184 / 1,268
第10話
(6)
しおりを挟む組お抱えの医者は、こういう仕事もこなさなければならないのかと、内心でうんざりしながら、和彦は箸を動かす。
「先生、遠慮しないで、どんどん飲んでください」
中嶋の言葉に半ば反射的に頷く。和彦の好みをすでに把握しているらしく、膳とともに出されているのは、グラスワインだ。口当たりのいい美味しいワインだが、飲みすぎにだけは気をつけている。
中嶋の手前、形だけグラスに口をつけた和彦は、視線を泳がせたついでに、座敷を眺める。総和会の幹部がよく利用しているというだけあって、とにかく高そうな料亭だ。
総和会から呼び出しがかかったとき、いつものように、どこかの組から依頼された患者を診るものだと思ったが、そうではなかった。
中嶋に連れて行かれたのはこの高級料亭で、もちろんここで患者を診るわけではなく、昼食としては豪華すぎる食事をとることになった。
長嶺組の庇護を受けている和彦は、書類上は、総和会にも加入している。数か月前、長嶺組の加入書にサインしたあと、改めて場が設けられ、和彦は総和会の人間が見ている前で、今度は総和会の加入書にもサインをさせられた。その瞬間から、長嶺組だけでなく、総和会の身内となったのだ。
だからこそ、総和会から回ってくる仕事もこなしてきたのだが、和彦が直接引き受けるのではなく、長嶺組が仲介する形となっているため、正直なところ和彦には、自分が総和会の人間だという意識は希薄だった。
総和会側も、和彦については、仕事を依頼するたびに長嶺組から派遣されてくる医者、という認識だろう。傷一つつけないよう和彦を丁重に扱うが、それ以上でも、以下でもない。
ビジネスライクだが、面倒事に巻き込まれる可能性が低いのはありがたい。和彦は今日まで、そう考えていた――。
「クリニックの開業日は決まりましたか、先生?」
さきほどから話しかけてくるのは、総和会の藤倉だ。縁なし眼鏡をかけた印象の薄い容貌で、愛想よく話しかけてくる様子は、やはりビジネスマンのようだ。総和会の加入書に名前を書くよう求められてからのつき合いだが、こうして顔を合わせたのは、まだほんの数回ほどだ。
文書室筆頭という肩書きを持ち、事務処理を担当する藤倉は、和彦が総和会に回すカルテや処方箋の管理も行っているため、会話を交わす機会より、書類のやり取りのほうが遥かに多いのだ。
それが急に、慰労を兼ねて接待したいと言われれば、警戒心が乏しいと言われる和彦も、何事かと身構えてしまう。
「いえ、まだです。ただ、年明けには間に合わせるつもりです。クリニックそのものは、開業準備は順調に進んでいますから、あとは役所や関係機関への申請さえ無事に済めば……」
「なるほど。普通の医者が開業をするのとは、わけが違いますからね。その辺りは、細心の注意を払う必要があるというわけですか」
「ヤクザの道楽というには、金も手間も、何より、ぼくの人生がかかってますから」
和彦の言葉に、中嶋がちらりとこちらを見た。何を考えているかわからない眼差しに、居心地の悪さに拍車がかかる。
ここのところ明らかに、中嶋の和彦に対する態度は変わった。馴れ馴れしくない程度に和彦と親しくしていた中嶋だが、今はどこかよそよそしい。冷たくなったとか、悪意を向けられるとか、そういうわかりやすいものではないのだ。
おそらく、意識されている。そして、値踏みされている。和彦が秦にとってどういう人間なのかと。
秦のシンパといっても過言ではない中嶋としては、長嶺組組長のオンナである和彦と秦がキスする場面など見てしまっては、こんな態度を取って当然なのかもしれない。
状況を説明するべきなのかもしれないが、実のところ和彦にも、秦の考えなどわからないし、キスされたことも事実なのだ。それに、キスどころか――。
妖しい記憶が蘇りそうになり、和彦は慌ててワインを飲み干す。
ヤクザに接待されるという状況ですら肩が凝るのに、中嶋の態度を意識してしまうと、食事の味がわからなくなりそうだ。
「今の先生の言葉ですが、クリニックを開業するとなると、かかる金額も大きいんじゃないですか? 門外漢のわたしですら、医療機器は高価だと想像がつくぐらいです」
「ええ、まあ……。医者のぼくも、見積り金額に驚いたぐらいです」
食事中に出す話題としてはあからさまだと、思わず身構えた和彦に対して、藤倉は単刀直入に切り出した。
「――先生のクリニックに、総和会も協力させてもらえないだろうかと、そういう話が幹部会で挙がっているんですよ」
幹部会、と口中で反芻した和彦は、眉をひそめて藤倉に問いかける。
「総和会の、ですか?」
44
お気に入りに追加
1,391
あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…



塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる