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第8話
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「が、それは裏を返せば、総和会に加入している組の名さえ表に出なければいいということだ。先生ならわかるだろ。うちの組は、長嶺組という一つの組織で成り立っているわけじゃない。傘下の組やフロント企業、下部組織……、名前や形態は違えど、長嶺組の代紋を使っているところは、いくらでもある」
「つまり、長嶺組の身内が薬を扱っていても、〈長嶺組の組員〉という肩書きでない限りは、総和会は見ないふりということか」
「総和会の活動資金の半分は、十一の組からの〈寄付金〉が占めている。肝心の組から寄付金が取れなきゃ、困るのは自分たちだ」
賢吾は短く声を洩らして笑い、和彦の機嫌を取るように唇を啄ばんでくる。今度は応えず、きつい眼差しを向け続けていると、軽く息を吐き出した賢吾が体を離した。ただし、和彦の片手を握ったままだ。
「……そう睨むな、先生。例えとしてうちの組を出しただけだ。総和会にいる組のいくつかは薬を扱っているが、うちは違う。ただしそれは、任侠だとか美学とかいう立派な理由からじゃない。――俺は、臆病で慎重なんだ。非合法な稼ぎとして薬は魅力的だが、リスクが半端なくでかい。そのリスクをあえて冒すほど、長嶺組のシノギは悪くない」
賢吾が、こんなことで和彦にウソをつく必要はない。ひとまず、この言葉を信じることにした。
賢吾に後ろ髪を撫でられ、和彦はわずかに顔を背ける。
「こんな生活を送っていて、ぼくはいまさら綺麗事を言うつもりはない。何もかも買い与えられているが、その金は長嶺組が稼ぎ出したものだからな。薬も……、手を出す奴が愚かなんだと思っている。自業自得だ。ただ、あんなものを使って、ぼくの知っている人間が壊れていくのは見たくないと思っている」
「先生は優しいし、現実的だ」
再び賢吾の唇が、手の甲に押し当てられる。
「エゴイストだと言いたいんだろう……」
「いいや。優しいんだ。それに、甘い」
バリトンの魅力を最大限に引き出す囁きに、和彦の顔は熱くなってくる。後ろ髪を撫で続けている手に頭を引き寄せられ、賢吾の肩に額を押し当てた状態で会話を交わす。
「――俺は、薬を扱う奴も使う奴も、信用していない。すぐに、誰にでも尻尾を振る種類の人間だと思っているからな」
内容は物騒ながら、耳元で聞く賢吾の声が心地いい。和彦は思わず、両腕を賢吾の背に回していた。すると賢吾の大きな手が、子供を甘やかすように背を撫でてくる。
「ぼくは薬を使ってはないが、他の人間からは、そんなふうに思われているかもしれない。力と金で、誰にでも尻尾を振ると……」
「先生は、主が誰かしっかりわかっているし、従順だろ。最初にしっかり躾けて、首にぶっとい鎖をしてあるからな」
顔を上げた和彦が睨みつけると、予想通りの反応だったらしく、賢吾が笑いかけてくる。だが次の瞬間には表情を引き締め、怖い男の顔となった。
「……今回の薬の件は、気に食わない。人のシマでああいう商売をするなら、通すべき筋がある。それを通さないどころか、組の存在を、警察への目くらましに使っている節もあるんだから、腹も立つだろ。組のシマを汚すうえに、俺の面子を汚す行為だ」
「その手の物騒な話に興味はない」
「そうはいっても、荒事になったら、先生の仕事が増えるかもしれない」
和彦は賢吾の頬をてのひらで撫で、そっと唇に噛みつく。背にかかったままの賢吾の手に、わずかな力が加わった。
「そうならないよう、努力はするんじゃないのか。組長としては」
「その組長のオンナっぷりに磨きがかかったな、先生」
和彦はパッと体を離して、顔をしかめる。賢吾はニヤニヤと笑って、そんな和彦を意味ありげに見つめてくる。
車が鉄筋アパートの前に着くと、あらかじめ連絡しておいたこともあり、三田村が待っていた。車が停まると同時に、速やかにドアが開けられる。
和彦が降りようとすると、背後から賢吾に話しかけられた。
「――先生、俺は、自分の手を薬で汚すのは嫌だが、薬が生み出す旨みは好きだぜ」
いきなり何事かと訝しみながら和彦が振り返ると、賢吾は唇に、凄みのある笑みを刻んでいた。
「金どころか、人脈も生み出すからな。うちの組とは関わりのない奴が、その旨みを俺の前に運んできてくれりゃ、最高だと思わないか?」
凄まれたわけでもないのに、賢吾の空気に呑まれてしまった和彦は、咄嗟に言葉が出なかった。やはり、身を潜めてはいても大蛇は怖い。そこにいるだけで、恐怖の対象なのだ。
「そんな……、そんな都合のいい人間、どこにいるんだ」
「案外、身近にいたりしてな」
ヒヤリとするような冷気に肌を撫でられた気がして、和彦は小さく身震いする。三田村に声をかけられなければ、そのまま動けなかったかもしれない。
「つまり、長嶺組の身内が薬を扱っていても、〈長嶺組の組員〉という肩書きでない限りは、総和会は見ないふりということか」
「総和会の活動資金の半分は、十一の組からの〈寄付金〉が占めている。肝心の組から寄付金が取れなきゃ、困るのは自分たちだ」
賢吾は短く声を洩らして笑い、和彦の機嫌を取るように唇を啄ばんでくる。今度は応えず、きつい眼差しを向け続けていると、軽く息を吐き出した賢吾が体を離した。ただし、和彦の片手を握ったままだ。
「……そう睨むな、先生。例えとしてうちの組を出しただけだ。総和会にいる組のいくつかは薬を扱っているが、うちは違う。ただしそれは、任侠だとか美学とかいう立派な理由からじゃない。――俺は、臆病で慎重なんだ。非合法な稼ぎとして薬は魅力的だが、リスクが半端なくでかい。そのリスクをあえて冒すほど、長嶺組のシノギは悪くない」
賢吾が、こんなことで和彦にウソをつく必要はない。ひとまず、この言葉を信じることにした。
賢吾に後ろ髪を撫でられ、和彦はわずかに顔を背ける。
「こんな生活を送っていて、ぼくはいまさら綺麗事を言うつもりはない。何もかも買い与えられているが、その金は長嶺組が稼ぎ出したものだからな。薬も……、手を出す奴が愚かなんだと思っている。自業自得だ。ただ、あんなものを使って、ぼくの知っている人間が壊れていくのは見たくないと思っている」
「先生は優しいし、現実的だ」
再び賢吾の唇が、手の甲に押し当てられる。
「エゴイストだと言いたいんだろう……」
「いいや。優しいんだ。それに、甘い」
バリトンの魅力を最大限に引き出す囁きに、和彦の顔は熱くなってくる。後ろ髪を撫で続けている手に頭を引き寄せられ、賢吾の肩に額を押し当てた状態で会話を交わす。
「――俺は、薬を扱う奴も使う奴も、信用していない。すぐに、誰にでも尻尾を振る種類の人間だと思っているからな」
内容は物騒ながら、耳元で聞く賢吾の声が心地いい。和彦は思わず、両腕を賢吾の背に回していた。すると賢吾の大きな手が、子供を甘やかすように背を撫でてくる。
「ぼくは薬を使ってはないが、他の人間からは、そんなふうに思われているかもしれない。力と金で、誰にでも尻尾を振ると……」
「先生は、主が誰かしっかりわかっているし、従順だろ。最初にしっかり躾けて、首にぶっとい鎖をしてあるからな」
顔を上げた和彦が睨みつけると、予想通りの反応だったらしく、賢吾が笑いかけてくる。だが次の瞬間には表情を引き締め、怖い男の顔となった。
「……今回の薬の件は、気に食わない。人のシマでああいう商売をするなら、通すべき筋がある。それを通さないどころか、組の存在を、警察への目くらましに使っている節もあるんだから、腹も立つだろ。組のシマを汚すうえに、俺の面子を汚す行為だ」
「その手の物騒な話に興味はない」
「そうはいっても、荒事になったら、先生の仕事が増えるかもしれない」
和彦は賢吾の頬をてのひらで撫で、そっと唇に噛みつく。背にかかったままの賢吾の手に、わずかな力が加わった。
「そうならないよう、努力はするんじゃないのか。組長としては」
「その組長のオンナっぷりに磨きがかかったな、先生」
和彦はパッと体を離して、顔をしかめる。賢吾はニヤニヤと笑って、そんな和彦を意味ありげに見つめてくる。
車が鉄筋アパートの前に着くと、あらかじめ連絡しておいたこともあり、三田村が待っていた。車が停まると同時に、速やかにドアが開けられる。
和彦が降りようとすると、背後から賢吾に話しかけられた。
「――先生、俺は、自分の手を薬で汚すのは嫌だが、薬が生み出す旨みは好きだぜ」
いきなり何事かと訝しみながら和彦が振り返ると、賢吾は唇に、凄みのある笑みを刻んでいた。
「金どころか、人脈も生み出すからな。うちの組とは関わりのない奴が、その旨みを俺の前に運んできてくれりゃ、最高だと思わないか?」
凄まれたわけでもないのに、賢吾の空気に呑まれてしまった和彦は、咄嗟に言葉が出なかった。やはり、身を潜めてはいても大蛇は怖い。そこにいるだけで、恐怖の対象なのだ。
「そんな……、そんな都合のいい人間、どこにいるんだ」
「案外、身近にいたりしてな」
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