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第9話
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三田村は、ごっそりと感情をどこかに置き忘れたかのような無表情を保っていたが、一方の賢吾は、ニヤニヤと笑っていた。和彦の反応をおもしろがっているのだろうかと、最初は訝しんだのだが、どうやらそうではなく、鷹津の行動に何かしら感じたようだ。意地の悪い男は、それがなんであるか、当然和彦に教えてはくれなかった。
表面上の無表情さとは裏腹に、和彦が知るどの男よりも優しい三田村は、何かと気遣ってくれる。実際和彦は、鷹津のことを正直に話したところで、鬱屈した感情は少しも軽くなってはいない。
蛇蝎の片割れである男に侮辱されたことが、ささやかに残っている和彦のプライドを踏みにじり、それが痛みを生む。いまさら取り繕うものもないのに、人並みの体面を保とうとする自分が、心のどこかで忌々しくもあるのだ。
「あんな男に言われたことを気にする自分に、腹が立つ……」
「見た目によらず、先生は気性が激しい」
三田村の声が笑いを含んでいるように聞こえ、視線を再びバックミラーに向ける。思ったとおり、三田村の目元は和らいでいた。そんな表情を目にして、和彦の気持ちも少しだけ柔らかくなる。
「……そうだな。こんな生活に入る前なら、誰に何を言われても、大して気にかけてなかっただろうな」
「鷹津の件もあるし、組員の一人を先生の秘書ということにでもして、クリニックにも同行させようという話になっている。ビルの外でいくら人の出入りを見張らせていても、やはり危険だ」
「あの刑事相手だと、かえって危ない気もするけどな。どんな理由をつけて、長嶺組の人間を警察署に連れて行くかわからない」
「――先生も、長嶺組の人間だ」
強い口調で三田村に言われ、和彦はハッとする。話しながら、すっかりその認識が抜け落ちていた。髪に指を差し込み、苦い口調で洩らす。
「そうだった……。ぼくにも遠慮しないと、あの男に言われたんだ……」
「先生は大事な身なんだから、黙って守られてくれればいい。そのほうが俺たちも安心できる。先生はもう、組にとってかけがえのない存在なんだ。それを自覚してほしい」
三田村の迫力に圧されてから、和彦は頷く。これだけ真剣ということは、本気で和彦を心配してくれているのだ。
ヤクザではない和彦の警戒心の薄さを思えば、仕方ないのかもしれない。それに、今こうして忠告されるのも、三田村なりの理由があるのだ。
車はファストフード店の駐車場に入り、エンジンが切られる。三田村は車中から慎重に駐車場を見回してから、腕時計に視線を落とした。つられて和彦も、自分の腕時計を見る。約束の時間には、まだ少し間があった。
「先生、何か腹に入れておきたいなら、買いに行くが……」
三田村が振り返り、そう声をかけてくる。和彦は首を横に振ると、身を乗り出して三田村の頬に触れた。三田村は表情を変えないまま和彦の手を掴み、てのひらに唇を押し当ててくる。
その感触に微かな胸の疼きを覚えながらも、人目を気にした和彦は、三田村のあごの傷跡を指先で撫でてから手を引く。
「……心配でたまらない、って様子だな」
和彦の言葉に、三田村は前に向き直って答えた。
「ああ、心配でたまらない」
どんな顔をして言ったのか確認したい誘惑に駆られながら、和彦はシートにもたれかかる。
「中嶋くんは、大丈夫だ。彼は、秦を慕ってはいるが、秦自身のことはあまりよく知らないみたいだ」
「だが、いつ秦の悪だくみに引き込まれるかわからない。若いが、中嶋は切れ者だ。自分の利益となるなら、なんだってする。元の組にいた頃も、汚れ仕事を厭わなかったと聞いている」
若くして組で出世するために、中嶋もさまざまなことに手を染めているだろう。普通の青年の顔をしていようが、ヤクザはヤクザだ。
「秦と繋がっていることで利益を生むなら、中嶋は先生さえ利用するだろう。実際、長嶺組や総和会に報告することなく、先生に秦を治療させた」
「あれは――」
中嶋のきわめて個人的な感情ゆえの行動だと言いたかったが、うまく説明できる自信がなかった。仮に説明できたとしても、先生は甘い、の一言で済まされそうだ。
三田村はただ、和彦を守ることを優先している。そこに、長嶺組とは関わりのない男たちの思惑など関係ないのだ。そして三田村の姿勢は、長嶺組の組員として正しい。
和彦はこれから、総和会の仕事で患者を診なければならない。そのためここで待ち合わせをして、いつものように総和会が準備した車に乗り換えなければならない。もちろん運転手は、中嶋だ。
表面上の無表情さとは裏腹に、和彦が知るどの男よりも優しい三田村は、何かと気遣ってくれる。実際和彦は、鷹津のことを正直に話したところで、鬱屈した感情は少しも軽くなってはいない。
蛇蝎の片割れである男に侮辱されたことが、ささやかに残っている和彦のプライドを踏みにじり、それが痛みを生む。いまさら取り繕うものもないのに、人並みの体面を保とうとする自分が、心のどこかで忌々しくもあるのだ。
「あんな男に言われたことを気にする自分に、腹が立つ……」
「見た目によらず、先生は気性が激しい」
三田村の声が笑いを含んでいるように聞こえ、視線を再びバックミラーに向ける。思ったとおり、三田村の目元は和らいでいた。そんな表情を目にして、和彦の気持ちも少しだけ柔らかくなる。
「……そうだな。こんな生活に入る前なら、誰に何を言われても、大して気にかけてなかっただろうな」
「鷹津の件もあるし、組員の一人を先生の秘書ということにでもして、クリニックにも同行させようという話になっている。ビルの外でいくら人の出入りを見張らせていても、やはり危険だ」
「あの刑事相手だと、かえって危ない気もするけどな。どんな理由をつけて、長嶺組の人間を警察署に連れて行くかわからない」
「――先生も、長嶺組の人間だ」
強い口調で三田村に言われ、和彦はハッとする。話しながら、すっかりその認識が抜け落ちていた。髪に指を差し込み、苦い口調で洩らす。
「そうだった……。ぼくにも遠慮しないと、あの男に言われたんだ……」
「先生は大事な身なんだから、黙って守られてくれればいい。そのほうが俺たちも安心できる。先生はもう、組にとってかけがえのない存在なんだ。それを自覚してほしい」
三田村の迫力に圧されてから、和彦は頷く。これだけ真剣ということは、本気で和彦を心配してくれているのだ。
ヤクザではない和彦の警戒心の薄さを思えば、仕方ないのかもしれない。それに、今こうして忠告されるのも、三田村なりの理由があるのだ。
車はファストフード店の駐車場に入り、エンジンが切られる。三田村は車中から慎重に駐車場を見回してから、腕時計に視線を落とした。つられて和彦も、自分の腕時計を見る。約束の時間には、まだ少し間があった。
「先生、何か腹に入れておきたいなら、買いに行くが……」
三田村が振り返り、そう声をかけてくる。和彦は首を横に振ると、身を乗り出して三田村の頬に触れた。三田村は表情を変えないまま和彦の手を掴み、てのひらに唇を押し当ててくる。
その感触に微かな胸の疼きを覚えながらも、人目を気にした和彦は、三田村のあごの傷跡を指先で撫でてから手を引く。
「……心配でたまらない、って様子だな」
和彦の言葉に、三田村は前に向き直って答えた。
「ああ、心配でたまらない」
どんな顔をして言ったのか確認したい誘惑に駆られながら、和彦はシートにもたれかかる。
「中嶋くんは、大丈夫だ。彼は、秦を慕ってはいるが、秦自身のことはあまりよく知らないみたいだ」
「だが、いつ秦の悪だくみに引き込まれるかわからない。若いが、中嶋は切れ者だ。自分の利益となるなら、なんだってする。元の組にいた頃も、汚れ仕事を厭わなかったと聞いている」
若くして組で出世するために、中嶋もさまざまなことに手を染めているだろう。普通の青年の顔をしていようが、ヤクザはヤクザだ。
「秦と繋がっていることで利益を生むなら、中嶋は先生さえ利用するだろう。実際、長嶺組や総和会に報告することなく、先生に秦を治療させた」
「あれは――」
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三田村はただ、和彦を守ることを優先している。そこに、長嶺組とは関わりのない男たちの思惑など関係ないのだ。そして三田村の姿勢は、長嶺組の組員として正しい。
和彦はこれから、総和会の仕事で患者を診なければならない。そのためここで待ち合わせをして、いつものように総和会が準備した車に乗り換えなければならない。もちろん運転手は、中嶋だ。
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