍だった。もちろん、名前は『秦静馬』じゃない。警察に補導も逮捕もされてないから、当時の名前は記録に残ってないし、俺の記憶にも残ってない。帰化したんなら、今は日本人の名前であっても不思議じゃないしな」
「調べて、ないのか……?」
すっかり鷹津の話に聞き入ってしまい、思わずそう尋ねてしまう。鷹津はわずかに唇を歪めた。
「俺〈たち〉の好奇心を満たすためだけに、一般市民のプライバシーを暴くのか?」
かつて、鷹津に部屋に踏み込まれかけたとき、和彦が自分のことを『一般市民』だと言い張ったことへの当て擦りらしい。和彦は吐き捨てるように言った。
「……こんなときに、ぼくに対する皮肉を言うな」
「それは失礼」
恭しく頭を下げる鷹津が、本気で忌々しい。話題が話題でなければ、すぐに席を立つところだ。
「華僑じゃないか、とも言われていたが、よくわからん。悪ガキなんて、秦一人じゃなかったし、もっと派手に暴れる外国人のガキたちもいたしな。俺もまさか、今になって秦を見かけることになるとは思わなかった。しかも、日本人の名前となったあいつと。 ……当時から得体の知れないガキのようだったが、今も、それは変わらないらしいな。長嶺とつるんでいるのか?」
和彦は唇を引き結び、返事を拒む。鷹津は軽く鼻を鳴らした。
「ふん、それはこっちで調べりゃいいか」
「なんの罪も犯していない、一般市民のプライバシーを暴くのか」
さきほど鷹津が言った言葉をそのまま使うと、テーブルの下でまた足がすり寄せられた。
「佐伯、秦という男が本当に犯罪を犯していないと言えるか?」
「――あんたが、自分は一般市民だと言い張れる程度には」
和彦が睨みつけると、鷹津は不審げに眉をひそめていたが、和彦の様子から何か感じ取ったらしく、驚いた表情のあと、堪え切れないように笑みを浮かべた。
「お前まさか、秦とも――」
「もう、あんたから聞くことはない。ぼくは忙しいから、これで帰る」
伝票を手に素早く立ち上がった和彦は、一度も鷹津の姿を振り返ることなく、レジへと向かった。
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