血と束縛と

北川とも

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第8話

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「……お宅の組長、何か企んでいるのか?」
 走り去る車を見送りながら、傍らに立つ三田村に声をかける。表情を変えないまま三田村は首を横に振った。
「俺程度の人間が読み切れる人じゃない」
「だったら、ぼくはなおさら無理だな」
 三田村が何か言いたげな顔をしたので、和彦は素早く釘を刺した。
「そんなことはない、なんて言うなよ。そこは素直に、同意してくれ」
 こんなことでムキになる和彦がおもしろかったらしく、三田村は微笑を浮かべる。賢吾の凄みのある笑みを見たあとだと、ほっとするような表情だ。
 青年を診るため、さっそく部屋に向かっていたが、鉄筋アパートの階段の途中でふいに三田村が足を止めた。
「――あれから、秦は何か言ってこないか?」
 突然の問いかけに、和彦はビクリと肩を震わせる。隣に立った三田村が、容赦なく鋭い視線を向けてきた。
「あっ……」
 小さく声を洩らしてから、答えを逡巡する。怪我をした秦をやむをえず治療したことを、和彦は誰にも告げていない。もちろん、三田村にも。
 もう一度、秦が自分に絡んできたら、あとの対処は長嶺組に任せると言った。あのときは確かに本気だったのだ。それなのに、秦は、悪辣な脅迫者としてではなく、重傷を負って弱った姿で目の前に現れた。
 あの状態の秦を捕えるのは、ヤクザにとっては造作もないだろう。
 さきほど賢吾に言われた言葉が蘇る。和彦は、自分が優しい人間だとは思っていない。ただ、甘い人間であることは認めざるをえない。
「先生?」
 三田村に呼びかけられ、反射的に和彦はこう答えていた。
「大丈夫……。まだ何も言ってこない。さすがに自分の身が危ないと思ったんじゃないか」
 三田村は返事をしなかった。ただ、和彦を見つめてくる。向けられる厳しい眼差しから、三田村の気持ちは簡単に推し量れた。
 和彦の大事な〈オトコ〉は、保身のために秦を警戒しているのではない。ただ、和彦の身を案じてくれているのだ。
「何かあれば、すぐに知らせてくれ。こういう言い方は卑怯かもしれないし、そもそも効き目があるのかわからないが――、俺のためにも、先生は組の連中に素直に守られてくれ。そして、頼ってくれ」
 和彦は目を丸くしたあと、わずかに視線を伏せた三田村に笑いかける。
「……効き目十分だな、その台詞は」
「だとしたら、らしくないことを言った甲斐があった」
 三田村を煩わせたくなかった。和彦個人の事情に巻き込んで、組の中でさらに複雑な立場に追いやりたくない。
 だからこそ、やはり秦のことは言えなかった。自分の甘さが引き起こした問題である以上、できることなら、自分自身でケリをつけたい。
 和彦は一瞬だけ三田村の指先を握り締めてから、小さく呟いた。
「――大丈夫だ。心配いらない」




 スタジオで体を動かした和彦が、タオルで汗を拭きながらラウンジに向かうと、一足先にプログラムを終えたのか、中嶋がイスに腰掛けてスポーツ飲料を飲んでいた。和彦に気づくと、笑顔とともに会釈される。
「――先生、ずいぶんハードなのをスタジオでやってましたね」
 向かいのイスに腰掛けた和彦に、中嶋がさっそく話しかけてくる。見ていたのかと、思わず苦笑が洩れた。
「インストラクターに勧められたんだ。体力と持久力をつけたかったら参加してみませんか、って。一人でもくもくとマシンを動かすのも飽きていたし。さすがに、いきなり中級者クラスはきつかった」
「でも、様になってましたよ。パンチのときの腰の入り方といい、ハイキックでの足捌きといい」
「嫌いな人間を思い描くのがコツだな。そう思うと、狙いがズレない」
 音楽に合わせて体を動かすというと、まっさきにエアロビクスが頭に浮かぶのだが、インストラクターが勧めてきたのはボディアタックというプログラムだった。みんなと一緒に体を動かすということに気恥ずかしさを覚える性質の和彦も、全体の動きが格闘技のようだったため抵抗も少なく、興味半分で参加してみたのだ。
「誰を思い描いていたのか、聞くのが怖いですね」
 中嶋の言葉に、和彦は真顔で応じた。
「少なくとも、君じゃない」
「……先生も人が悪い……」
 二人は顔を見合わせ、同じ世界に身を置く者同士にしか通じない笑みを交わす。
 ここまでは、挨拶だ。すぐに二人は笑みを消し、テーブルに身を乗り出すようにして、声を潜めて話す。
「――彼の様子は?」
「よくなってきています。倒れて動けなかったときに比べれば格段に、と言えるぐらい。それでも、体中ひどい有様です」

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