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第9話
(7)
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最初の頃に見せていた冷たく凍りつくような目は、もしかすると賢吾と対峙するために身につけた、この男なりの武器なのかもしれない。少なくとも今のような目のほうが、鷹津には相応しい気がする。
和彦は敵意と嫌悪感を隠そうともせず、鷹津を睨みつける。一方の鷹津は、オールバックにした髪を撫でてから、澄ました顔で切り出した。
「この間、俺が言ったことだ。さっさと返事を聞こうと思って電話したときは、お取り込み中みたいだったからな。だからわざわざ、こうして足を運んでやった」
「刑事って職業は、暇みたいだな」
「ヤクザのオンナのほうは、尻を休ませる暇もないみたいだな」
和彦は、感情を覆い隠した鷹津の顔を見つめた後、冷めた声で吐き捨てた。
「そんなことを言うために来たんなら、満足しただろ。さっさと帰れ」
「おい、冗談だ。まさか、本当のことを言われて怒ったのか?」
この男が嫌いでたまらなかった。だが、自分一人で追い返せる自信はなく、だからといって護衛の組員をここに呼びたくはない。
待合室を行き来する作業員をちらりと見た和彦は、指先をわずかに動かして鷹津を奥の部屋へと誘導する。
一応、仮眠室となるこの部屋には、すでに最低限の家具が運び込まれている。簡易ベッドに小さなテーブルとイスといったもので、和彦一人が仮眠をとるには十分だ。だが、家具を運び入れた状態で大柄な鷹津と一緒だと、圧迫感を感じる。
「――長嶺は、かなりお前に入れ込んでいるようだな。女に店を持たせる……という話はよくあるが、まさか、クリニックを開業させるなんてな。さすが、長嶺組長は豪気だ」
台詞とは裏腹に、鷹津の口調は芝居がかったように皮肉に満ちていた。クリニックの開業については、和彦自身、危ない橋を渡っている最中のため、迂闊なことは言えない。
露骨に聞こえなかったふりをして、イスに腰掛ける。鷹津も深く追及はせず、軽く鼻を鳴らしてから、ベッドに腰掛けた。
「長嶺から逃げ出す気はないのか?」
まるで世間話でもするかのように、さらりと鷹津が切り出す。このとき煙草を取り出したので、和彦は睨みつけていた。改装を終えたばかりのこの部屋に、最初に煙草の匂いを染み込ませたくなかったのだ。
和彦の視線に気づいた鷹津が苦い表情を浮かべ、意外なほど素直に煙草を仕舞う。これでやっと、会話を交わせる気になる。
「……逃げ出すだけなら、いつでもできる。別にぼくは、監視されているだけじゃない」
「逃げ出す気も失せるほど、ヤクザのオンナってのはいい生活が送れるみたいだな」
「嫌味を言いに来ただけなら、さっさと帰ってくれ。ぼくは、あんたと違って忙しい」
立ち上がろうとした和彦だが、かまわず鷹津は会話を続ける。
「長嶺組から、お前を引き離してやるというのは、本気だ」
「あんたが、タダ働きをするようには見えないんだが」
熱のこもらない口調で和彦が応じると、鷹津はニヤニヤと嫌な笑みを浮かべ、座るよう指先で示す。仕方なく和彦はイスに座り直した。
「お前が、俺の親切な申し出を断れば、遠慮はしない。他のヤクザどもと同じように扱う」
これまでも遠慮したことなどなかっただろうと思いながらも、さすがの和彦も声には出さない。賢吾とは違い、鷹津が和彦の憎まれ口を軽く受け流すとは思えなかった。
鷹津は、賢吾の言葉を借りるなら、サソリだ。こちらに確実にダメージを与える毒を持っており、相手が長嶺組に関わりのある人間だとすれば、容赦なく毒針を突き立ててくるだろう。特に、弱い相手には。
「だったら最初から、ぼくを尾行したり、手間のかかることをしなくてよかっただろう」
「長嶺に、お気に入りのオンナに逃げられるという屈辱を与えてみたかった」
「――陰険」
「よく言われる。なんといっても俺は、男にも女にも好かれない人間だからな」
いい加減、鷹津を睨みつけるのも疲れた和彦は、窓から見える景色に視線を向ける。すると、横顔に鷹津の強い視線を感じる。ここまで触れなかったのが不思議だった話題を、やっと鷹津は切り出した。
「お前は、若頭補佐とも寝ているのか」
反射的に鷹津のほうを見そうになった和彦だが、ギリギリのところで堪え、じっと窓を見据え続ける。鷹津と顔を合わせたら、確実に言われると思っていたことだ。だが、それでも顔が熱くなるのは抑えられない。
「三田村、と呼んでいたな。長嶺の忠実な犬も、三田村といったはずだ。有能で、組長によく仕えて、長嶺組の前組長……今は総和会の会長か――も気に入っているという男だ。若頭に引き立てられるのも間近だと言われていた」
「ぼくが知る限り長嶺組には、三田村という男は一人しかいない。多分、あんたが言っている三田村だろうな」
和彦は敵意と嫌悪感を隠そうともせず、鷹津を睨みつける。一方の鷹津は、オールバックにした髪を撫でてから、澄ました顔で切り出した。
「この間、俺が言ったことだ。さっさと返事を聞こうと思って電話したときは、お取り込み中みたいだったからな。だからわざわざ、こうして足を運んでやった」
「刑事って職業は、暇みたいだな」
「ヤクザのオンナのほうは、尻を休ませる暇もないみたいだな」
和彦は、感情を覆い隠した鷹津の顔を見つめた後、冷めた声で吐き捨てた。
「そんなことを言うために来たんなら、満足しただろ。さっさと帰れ」
「おい、冗談だ。まさか、本当のことを言われて怒ったのか?」
この男が嫌いでたまらなかった。だが、自分一人で追い返せる自信はなく、だからといって護衛の組員をここに呼びたくはない。
待合室を行き来する作業員をちらりと見た和彦は、指先をわずかに動かして鷹津を奥の部屋へと誘導する。
一応、仮眠室となるこの部屋には、すでに最低限の家具が運び込まれている。簡易ベッドに小さなテーブルとイスといったもので、和彦一人が仮眠をとるには十分だ。だが、家具を運び入れた状態で大柄な鷹津と一緒だと、圧迫感を感じる。
「――長嶺は、かなりお前に入れ込んでいるようだな。女に店を持たせる……という話はよくあるが、まさか、クリニックを開業させるなんてな。さすが、長嶺組長は豪気だ」
台詞とは裏腹に、鷹津の口調は芝居がかったように皮肉に満ちていた。クリニックの開業については、和彦自身、危ない橋を渡っている最中のため、迂闊なことは言えない。
露骨に聞こえなかったふりをして、イスに腰掛ける。鷹津も深く追及はせず、軽く鼻を鳴らしてから、ベッドに腰掛けた。
「長嶺から逃げ出す気はないのか?」
まるで世間話でもするかのように、さらりと鷹津が切り出す。このとき煙草を取り出したので、和彦は睨みつけていた。改装を終えたばかりのこの部屋に、最初に煙草の匂いを染み込ませたくなかったのだ。
和彦の視線に気づいた鷹津が苦い表情を浮かべ、意外なほど素直に煙草を仕舞う。これでやっと、会話を交わせる気になる。
「……逃げ出すだけなら、いつでもできる。別にぼくは、監視されているだけじゃない」
「逃げ出す気も失せるほど、ヤクザのオンナってのはいい生活が送れるみたいだな」
「嫌味を言いに来ただけなら、さっさと帰ってくれ。ぼくは、あんたと違って忙しい」
立ち上がろうとした和彦だが、かまわず鷹津は会話を続ける。
「長嶺組から、お前を引き離してやるというのは、本気だ」
「あんたが、タダ働きをするようには見えないんだが」
熱のこもらない口調で和彦が応じると、鷹津はニヤニヤと嫌な笑みを浮かべ、座るよう指先で示す。仕方なく和彦はイスに座り直した。
「お前が、俺の親切な申し出を断れば、遠慮はしない。他のヤクザどもと同じように扱う」
これまでも遠慮したことなどなかっただろうと思いながらも、さすがの和彦も声には出さない。賢吾とは違い、鷹津が和彦の憎まれ口を軽く受け流すとは思えなかった。
鷹津は、賢吾の言葉を借りるなら、サソリだ。こちらに確実にダメージを与える毒を持っており、相手が長嶺組に関わりのある人間だとすれば、容赦なく毒針を突き立ててくるだろう。特に、弱い相手には。
「だったら最初から、ぼくを尾行したり、手間のかかることをしなくてよかっただろう」
「長嶺に、お気に入りのオンナに逃げられるという屈辱を与えてみたかった」
「――陰険」
「よく言われる。なんといっても俺は、男にも女にも好かれない人間だからな」
いい加減、鷹津を睨みつけるのも疲れた和彦は、窓から見える景色に視線を向ける。すると、横顔に鷹津の強い視線を感じる。ここまで触れなかったのが不思議だった話題を、やっと鷹津は切り出した。
「お前は、若頭補佐とも寝ているのか」
反射的に鷹津のほうを見そうになった和彦だが、ギリギリのところで堪え、じっと窓を見据え続ける。鷹津と顔を合わせたら、確実に言われると思っていたことだ。だが、それでも顔が熱くなるのは抑えられない。
「三田村、と呼んでいたな。長嶺の忠実な犬も、三田村といったはずだ。有能で、組長によく仕えて、長嶺組の前組長……今は総和会の会長か――も気に入っているという男だ。若頭に引き立てられるのも間近だと言われていた」
「ぼくが知る限り長嶺組には、三田村という男は一人しかいない。多分、あんたが言っている三田村だろうな」
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