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第9話
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和彦の身に何が起こっていたかすべて知った三田村としては、秦が何かを企み、中嶋もそれに乗っていると考えても仕方ないだろう。だが、中嶋が総和会の代紋を背負っている限り、和彦の身を預けないわけにはいかない。
賢吾は、どういう意図かはわからないが、中嶋の今回の行動について総和会に一切の報告をしていない。
総和会とは関わりなく、中嶋個人の行動なら、しばらく様子を見てみる――。それが、長嶺組組長が出した結論だ。和彦にとやかく言う権利はなかったし、中嶋の立場を悪くしたいとも思わないので、今はそれでいいのだろう。
「総和会の仕事のときは大丈夫だろう。治療が終われば、その場であんたに連絡するから、ぼくを連れ去ってどうこうなんてできないし、中嶋くんがそう手荒な手段に出るとも思わない。彼がぼくに望んでいたのは、秦を治療させることだけだ」
「だったら、その秦が、先生を連れてくるよう中嶋に頼んだら?」
「ぼくは正直に組長に報告して、指示を仰ぐだけだ。……独断で動かない。これは約束する」
三田村の肩がわずかに下がる。どうやら、深く息を吐き出したらしい。危なっかしい和彦のために、三田村は気を張っているのだ。
「……大変だな、三田村」
和彦の言葉に、こちらに横顔を向けた三田村がちらりと苦い笑みを浮かべた。
「他人事みたいに言わないでくれ、先生」
そうでした、と和彦が口中で応じたすぐあとに、三田村は元の無表情にいくらかの厳しさを加えた顔となり、ある一点を見つめる。つられて同じ方向を見た和彦の目に、こちらに歩み寄ってくる中嶋の姿が入った。
中嶋は本当に、秦から肝心なことを知らされていないのだろうかと、缶コーヒーを飲みながら和彦は考える。
一応、患者の治療は終わったのだが、点滴後の容態を確認したいため、こうしてイスに腰掛けて待っていた。雑居ビルの殺風景な一室で、テレビや新聞といった気の利いたものもなく、手持ち無沙汰の和彦はさきほどから、同じ部屋にいる人間たちの様子を漫然と眺めていた。
患者が所属している組の人間らしき男たちは、しきりに携帯電話で連絡を取り合っており、対照的に落ち着いているのは、総和会の人間だ。
その中で、一際若く見える中嶋は一人、慌ただしく動いている。携帯電話を片手に部屋を行き来しながら誰かに指示を出し、部屋を訪れる人間たちと短く会話を交わしては、今度は誰かの指示を仰いでいる。合間に、和彦に声をかけてくることも忘れない。
この様子だと、ここで中嶋と話し込むことは不可能だった。移動の車中でも、和彦は患者の容態について詳しい説明を受けたり、準備するものについて指示を与えていたので、中嶋とまともに交わせた言葉はほんの二、三言だ。
点滴がそろそろ終わると教えられ、和彦は席を立つ。簡単な処置を終え、薬の処方を書いた紙を渡したところで、和彦の仕事はようやく終わりだ。
即座に携帯電話で三田村に連絡を取り、これから部屋を出ることを告げる。その間に、中嶋が側に歩み寄ってきた。
「――ご苦労さまでした」
部屋を出たところで中嶋にそう声をかけられる。和彦は、部屋では言えなかった感想を率直に洩らした。
「ヤクザは嫌いだ」
「……今頃、どうしたんですか?」
「〈落とし前〉という行為は、吐き気がする」
ああ、と声を洩らした中嶋が笑みを見せる。同時に、和彦の肩に手をかけて、エレベーターホールへ移動するよう促す。
和彦がさきほどまで行っていたのは、切断した指の治療だ。もちろん事故によるものではなく、組員が自分で指を切断して、その後の止血と治療のため和彦が呼ばれたというわけだ。
「あれは、きちんと病院に連れて行ったら、指は接合できたかもしれない。よほど上手く指を落したのか、骨も血管もきれいだった」
「くっつけたら、落とし前になりませんよ、先生」
「わかっている。医者として、言ってみただけだ」
二人はエレベーターに乗り込む、中嶋がボタンを押す。
「最近は、落とし前のために指を落とさせる組は、前ほど多くないみたいですよ。指か金か、と選択させるんです。俺も、それをやられたんです」
こちらに背を向けている中嶋の言葉に、エレベーターが一階に着くまでの間、和彦は首を傾げる。ここでやっと、中嶋の言おうとしていることを察した。
「もしかして、君が二十歳そこそこで借金を背負ったときに……」
「指を落としたところで、結局借金は背負わなきゃいけないんだ。だったら、それに落とし前の金を上乗せしたほうがいい。少なくとも、指はなくさなくて済む。――まあ、借金を返せなかったら、指一本落とされるぐらいじゃ済まなかったでしょうけどね」
賢吾は、どういう意図かはわからないが、中嶋の今回の行動について総和会に一切の報告をしていない。
総和会とは関わりなく、中嶋個人の行動なら、しばらく様子を見てみる――。それが、長嶺組組長が出した結論だ。和彦にとやかく言う権利はなかったし、中嶋の立場を悪くしたいとも思わないので、今はそれでいいのだろう。
「総和会の仕事のときは大丈夫だろう。治療が終われば、その場であんたに連絡するから、ぼくを連れ去ってどうこうなんてできないし、中嶋くんがそう手荒な手段に出るとも思わない。彼がぼくに望んでいたのは、秦を治療させることだけだ」
「だったら、その秦が、先生を連れてくるよう中嶋に頼んだら?」
「ぼくは正直に組長に報告して、指示を仰ぐだけだ。……独断で動かない。これは約束する」
三田村の肩がわずかに下がる。どうやら、深く息を吐き出したらしい。危なっかしい和彦のために、三田村は気を張っているのだ。
「……大変だな、三田村」
和彦の言葉に、こちらに横顔を向けた三田村がちらりと苦い笑みを浮かべた。
「他人事みたいに言わないでくれ、先生」
そうでした、と和彦が口中で応じたすぐあとに、三田村は元の無表情にいくらかの厳しさを加えた顔となり、ある一点を見つめる。つられて同じ方向を見た和彦の目に、こちらに歩み寄ってくる中嶋の姿が入った。
中嶋は本当に、秦から肝心なことを知らされていないのだろうかと、缶コーヒーを飲みながら和彦は考える。
一応、患者の治療は終わったのだが、点滴後の容態を確認したいため、こうしてイスに腰掛けて待っていた。雑居ビルの殺風景な一室で、テレビや新聞といった気の利いたものもなく、手持ち無沙汰の和彦はさきほどから、同じ部屋にいる人間たちの様子を漫然と眺めていた。
患者が所属している組の人間らしき男たちは、しきりに携帯電話で連絡を取り合っており、対照的に落ち着いているのは、総和会の人間だ。
その中で、一際若く見える中嶋は一人、慌ただしく動いている。携帯電話を片手に部屋を行き来しながら誰かに指示を出し、部屋を訪れる人間たちと短く会話を交わしては、今度は誰かの指示を仰いでいる。合間に、和彦に声をかけてくることも忘れない。
この様子だと、ここで中嶋と話し込むことは不可能だった。移動の車中でも、和彦は患者の容態について詳しい説明を受けたり、準備するものについて指示を与えていたので、中嶋とまともに交わせた言葉はほんの二、三言だ。
点滴がそろそろ終わると教えられ、和彦は席を立つ。簡単な処置を終え、薬の処方を書いた紙を渡したところで、和彦の仕事はようやく終わりだ。
即座に携帯電話で三田村に連絡を取り、これから部屋を出ることを告げる。その間に、中嶋が側に歩み寄ってきた。
「――ご苦労さまでした」
部屋を出たところで中嶋にそう声をかけられる。和彦は、部屋では言えなかった感想を率直に洩らした。
「ヤクザは嫌いだ」
「……今頃、どうしたんですか?」
「〈落とし前〉という行為は、吐き気がする」
ああ、と声を洩らした中嶋が笑みを見せる。同時に、和彦の肩に手をかけて、エレベーターホールへ移動するよう促す。
和彦がさきほどまで行っていたのは、切断した指の治療だ。もちろん事故によるものではなく、組員が自分で指を切断して、その後の止血と治療のため和彦が呼ばれたというわけだ。
「あれは、きちんと病院に連れて行ったら、指は接合できたかもしれない。よほど上手く指を落したのか、骨も血管もきれいだった」
「くっつけたら、落とし前になりませんよ、先生」
「わかっている。医者として、言ってみただけだ」
二人はエレベーターに乗り込む、中嶋がボタンを押す。
「最近は、落とし前のために指を落とさせる組は、前ほど多くないみたいですよ。指か金か、と選択させるんです。俺も、それをやられたんです」
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「指を落としたところで、結局借金は背負わなきゃいけないんだ。だったら、それに落とし前の金を上乗せしたほうがいい。少なくとも、指はなくさなくて済む。――まあ、借金を返せなかったら、指一本落とされるぐらいじゃ済まなかったでしょうけどね」
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