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第9話
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しおりを挟む後部座席のシートに体を預けた和彦は、大判の封筒から書類を取り出す。 保険医療機関として指定をもらうため、クリニックの申請をしなければならないのだが、表向き和彦は、クリニックに勤務する医者であり、名義上の経営者は別の医者となっている。
公的機関を欺くような申請はリスクがあるし、美容外科の分野では、健康保険の適用がない自由診療の施術がほとんどだ。だからといって、申請しないわけにはいかない。昼間は一般の患者を受け入れて、儲けについても考え、結果としてそれが、長嶺組との関係のカムフラージュになる。誰かに、普通のクリニックとは違うと感じさせてはいけないのだ。一部の例外を除いて。
長嶺組に名義を貸した医者には、相応の報酬が支払われ、その代わり、必要に応じてこうした書類の作成に協力してもらっている。大半のやり取りは電話や宅配業者を通してのものだが、重要な書類に関しては、長嶺組の人間を取りに行かせたりしている。
「――わざわざ先生まで出向かなくてもよかったのに。大事な書類とはいっても、俺が取りに行けば事足りたと思うが」
ハンドルを握る三田村に話しかけられ、書類から顔を上げた和彦は笑みをこぼす。
それこそ、若頭補佐の肩書きを持つほどの男がやるべき仕事ではないと思うが、和彦が絡むと、三田村の感覚は少々は狂うらしい。
「若頭補佐に使い走りなんてさせたら申し訳ないから、こうしてぼくがついてきたんだ。そうすれば、ぼくの護衛という仕事もこなせるからな」
「なるほど」
生まじめな口調で応じた三田村だが、バックミラーを覗き込むと、口元には笑みが浮かんでいた。
受け取ったときに一通り目を通した書類を、もう一度確認してから封筒に仕舞う。それを傍らに置いた和彦は、ウインドーの向こうに目を向ける。
ちょうど海岸線を走っているため、海沿いの景色を堪能できる。秋らしくなったとはいえ、まだ強い陽射しが海面に反射し、キラキラと輝いていた。
「……天気がよかったからなんだ」
ぽつりと洩らした和彦は、いつ見てもハッとさせられる鮮やかな青空へと目を向ける。
「朝、カーテンを開けたときから、外に出て、たっぷり陽射しを浴びたかった。だから、書類を受け取りに行くというのは、いい口実になった」
「できることなら一人で運転して、ドライブを楽しみたかった――、という口ぶりだ」
「そろそろ運転の仕方を忘れそうなんだ」
運転はダメだと言いたげに、三田村に小さく首を横に振られてしまった。和彦は軽くため息を洩らす。
「まあ、いい。もう一つの希望は叶えられたし」
「なんだ?」
「――忙しい若頭補佐と、平日の昼間からドライブを楽しむ」
三田村から返事はなかった。和彦は、ぐっと好奇心を抑え、三田村がどんな顔をしたのか、バックミラーを覗き込むような、はしたない行為はやめておく。
途中、自販機で缶コーヒーを買っていると、傍らに立った三田村に言われた。
「もう少し走ったところに、砂浜に下りられる場所があったはずだ。周りに店もないようなところだが、そこでいいなら、休憩していこう」
和彦は目を丸くして、無表情の三田村の顔を凝視する。
「……急いで帰らなくていいのか?」
「コーヒー一本飲む余裕ぐらいある」
当然、和彦の返事は決まっていた。
三田村が言っていたのは、きれいな人工砂浜のことだった。行きしなに見かけたときは数台の車が停まっていたが、今は一台だけだ。季節外れの海は、こんなものだろう。
缶コーヒーを持ったまま砂浜に下りてみると、離れた場所に、波打ち際ギリギリのところに並んで腰掛けている男女の姿があるが、他に人気はない。
靴に砂が入るため歩き回ることもできず、すぐに階段に引き返す。積み上げられたテトラポッドの陰に入り、強い陽射しを避けながら、思う存分海を眺めることができる。
「風が気持ちいい……」
階段に腰掛けた和彦が、柔らかく吹きつけてくる風に目を細めながら洩らすと、隣に腰掛けた三田村に缶コーヒーを取り上げられる。再び手に戻ってきたときには、しっかりプルトップが開けられていた。和彦はちらりと笑うと、缶に口をつける。
「夏場なら、いくらでも店が出ていて、にぎやかなんだがな。そういう光景を見ると、若い頃、勉強だと言われて、屋台でこき使われたときのことを思い出す」
思いがけない三田村の話に、和彦はつい身を乗り出して尋ねる。
「何か作ったりしたのか?」
「……反応がいいな、先生。ヤキソバは、年中通して作らされていた。さすがに杯を交わしてからは、そういう仕事は任されなくなったが、賄いとして、ときどき作っていた」
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