血と束縛と

北川とも

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第9話

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 何事もなくパーティーは終わりに近づき、和彦は一足先に帰るつもりでホールをそっと抜け出す。一声かけておこうと、受付を兼ねたレジカウンターに歩み寄ろうとしたとき、背後から柔らかな声で呼びとめられた。
「――先生」
 振り返ると、秦が大股で歩み寄ってくるところだ。逃げ出したいところだが、パーティーに招かれてそんな無作法もできず、足を止める。
「楽しんでいただけましたか?」
「ああ。酒が飲めなかったのは残念だが、料理は美味しかった」
 よかった、と洩らした秦が、一枚の名刺を差し出してくる。
「この店で、二次会をしています。こちらだと、いくらでも酒が楽しめますよ。なんといっても、クラブですから。今日は店の定休日でホストたちも出勤していないので、本当に、ただ飲んで、ゆっくりしてください」
「……二次会はけっこうだ。酒を飲むなら、部屋に帰って一人で飲む」
 露骨に警戒する和彦を見て、秦は意味ありげな笑みを唇の端に刻む。その表情が気になって、和彦は名刺を押し戻そうとしたが、反対に手を取られて押し付けられてしまった。
「おい――」
「ある人が、先生をお待ちですよ」
「ある人?」
「さきほど、店に電話がかかってきたんです。それでわたしが二次会の店をお教えして、先に寛いでいただいているというわけです」
 誰が待っているのか、秦は教えてくれなかった。
 二次会まで行く気はなかった和彦だが、待機している長嶺組の車に乗り込むと、こちらが何か言う前に、速やかに次の店へと向かい始める。名刺を見せるまでもなかった。
 つまり、〈誰か〉がすでに護衛の人間に用件を伝えて、指示を与えているということになる。それが誰であるか、考えるまでもない。
 パーティーの席で一滴も飲まなかった和彦だが、この時点で、酔いにも似た感覚に襲われる。
 そしてその感覚は、地下一階のクラブへと繋がる細長い階段を下りていくうちに、ますます強くなる。
 貸切という札がかかっている扉を開けると、夜のにぎわいを見せる地上のまばゆさとは対照的な、抑えめな照明の明かりとボーイに出迎えられた。
 店内へと案内されると、目の前の光景にふっと一瞬の既視感に襲われる。見覚えがあると感じたのは当然で、和彦はこの店を知っていた。実際に足を運んだのは今夜が初めてだが、クリニックのインテリアについて秦に相談したとき、写真で見せられたのだ。
 もう一軒の店同様、ホストクラブらしくない内装は、秦の好みが強く反映しており、インテリアの一つ一つも、物がいい。深みのある紫色がところどころで使われているが、妖しさを演出はしていても、下品にはなっていない。
 すでにレストランから移動してきた客が数人いたが、その中に一人だけ、カウンターで飲んでいるスーツ姿の男がいた。大柄で引き締まった体躯をしており、こちらに広い背を向けているにもかかわらず、近寄りがたい迫力を醸し出している。
 車中である程度の覚悟はしていたが、こんな場で見るこの男のインパクトは強烈だ。
 強張った息を吐き出した和彦は、知らない顔をするわけにもいかず、静かに歩み寄った。
「――……なんで、ここにいるんだ」
 和彦が話しかけると、長嶺組組長という物騒な肩書きを持つ男が、肩越しに振り返った。
「ホストクラブというから、ロクな酒がないのかと思ったが、ここはいい酒が揃ってるぞ。バーテンの腕も確かだ」
 そんなことは聞いていないと、賢吾を軽く睨みつける。唇に薄い笑みを湛えた賢吾に指先で呼ばれ、和彦は隣のスツールに腰掛ける。
「どうしてあんたが、ここにいる」
「仕事が早く片付いてな。それで、先生の浮気相手の顔を拝んでやろうと思ったんだ」
 浮気相手という表現に、つい賢吾を怒鳴りつけそうになったが、店内に音楽が流れているとはいえ大声を出して目立ちたくない。そこで和彦は、靴の先で賢吾の足を軽く突いた。
「……ぼくがパーティーのことを話したときから、こうするつもりだったんだろ」
 賢吾はニヤリと笑って話を続ける。
「乗り込んでいいか、レストランに電話して確認しようとしたら、ここで二次会をやると秦に教えられた。そこで、先生の先回りをしたというわけだ」
「……一杯飲んで、満足したか? ここは普通の客ばかりなんだ。あんたみたいな物騒な男がいたら、こっちがハラハラする」
「おとなしくしてるぜ? 俺は、紳士的な男だ。酒を出す場で暴れたりしない」

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