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第8話
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「……そこの車道脇で車を停めてくれ。降りる」
「不愉快なのは、お互い様だ。マンションまで我慢しろ」
鷹津の言葉の一つ一つが、神経に障る。敵意という剥き出しの棘に切りつけられているようだ。和彦を脅してくるという点で秦も同じだが、少なくともあの男は、言動だけは柔らかく、蜜のように甘い。
それに、寸前まで和彦は、秦と――。
よりによって最悪の男に、最悪の場面で出会ってしまい、和彦は激しく動揺する。せめてもの救いは、暗い車中ということで、蒼白となっている顔色を見られなくて済むことだけだ。
「お前、少し前までは、大きな美容クリニックで働いていたんだろ。その前は、救急病院にいた。軽く調べてみたが、医者として評判は悪くなかった。若いのに、腕もよかったみたいだな。それに、親兄弟は――」
「ぼくの家族のことは言うなっ」
声を荒らげて和彦が睨みつけると、ちらりと一瞥した鷹津は唇を歪めるようにして笑う。
「俺も、お前の家族になんざ興味はない。俺が興味あるのは、長嶺だけだ」
ウィンドーをわずかに下ろした鷹津が、和彦に断ることなく煙草を咥える。煙草の煙が流れてきたので、仕方なく助手席のウィンドーも下ろした。
「俺は、あの蛇みたいな男が、蛇らしく地べたを這いずり回る様が見たいんだ」
「……自分がされたことへの腹癒せか?」
鷹津から返事はなかったが、急にアクセルを踏み込み、前を走る車に派手にクラクションを鳴らす。あまりに乱暴な運転に、和彦はシートの上で硬直してしまう。
「お前も、長嶺には人生をめちゃくちゃにされかかってるんじゃないのか」
「ああ。だけど、ぼくは被害者だが、あんたは違う。刑事なんて肩書きは持っているが、あの組長と同じ、悪党だろ」
和彦は無意識のうちに、パンツのポケットに入れた携帯電話をまさぐる。中嶋の部屋で秦と会っていたなど知られるわけにはいかないので、当然、長嶺組の人間に電話はできない。それでも、自分を守ってくれる唯一の存在としてすがらずにはいられなかった。
「ハッ、あの男にいろいろ吹き込まれて、それを信じてるのか、佐伯」
鷹津に姓で呼ばれるのは、抵抗があった。おそらく何度呼ばれようが耳に馴染まないだろうと、根拠のないことを感じさせる程度に。
「ヤクザの言うことは、頭から疑うことにしている。そのぼくが、あんたを一目見て感じたんだ。嫌な奴だと。実際、ヤクザより嫌な奴だ……」
「口には気をつけろよ。このまま警察署に連行してやってもいいんだぞ」
「……なんの罪で?」
ここで鷹津はニヤリと笑った。
「お茶をご馳走してやるためだ」
ちょうど信号待ちで車が停まる。迷わず和彦はバックルに手をかけようとしたが、鷹津に手首を掴まれて止められた。和彦は一瞬怯えてしまい、目を見開いたまま粗野な男の顔を見つめる。鷹津は煙草を指に挟み、こちらに煙をふっと吹きかけてきた。
「――俺は悪党で嫌な奴だろうが、少なくとも、お前からヤクザという疫病神を引き離すことはできる」
この瞬間、和彦の気持ちは大きく揺れた。救われたとすら思ったかもしれない。
すぐに我に返ったが、そんな和彦に鷹津は、口元には笑みを浮かべながら、しかし怖いほど鋭い眼差しを向けていた。車のライトで浮かび上がる鷹津の目は、冷たい光を湛えながら、ドロドロとした感情の澱が透けて見える。
「最近まで、真っ当に生きてきたピカピカのエリートが、薄汚いヤクザのオンナになんてされるんだ。つらいだろ? それでも逃げ出せないのは、最初に恐怖を植え付けられるからだ。それが奴らの手で、逃げ出せないお前がおかしいわけじゃない。だが、いい加減抜け出さないと、お前は被害者じゃなくなる。――ヤクザそのものになる」
掴まれた手を持ち上げられ、指を撫でられる。その感触にまた鳥肌が立ちそうになる。和彦はなんとか気丈に振る舞って鷹津を睨みつけたが、まったく堪えていないのは、顔を見ればわかる。
「メスを握る行為は同じでも、表の世界で堂々と医者として握るか、裏の世界でヤクザに飼われながら握るかじゃ、まったく違う。どっちがいいかは……考えるまでもないよな? 堅気なら」
指先をきつく握り締められてから、パッと放される。煙草を揉み消して鷹津は車を出し、和彦はわずかに痛む指先に視線を落とす。
「……ぼくが、助けてほしいと泣きついても、あんたはきっと助けてくれない。それどころか、利用しようとするだろうな」
「俺は、刑事だぜ? 善良な市民を守るのが仕事だ」
「あんたは蛇蝎のサソリだ。長嶺組長と悪党同士、睨み合って、威嚇し合って、噛み合っているのがお似合いだ。本当はあんたも、そうしたいんだろ。ぼくは、そのための餌だ」
短く声を洩らして鷹津は笑った。
「不愉快なのは、お互い様だ。マンションまで我慢しろ」
鷹津の言葉の一つ一つが、神経に障る。敵意という剥き出しの棘に切りつけられているようだ。和彦を脅してくるという点で秦も同じだが、少なくともあの男は、言動だけは柔らかく、蜜のように甘い。
それに、寸前まで和彦は、秦と――。
よりによって最悪の男に、最悪の場面で出会ってしまい、和彦は激しく動揺する。せめてもの救いは、暗い車中ということで、蒼白となっている顔色を見られなくて済むことだけだ。
「お前、少し前までは、大きな美容クリニックで働いていたんだろ。その前は、救急病院にいた。軽く調べてみたが、医者として評判は悪くなかった。若いのに、腕もよかったみたいだな。それに、親兄弟は――」
「ぼくの家族のことは言うなっ」
声を荒らげて和彦が睨みつけると、ちらりと一瞥した鷹津は唇を歪めるようにして笑う。
「俺も、お前の家族になんざ興味はない。俺が興味あるのは、長嶺だけだ」
ウィンドーをわずかに下ろした鷹津が、和彦に断ることなく煙草を咥える。煙草の煙が流れてきたので、仕方なく助手席のウィンドーも下ろした。
「俺は、あの蛇みたいな男が、蛇らしく地べたを這いずり回る様が見たいんだ」
「……自分がされたことへの腹癒せか?」
鷹津から返事はなかったが、急にアクセルを踏み込み、前を走る車に派手にクラクションを鳴らす。あまりに乱暴な運転に、和彦はシートの上で硬直してしまう。
「お前も、長嶺には人生をめちゃくちゃにされかかってるんじゃないのか」
「ああ。だけど、ぼくは被害者だが、あんたは違う。刑事なんて肩書きは持っているが、あの組長と同じ、悪党だろ」
和彦は無意識のうちに、パンツのポケットに入れた携帯電話をまさぐる。中嶋の部屋で秦と会っていたなど知られるわけにはいかないので、当然、長嶺組の人間に電話はできない。それでも、自分を守ってくれる唯一の存在としてすがらずにはいられなかった。
「ハッ、あの男にいろいろ吹き込まれて、それを信じてるのか、佐伯」
鷹津に姓で呼ばれるのは、抵抗があった。おそらく何度呼ばれようが耳に馴染まないだろうと、根拠のないことを感じさせる程度に。
「ヤクザの言うことは、頭から疑うことにしている。そのぼくが、あんたを一目見て感じたんだ。嫌な奴だと。実際、ヤクザより嫌な奴だ……」
「口には気をつけろよ。このまま警察署に連行してやってもいいんだぞ」
「……なんの罪で?」
ここで鷹津はニヤリと笑った。
「お茶をご馳走してやるためだ」
ちょうど信号待ちで車が停まる。迷わず和彦はバックルに手をかけようとしたが、鷹津に手首を掴まれて止められた。和彦は一瞬怯えてしまい、目を見開いたまま粗野な男の顔を見つめる。鷹津は煙草を指に挟み、こちらに煙をふっと吹きかけてきた。
「――俺は悪党で嫌な奴だろうが、少なくとも、お前からヤクザという疫病神を引き離すことはできる」
この瞬間、和彦の気持ちは大きく揺れた。救われたとすら思ったかもしれない。
すぐに我に返ったが、そんな和彦に鷹津は、口元には笑みを浮かべながら、しかし怖いほど鋭い眼差しを向けていた。車のライトで浮かび上がる鷹津の目は、冷たい光を湛えながら、ドロドロとした感情の澱が透けて見える。
「最近まで、真っ当に生きてきたピカピカのエリートが、薄汚いヤクザのオンナになんてされるんだ。つらいだろ? それでも逃げ出せないのは、最初に恐怖を植え付けられるからだ。それが奴らの手で、逃げ出せないお前がおかしいわけじゃない。だが、いい加減抜け出さないと、お前は被害者じゃなくなる。――ヤクザそのものになる」
掴まれた手を持ち上げられ、指を撫でられる。その感触にまた鳥肌が立ちそうになる。和彦はなんとか気丈に振る舞って鷹津を睨みつけたが、まったく堪えていないのは、顔を見ればわかる。
「メスを握る行為は同じでも、表の世界で堂々と医者として握るか、裏の世界でヤクザに飼われながら握るかじゃ、まったく違う。どっちがいいかは……考えるまでもないよな? 堅気なら」
指先をきつく握り締められてから、パッと放される。煙草を揉み消して鷹津は車を出し、和彦はわずかに痛む指先に視線を落とす。
「……ぼくが、助けてほしいと泣きついても、あんたはきっと助けてくれない。それどころか、利用しようとするだろうな」
「俺は、刑事だぜ? 善良な市民を守るのが仕事だ」
「あんたは蛇蝎のサソリだ。長嶺組長と悪党同士、睨み合って、威嚇し合って、噛み合っているのがお似合いだ。本当はあんたも、そうしたいんだろ。ぼくは、そのための餌だ」
短く声を洩らして鷹津は笑った。
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