血と束縛と

北川とも

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第9話

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 クールに応じながら鷹津を一瞥すると、奇妙な生き物でも見るような眼差しが向けられていた。そこには、好奇心と嫌悪、他人に不愉快さをもたらす熱っぽさが含まれている。
 ほう、と声を洩らした鷹津は、皮肉っぽく唇を歪めた。
「大した度胸だな。組長のオンナが、その忠犬と浮気しているのか」
「脅すネタができたと思ったのだとしたら、残念だな。組長は知っている。というより、組長公認だ。――三田村は、ぼくのオトコだ」
 鷹津の表情は純粋な嫌悪に占められたが、和彦はなんとも思わなかった。お互い様だ。
「……ヤクザに目をつけられた可哀想な一般人じゃないわけだな。ヤクザの組長のオンナになって、その犬をオトコにして……。はっ、大したもんだ。お前みたいに図太い奴は、滅多にいないぞ」
 罵倒されて和彦が感じるのは、自分はもう、前の自分とは違うのだという静かな達観だった。ヤクザに囲まれて生活していると麻痺してしまうが、こうして刑事の鷹津に言われると、今いる世界は自分の一部になったのだと痛感する。
 そして、その世界を汚されたくないとも。
 和彦は、自分の率直な心の声に、思わず笑ってしまう。鷹津から険しい顔で睨まれたが、それでも笑いを止めることはできず、とうとう声を洩らして肩を震わせる。
 最初に辱められ、なし崩しのように賢吾と関係を持ち、協力させられてきて、とうとうこんな気持ちを抱くに至った自分に、呆れる反面、感嘆してしまう。それらを含めて、自分の愚かさが愛しくもある。
「何がおかしい……」
「別に。ヤクザのオンナと、その犬の最中の声を、あんたはどんな顔して電話の向こうで聞いていたのかと思ったら、おかしくなっただけだ」
 挑発的な和彦の言葉に、鷹津は皮肉で返してくるかと思ったが、唇を引き結んで睨みつけられた。今にも食らいつかれそうな迫力に、さすがに和彦も笑みを消し、虚勢で睨み返す。
「――……ぼくは、あんたの力を借りる気はない。もし仮に逃げ出したくなっても、あんたにだけは絶対頼らない」
 和彦がドアを指さすと、鷹津は黙って立ち上がり、出ていこうとする。しかし、ドアノブに手をかけたところで、突然、振り返った。鷹津のこの一連の行動に見覚えがあった和彦は、露骨に顔をしかめる。
「また、お茶を飲ませろ、か?」
「いや……」
 鷹津が大股で歩み寄ってきたので、驚いた和彦は慌てて立ち上がる。すると、乱暴に腕を掴まれて引き寄せられた。何事かと目を見開く和彦に、鷹津がニッと笑いかけてくる。
「この間言っていた、お茶よりいいものを、今もらいたい」
 そう言って鷹津の顔が迫り、唇に熱い息がかかる。危機感よりも先に、嫌悪感が働いていた。鳥肌が立ち、体が硬直して動けない。息を詰めた和彦の顔を、一変して冷めた表情で見つめてから、鷹津は小さく舌打ちした。
「さすがに、よく調教されてるな。どんな男が相手でも、おとなしく咥え込めとでも言われているのか?」
 カッとした和彦がようやく抵抗しようとした瞬間、先に鷹津に突き飛ばされ、よろめいてデスクに手を突く。そんな和彦を、鷹津はせせら笑った。
「俺が本気で、お前みたいな奴に手を出すとでも思ったか。あいにく俺は、そっちの趣味はないし、何より、ヤクザと、そのヤクザと寝ているような奴には、汚くて触れたくもねーんだ」
 悪意に満ちた言葉を投げつけて、鷹津が部屋を出ていく。一人残された和彦は、嫌悪と屈辱、羞恥のため、小刻みに体を震わせていた。相手が鷹津だからこそ、より堪えた。
 大抵のことは言われ慣れているつもりだったが、まだ甘かったらしい。和彦は、心が発する痛みに、しばらくその場から動けなかった。




 無意識にため息をつくと、ハンドルを握った三田村がバックミラー越しにちらりとこちらを見る。それに気づいた和彦は、つい背筋を伸ばしてシートに座り直す。だが数分も経たないうちに、またシートに深くもたれかかり、ため息をついていた。
「――まだ、気にしているのか、先生」
 放っておけなくなったのか、三田村が話しかけてくる。何を、と問いかける必要はなかった。和彦は三田村に――賢吾にもだが、気になることがあればすべて報告すると決めたのだ。千尋も含めた三人がかりで体を貪られ、快感を与えられた出来事で、そうすべきだと体に叩き込まれたともいえる。
 そんなことがあってから初めて報告したのが、クリニックに鷹津がやってきたことと、投げつけられた言葉だった。

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