185 / 1,268
第10話
(7)
しおりを挟む
「はい。先生とは、まだ短いおつき合いですが、そんなことを感じさせないぐらい、うちはお世話になっています。その恩と、これからの友好な関係のためにも、先生のクリニックのために何かできないかと、総和会として考えているんです」
あまりに思いがけない申し出に、和彦は即座に言葉が出なかった。それどころか、どんな顔をすればいいのかすらわからない。
「もちろん、金銭的なものだけではなく、クリニックで働くスタッフについても、うちは力になれると思います。秘密保持という点から、信頼できる人間を側に置きたいとお考えでしょう? それに、警備も。これらを何も、長嶺組だけが負う必要はないのではないかと……」
淀みない藤倉の話に呑み込まれそうになり、和彦は慌てて片手を上げて制止する。
「ちょっと待ってくださいっ……。非常に大事なお話ですが、長嶺組長には、もう相談されているんでしょうか?」
「いえ、まだです。正式なお話ではなく、あくまで、雑談としてお考えください。こういう話があると、先生に知っておいていただきたいというだけですから。長嶺組長には、総和会の上の者が正式な場を設けて、話すことになると思います。――先生の反応が前向きであれば、ですが」
雑談と言いながらも、見えない圧力のようなものを感じる。一見、ヤクザとは思えない風貌をしている藤倉だが、十一の組をまとめている総和会という組織に身を置く男だ。普通の青年の顔をして野心家である中嶋と同じ、ヤクザなのだ。
「……金銭面に関しては、ぼくは長嶺組に世話になっているだけの身なので、個人的な意見を述べるつもりは……」
「大げさなものじゃありませんよ。先生に何かしてもらうというわけではなく、ただクリニックに、総和会の資本が入るかどうかというだけですから。先生さえ気にしないとおっしゃるなら、長嶺組長も大げさに考えないのでは? 今の長嶺組と総和会は、昵懇の間柄でもありますし」
こんな言い方をされては、結論は一つしか許されていないようなものだ。困り果てた和彦が、無意識のうちに視線を中嶋に向けると、こちらも口出しはできないとばかりに、柔らかな苦笑で応えられた。
「ぼくは……」
仕方なく意見を述べようとしたとき、和彦の携帯電話が鳴る。この瞬間思ったのは、助かった、ということだった。
ジャケットのポケットから素早く取り出した携帯電話を握り締め、和彦は立ち上がる。
「すみません。組からの連絡かもしれないので、ちょっと出てきます」
藤倉は笑顔で頷き、慌てて座敷を出た和彦は、襖を閉めると同時に、相手も確認しないまま電話に出ていた。
『――まさか、素直に電話に出るとは思わなかった』
人を小馬鹿にしたような話し方と声に、瞬間的に鳥肌が立つ――はずだったが、和彦の体が最初に示した反応は、体温の上昇だった。
めまいがしそうなほど体が熱くなると同時に、激しく動揺してしまう。ほんの数秒の間に和彦の中で駆け巡ったのは、電話の相手である鷹津から受けた、恥辱に満ちた行為の数々だった。
「なんの、用だ……」
和彦はようやく声を絞り出したが、その時点ですでに後悔していた。電話の相手が鷹津だとわかったのなら、このまま電話を切ってしまえばよかったのだ。そうすれば少なくとも、鷹津の声を聞くという苦痛からは逃れられる。
『お前に聞きたいことがある。これから俺と会え』
「……あんた、何様だ」
『刑事だ』
挑発的ですらある鷹津の答えに、ようやく和彦の中で、どうしようもない嫌悪感が湧き起こる。こんな男に自分は体を弄ばれたのだという事実が、いまさらながら和彦にのしかかる。
「強姦魔の間違いじゃないのか」
『まだ、ヤッてないだろ』
電話の向こうで鷹津が低く笑い声を洩らす。
「今、取り込み中だ。切るぞ」
『――クラブにいた男について、知りたい』
突然、鷹津の口調が真剣なものに変わる。何事かと思ったときには、和彦は電話を切るタイミングを失い、ある意味、刑事の術中に陥っていた。
「クラブにいた男?」
『その前は、家具屋でお前と一緒にいただろ。そのとき俺は、そいつに殴られた』
鷹津が言っているのは、秦のことだ。一体何を企んでいるのかと、沈黙して警戒する和彦に苛立ったように、鷹津が声を荒らげた。
『聞いてるのかっ。とにかく今から、俺と会え』
「……あんたには、ぼくに命令できる権利はない」
『一人で俺と会うのが怖いなら、番犬を連れて来い。――俺の質問に答えたら、お前にとってもおもしろい話を聞かせてやる』
鷹津の一方的な申し出を受ける気などなかったが、今の言葉で和彦の心は揺れた。
あまりに思いがけない申し出に、和彦は即座に言葉が出なかった。それどころか、どんな顔をすればいいのかすらわからない。
「もちろん、金銭的なものだけではなく、クリニックで働くスタッフについても、うちは力になれると思います。秘密保持という点から、信頼できる人間を側に置きたいとお考えでしょう? それに、警備も。これらを何も、長嶺組だけが負う必要はないのではないかと……」
淀みない藤倉の話に呑み込まれそうになり、和彦は慌てて片手を上げて制止する。
「ちょっと待ってくださいっ……。非常に大事なお話ですが、長嶺組長には、もう相談されているんでしょうか?」
「いえ、まだです。正式なお話ではなく、あくまで、雑談としてお考えください。こういう話があると、先生に知っておいていただきたいというだけですから。長嶺組長には、総和会の上の者が正式な場を設けて、話すことになると思います。――先生の反応が前向きであれば、ですが」
雑談と言いながらも、見えない圧力のようなものを感じる。一見、ヤクザとは思えない風貌をしている藤倉だが、十一の組をまとめている総和会という組織に身を置く男だ。普通の青年の顔をして野心家である中嶋と同じ、ヤクザなのだ。
「……金銭面に関しては、ぼくは長嶺組に世話になっているだけの身なので、個人的な意見を述べるつもりは……」
「大げさなものじゃありませんよ。先生に何かしてもらうというわけではなく、ただクリニックに、総和会の資本が入るかどうかというだけですから。先生さえ気にしないとおっしゃるなら、長嶺組長も大げさに考えないのでは? 今の長嶺組と総和会は、昵懇の間柄でもありますし」
こんな言い方をされては、結論は一つしか許されていないようなものだ。困り果てた和彦が、無意識のうちに視線を中嶋に向けると、こちらも口出しはできないとばかりに、柔らかな苦笑で応えられた。
「ぼくは……」
仕方なく意見を述べようとしたとき、和彦の携帯電話が鳴る。この瞬間思ったのは、助かった、ということだった。
ジャケットのポケットから素早く取り出した携帯電話を握り締め、和彦は立ち上がる。
「すみません。組からの連絡かもしれないので、ちょっと出てきます」
藤倉は笑顔で頷き、慌てて座敷を出た和彦は、襖を閉めると同時に、相手も確認しないまま電話に出ていた。
『――まさか、素直に電話に出るとは思わなかった』
人を小馬鹿にしたような話し方と声に、瞬間的に鳥肌が立つ――はずだったが、和彦の体が最初に示した反応は、体温の上昇だった。
めまいがしそうなほど体が熱くなると同時に、激しく動揺してしまう。ほんの数秒の間に和彦の中で駆け巡ったのは、電話の相手である鷹津から受けた、恥辱に満ちた行為の数々だった。
「なんの、用だ……」
和彦はようやく声を絞り出したが、その時点ですでに後悔していた。電話の相手が鷹津だとわかったのなら、このまま電話を切ってしまえばよかったのだ。そうすれば少なくとも、鷹津の声を聞くという苦痛からは逃れられる。
『お前に聞きたいことがある。これから俺と会え』
「……あんた、何様だ」
『刑事だ』
挑発的ですらある鷹津の答えに、ようやく和彦の中で、どうしようもない嫌悪感が湧き起こる。こんな男に自分は体を弄ばれたのだという事実が、いまさらながら和彦にのしかかる。
「強姦魔の間違いじゃないのか」
『まだ、ヤッてないだろ』
電話の向こうで鷹津が低く笑い声を洩らす。
「今、取り込み中だ。切るぞ」
『――クラブにいた男について、知りたい』
突然、鷹津の口調が真剣なものに変わる。何事かと思ったときには、和彦は電話を切るタイミングを失い、ある意味、刑事の術中に陥っていた。
「クラブにいた男?」
『その前は、家具屋でお前と一緒にいただろ。そのとき俺は、そいつに殴られた』
鷹津が言っているのは、秦のことだ。一体何を企んでいるのかと、沈黙して警戒する和彦に苛立ったように、鷹津が声を荒らげた。
『聞いてるのかっ。とにかく今から、俺と会え』
「……あんたには、ぼくに命令できる権利はない」
『一人で俺と会うのが怖いなら、番犬を連れて来い。――俺の質問に答えたら、お前にとってもおもしろい話を聞かせてやる』
鷹津の一方的な申し出を受ける気などなかったが、今の言葉で和彦の心は揺れた。
44
お気に入りに追加
1,391
あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…



塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる