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第9話
(1)
しおりを挟む長嶺の本宅の中庭は、相変わらず手入れが行き届いていた。落ち葉の一枚も許さないかのように清められ、人が寛ぐために足を踏み込むことは、本来許されていないのではないかと思うほどだ。
しかし、一度でもこの中庭で時間を過ごすと、本宅のどこよりも寛げる場所だと思えてくる。
テーブルについた和彦はコーヒーを一口飲むと、木陰を作る木を見上げる。季節が夏から秋へと移りつつあるのに、相変わらず木陰に避難しなくてはならないほど陽射しは強い。ただ、ときおり吹く風だけは秋を感じさせる。
涼しい風がさらりと髪を揺らしていく。和彦は強張った息を吐き出すと、緊張のため味もわからなくなっているコーヒーをもう一口飲む。なんとか落ち着きを保っているが、正直なところ、中庭を歩き回って気を紛らわせたいところだ。
審判が下されるのを待つ罪人としては、薄暗い部屋に押し込まれるほうが気持ちは楽だった。そうすれば、自分がどんな立場に置かれているのか理解しやすい。それが、こんな居心地いい中庭でもてなされると、かえって怖い。
なんといっても、審判を下すのは、ヤクザの組長なのだ。どんな手酷い目に遭わされても不思議ではない。面子を重んじる男だからこそ、なおさらそう思う。
「――先生」
いつもと変わらない、忌々しいほど魅力的なバリトンが和彦を呼ぶ。ビクリと肩を震わせて顔を上げると、いつからそこにいたのか、縁側に賢吾が立っていた。スラックスのポケットに片手を突っ込み、笑みすら浮かべている姿を見て、和彦の胸の奥が妖しくざわつく。
賢吾が何を考えているか、身近にいてもいまだに読み取ることは不可能だが、ある種の気配だけは感じ取れるようになった。賢吾が強烈に発する、セクシャルな雄の気配だ。
「呼び出したのに、待たせて悪かったな」
「……気にしてない」
賢吾に手招きされ、和彦も縁側に上がる。促されて向かったのは応接間だった。
いつもは、和彦と並んで座ることを好む賢吾に、今日は向き合う形でソファに座るよう指示される。
大蛇を潜ませた目を正面から見つめると、息が詰まりそうになるのだが、状況が状況だけに、半ば義務のように賢吾を見据える。そんな和彦に対して、賢吾はニヤリと笑いかけてきた。
「そう、悲壮な顔をするな。何もこれから、先生の浮気を咎めて折檻するってわけじゃないんだ」
賢吾の口から出た『浮気』という言葉に、意識しないまま和彦の顔は熱くなってくる。そうではないと抗弁したくもあったが、どう説明すればいいのか、よくわからない。
和彦は、抱えた秘密をすべて三田村に打ち明けた。忠実な犬である三田村は、命令通り賢吾に、和彦の言葉を一言一句正確に伝えただろう。もちろんそのことで、三田村を責める気持ちは微塵もなかった。和彦のために、厄介で面倒な仕事を請け負ってくれたのだ。感謝すると同時に、申し訳なさを覚える。
唇を噛む和彦に、賢吾はゾッとするほど優しい声で言った。
「冗談だ。秘密を抱えたぐらいで、俺の前でビクビクする先生が、乗り気で浮気をしたなんて思っちゃいない。三田村が理路整然と説明してくれたからな。先生の状況はきちんと把握したつもりだ」
「でも……」
「酒を飲んでひっくり返った先生を、ここに運び込ませたときに、酒以外のものも飲まされていると薄々気づいていた。だとしたら、あの男に何かあると考えるのも当然だろ。さて、だとしたら秦の目的は――と思っているところに、今回のことだ。先生を通じて、俺と関わりを持つことだとわかったが、行儀はよくねーな。俺の大事なオンナに怪しい薬を飲ませて、乱暴しようとするなんざ」
意味ありげな視線を寄越された和彦は、自分がどんな状況にあるか一瞬忘れて、思わず睨みつけてしまう。
この世の中で、秦の行動をもっとも責められないのは、賢吾だ。和彦を動けなくして拉致した挙げ句、三田村を使って暴行紛いのことをしたのだ。あのときの恐怖はまだ忘れられず、いまだに夢に見て目が覚めることがある。
「ただ、先生も無防備すぎる。そういうことをした男のところに、一人でのこのこと出かけるなんてな。また手を出してくださいと、言ってるようなものだ。それとも、出してもらいたかったのか?」
違う、と口中で呟いた和彦は、秦と一緒にいたときの自分の心理を懸命に頭の中で整理する。生まれながらのヤクザともいえる男に、つい数か月前まで堅気だった人間の〈恐れ〉を伝えられる自信は、あまりなかった。
「……ぼくは、あんたのオンナで、あんたに守られている。それに、長嶺組や総和会という名前にも」
「そうだな」
「ぼくに何かあるとき、あんたは自分が持っている力を行使するだろ?」
「それが仕事でもあるからな」
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