135 / 1,268
第8話
(7)
しおりを挟むヤクザの世界に引きずり込まれてから、異常な環境で毎日を忙しく過ごし、気がつけば、それが和彦の日常になってしまった。周囲にいるのは堅気という定義から大きく外れた人間ばかりで、遭遇する出来事も物騒なことが多い。
しかし、そんな日々の中でも和彦なりに気持ちのバランスを取り、そうすることに慣れ始めていた。
だからこそ和彦は、ここ最近の異変を確実に感じ取っていた。なんだか空気が落ち着かず、ざわついている。それともヤクザの世界では、この状況が普通なのだろうか。
こんな仕事も普通なのだろうか――。
駐車場に停められたワゴン車から降りた和彦は、ため息交じりに呟いた。
「――基本的なことを忘れているようだが、ぼくの専門は、あくまで美容外科だぞ」
口中で和彦が呟くと、先に車から降りた三田村が首を傾げる。
「先生?」
「なんでもない」
クリニックに取り付ける照明器具を選ぶため、専門店に出かけていた和彦の元に突然、診てほしい薬物中毒患者がいると三田村から連絡があり、一旦家に引き返して準備を整えたところに、当の三田村が迎えに来た。
顔を合わせられたからといって、砕けた調子で会話を交わせる状態ではない。和彦には護衛が張り付き、三田村にも、今日は組員がついている。
若頭補佐という立場上、三田村も手足のように使える組員が何人かおり、和彦の護衛の仕事に就く以外では、彼らを伴って動いているのだそうだ。自分の弟分だと言って、三田村が律儀に一人ずつ紹介してくれたので、和彦は顔も名も覚えていた。
つまり、三田村が弟分の組員を伴っているということは、それ相応の事態なのだ。
住宅街の中にある、特徴のない鉄筋アパートの三階へと案内されながら、たまらず和彦は三田村に話しかけた。
「……ぼくがこれから診る相手は、あんたが任されている仕事に関係あるのか?」
三田村は無表情のまま、曖昧に首を振った。
「関係あるといえば、関係ある。組長の指示だ。――この手の患者の治療にも、今から先生に慣れておいてもらいたい、と」
ここで和彦は、三階の通路に立つ人の姿に気づいた。派手な髪形をした、まだ二十歳になるかならないかぐらいの青年だ。三田村を見るなり、勢いよく頭を下げた。
その青年がドアを開けた部屋に、促されるまま和彦は足を踏み入れ、その後ろで三田村は、護衛の組員に辺りを警戒しておくよう指示を出す。部屋に入ったのは、和彦と、三田村とその弟分の組員だけだった。
理由は簡単だ。部屋は狭い1DKで、大きな男が何人も入ると、身動きが取れなくなる。それでなくてもすでに、組員が二人、部屋で待機していた。
部屋に立ち込める煙草の匂いに顔をしかめつつ、三田村に肩を抱かれた和彦は、奥の部屋を覗く。
痩せた青年が布団の上に寝かされ、全身を激しく震わせていた。蒼白となった顔色と、閉じた瞼が震えているのを見て、即座にその青年の傍らに座り込み、脈を取る。
「――薬物を摂取して、どれぐらいの時間が経った?」
誰にともなく問いかけると、派手な髪型をした青年が震える声で答えた。
「お……、俺が気づいたのは、一時間前です。それまでは、薬を呑んだとか言って、ヘラヘラ笑っていたんです。でも、いつの間にかぐったりして、こんなふうに痙攣し始めて……」
そう説明を受けた和彦は、青年を風呂場に連れていき、とにかく水を飲ませて吐かせ、胃を洗浄するよう組員たちに頼む。
それは速やかに実行に移され、風呂場から激しい水音と嘔吐する苦しげな声が聞こえてくる。
「ぼくは、なんでも屋じゃないぞ」
治療用の道具を小さなテーブルの上に並べていきながら、傍らに立つ三田村にぼそりと話しかける。三田村は表情は変えないながらも、優しい眼差しを向けてきた。
「でも先生は、こちらの無茶な要望に応えてくれる。美容外科専門だと言いながら、患者の腹に手を突っ込んで、大手術だってやるしな」
「死なせるな、と無茶な要求を言ってきたのは、あんたたちの組長だぞ」
「先生が相手だから、組長はそういう要求をしたんだ」
「……ぼくを働かせないと損だと思っているな、あの男」
話しながらも点滴の準備をしていた和彦は、ふと、テーブルの下に落ちているピンク色の小さな錠剤に気づいた。一瞬キャンディーかと思ったぐらいカラフルで、手に取ってみると、錠剤にはアルファベットの刻印がある。
「何が含まれているかわからないから、手を洗ったほうがいい」
和彦の手からさりげなく錠剤を取り上げ、三田村がそう忠告してくる。眉をひそめて顔を上げた和彦に対して、三田村は小さく頷いた。
55
お気に入りに追加
1,391
あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…



塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる