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第10話
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しおりを挟む鷹津が帰ったあと、すぐに賢吾に連絡を取って、起こった出来事を報告した和彦は、バスルームに駆け込んだ。
念入りに何度も体を洗いながら、鷹津から投げかけられた言葉や、屈辱的な行為、恥知らずな自分の反応を湯と一緒に流してしまいたかったが、もちろんそれは不可能だ。
バスルームを出て、身震いしたくなるような嫌悪感と悔しさを、安定剤とともに無理やり飲み下す。何かあったときのためにと、心療内科医の友人に処方してもらっていたものだ。
ベッドに潜り込んだ和彦は、怒りに身を震わせ、シーツを握り締める。衝動のままに何かを殴りつけたくもあったが、和彦には、本当は自分自身を殴りたいのだとわかっていた。鷹津に精神的に打ちのめされた今、自分をさらに追い詰めるのは、つらい。
どうせ朝になれば、嫌というほど自己嫌悪に責め苛まれるのだ。だったら今は、薬の力を借りてでも眠ってしまったほうがいい。
少し前に、秦に安定剤を飲まされてひどい目に遭ったので、軽めのものを出してもらったのだが、それでも効き目は確かなようだ。緩やかな眠気がやってきて、和彦の思考は散漫になってくる。
いつの間にかウトウトしていると、ベッドが揺れ、体を横向きにしている和彦の背後で誰かが動いている気配を感じる。次の瞬間、強い力で腰を引き寄せられ、ぬくもりに包まれた。
一瞬、鷹津かと思って身を強張らせた和彦だが、しっかりと抱き締められ、腕の逞しさを感じると、体の力を抜く。眠る前に、自分が誰に連絡を取ったのか、思い出したのだ。
「――……わざわざ、来なくてよかったのに……。ぼくは平気だと、電話で話してわかったはずだ」
まだ意識がはっきりしないまま、寝ぼけた声で和彦が言うと、抱き締めてくる腕の力が強くなる。
「そう言うな。俺の可愛いオンナの一大事だ。駆けつけないわけにはいかねーだろ」
耳に唇が押し当てられ、忌々しいほど魅力的なバリトンが囁いてくる。シャワーを浴びてまだ半乾きの髪が、そっと掻き上げられた。
和彦がようやく目を開けると、ライトの控えめな明かりが、壁に大きな人影を作り出していた。今、和彦を背後から抱き締めている賢吾の影だ。
あごに手がかかり、頭を抱えるようにして振り向かされる。大蛇が潜んでいる目に間近から覗き込まれたが、夜中だというのに、冷たく怜悧な光を湛えていた。
「どこか痛めたか?」
和彦は電話で、鷹津に手荒なことをされて部屋に入り込まれ、体に触れられたという、端的な説明しかしていなかった。
「……腕を捻り上げられた。筋は痛めてないし、殴られたとか、そういうことはされていない」
「医者の先生が言うなら、確かだな。――電話をかけてきたあと、部屋で倒れているんじゃないかと心配だったが……、なかなかいい寝顔だった」
賢吾が口元に笑みを浮かべ、和彦も応じようとしたが、小さくあくびを洩らしてしまう。
「薬を飲んだのか?」
「……無理やりにでも寝ないと、あの男にされたことを考えて、悔しくて、苦しいんだ。……ひどい辱めを受けた。あんたたちがぼくにしたようなことは、もう二度とないと思っていたのに、まさか刑事にされるなんて――」
何をされたと問われ、和彦は唇を噛む。開いているドアのほうにちらりと視線を向けると、数人の人の気配がする。組長が夜動くとなれば、組員が同行してくるのは当然だろう。
「盗聴器で聴いていたんじゃないのか」
「これを機に、監視カメラも取り付けてみるか?」
今のこの状況で、賢吾の冗談は毒気が強すぎる。嫌悪感を覚えて和彦が小さく身震いすると、機嫌を取るように耳朶に唇が掠めた。
「盗聴器を仕掛けていたのは、この部屋だけだ。しかも、もう外してある。先生と三田村の秘め事の声を聴けただけで、満足したからな」
「絶対、ウソだ」
「どうだろうな。――さあ、サソリのような男に何をされたか、俺に教えてくれ」
いまさら、組員の耳や目を気にしても仕方ない。和彦は声を潜め、自分がされた行為を話す。
賢吾の変化には気づいていた。それは、鷹津の精で体を汚されたことまでを告げたとき、明らかなものとなる。賢吾は、ひどく楽しそうだった。興奮もしている。
和彦にはその理由が漠然とわかっていた。賢吾は、鷹津の目の前で和彦を抱くことで、性質の悪い刑事を――蛇蝎の片割れであるサソリを挑発したのだ。自分の〈オンナ〉に手を出してみろと。鷹津は、その挑発に乗った。
自分は利用されたのだとは思わなかった。それを言うなら、和彦は賢吾と最初に出会ったときからずっと、利用されている。
「――……あんたが何を企んでいるのか、よくわからない」
和彦がぽつりと洩らすと、賢吾はニヤリと笑う。
「先生を守る番犬は、一匹でも多いほうがいいと思ったんだ」
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