血と束縛と

北川とも

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第10話

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「はい。先生とは、まだ短いおつき合いですが、そんなことを感じさせないぐらい、うちはお世話になっています。その恩と、これからの友好な関係のためにも、先生のクリニックのために何かできないかと、総和会として考えているんです」
 あまりに思いがけない申し出に、和彦は即座に言葉が出なかった。それどころか、どんな顔をすればいいのかすらわからない。
「もちろん、金銭的なものだけではなく、クリニックで働くスタッフについても、うちは力になれると思います。秘密保持という点から、信頼できる人間を側に置きたいとお考えでしょう? それに、警備も。これらを何も、長嶺組だけが負う必要はないのではないかと……」
 淀みない藤倉の話に呑み込まれそうになり、和彦は慌てて片手を上げて制止する。
「ちょっと待ってくださいっ……。非常に大事なお話ですが、長嶺組長には、もう相談されているんでしょうか?」
「いえ、まだです。正式なお話ではなく、あくまで、雑談としてお考えください。こういう話があると、先生に知っておいていただきたいというだけですから。長嶺組長には、総和会の上の者が正式な場を設けて、話すことになると思います。――先生の反応が前向きであれば、ですが」
 雑談と言いながらも、見えない圧力のようなものを感じる。一見、ヤクザとは思えない風貌をしている藤倉だが、十一の組をまとめている総和会という組織に身を置く男だ。普通の青年の顔をして野心家である中嶋と同じ、ヤクザなのだ。
「……金銭面に関しては、ぼくは長嶺組に世話になっているだけの身なので、個人的な意見を述べるつもりは……」
「大げさなものじゃありませんよ。先生に何かしてもらうというわけではなく、ただクリニックに、総和会の資本が入るかどうかというだけですから。先生さえ気にしないとおっしゃるなら、長嶺組長も大げさに考えないのでは? 今の長嶺組と総和会は、昵懇の間柄でもありますし」
 こんな言い方をされては、結論は一つしか許されていないようなものだ。困り果てた和彦が、無意識のうちに視線を中嶋に向けると、こちらも口出しはできないとばかりに、柔らかな苦笑で応えられた。
「ぼくは……」
 仕方なく意見を述べようとしたとき、和彦の携帯電話が鳴る。この瞬間思ったのは、助かった、ということだった。
 ジャケットのポケットから素早く取り出した携帯電話を握り締め、和彦は立ち上がる。
「すみません。組からの連絡かもしれないので、ちょっと出てきます」
 藤倉は笑顔で頷き、慌てて座敷を出た和彦は、襖を閉めると同時に、相手も確認しないまま電話に出ていた。
『――まさか、素直に電話に出るとは思わなかった』
 人を小馬鹿にしたような話し方と声に、瞬間的に鳥肌が立つ――はずだったが、和彦の体が最初に示した反応は、体温の上昇だった。
 めまいがしそうなほど体が熱くなると同時に、激しく動揺してしまう。ほんの数秒の間に和彦の中で駆け巡ったのは、電話の相手である鷹津から受けた、恥辱に満ちた行為の数々だった。
「なんの、用だ……」
 和彦はようやく声を絞り出したが、その時点ですでに後悔していた。電話の相手が鷹津だとわかったのなら、このまま電話を切ってしまえばよかったのだ。そうすれば少なくとも、鷹津の声を聞くという苦痛からは逃れられる。
『お前に聞きたいことがある。これから俺と会え』
「……あんた、何様だ」
『刑事だ』
 挑発的ですらある鷹津の答えに、ようやく和彦の中で、どうしようもない嫌悪感が湧き起こる。こんな男に自分は体を弄ばれたのだという事実が、いまさらながら和彦にのしかかる。
「強姦魔の間違いじゃないのか」
『まだ、ヤッてないだろ』
 電話の向こうで鷹津が低く笑い声を洩らす。
「今、取り込み中だ。切るぞ」
『――クラブにいた男について、知りたい』
 突然、鷹津の口調が真剣なものに変わる。何事かと思ったときには、和彦は電話を切るタイミングを失い、ある意味、刑事の術中に陥っていた。
「クラブにいた男?」
『その前は、家具屋でお前と一緒にいただろ。そのとき俺は、そいつに殴られた』
 鷹津が言っているのは、秦のことだ。一体何を企んでいるのかと、沈黙して警戒する和彦に苛立ったように、鷹津が声を荒らげた。
『聞いてるのかっ。とにかく今から、俺と会え』
「……あんたには、ぼくに命令できる権利はない」
『一人で俺と会うのが怖いなら、番犬を連れて来い。――俺の質問に答えたら、お前にとってもおもしろい話を聞かせてやる』
 鷹津の一方的な申し出を受ける気などなかったが、今の言葉で和彦の心は揺れた。

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