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第8話
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独りごちるように和彦が洩らすと、自分に投げかけられものだと思ったのか中嶋が応じる。
「俺も詳しいことは何も。ただ、手を貸してほしいと秦さんから電話があって駆けつけたら、ボロボロになって倒れていたんです。どこか別の場所で暴行されて、逃げてきたらしいんですが、相手が何人だったとか、そもそもこんな目に遭った理由はなんなのか、教えてもらえませんでした。ただ、先生に連絡を取るよう指示されて……」
「それで素直に従ったのか?」
和彦の口調は、つい呆れたものとなる。それを中嶋は感じ取ったのか、苦い表情を浮かべた。
「秦さんは特別なんですよ。借りがあるというより、恩がある。俺が組に入ったばかりの頃、仕事でヘマをやらかして、借金を背負わされたことがあるんです。まだ二十歳そこそこのガキに返すあてなんてない額ですよ。そこで助けてくれたのが、秦さんなんです。組に入れるようお膳立てしたのは自分だから、放っておけないと言って」
「金を貸してくれたのか?」
「それだと、俺の将来の役に立たないからと、組での金の稼ぎ方を教えてくれました。あっ、ヤバイ方法じゃないですよ。一応、真っ当な方法です。――借金を返せたうえに、俺は組の若衆の中でも、かなりの発言力を持てるようになったんですけど、僻みで人間関係がゴタゴタするのは、ヤクザも堅気も一緒です。そういうのに嫌気が差して、俺は幹部に推薦してもらって、総和会に入ったんです」
中嶋の話を聞きながら、和彦は休みなく秦の怪我を診ていく。右手にしっかり巻かれたタオルを外してみると、さらにネクタイをぐるぐる巻きにしてあった。止血のつもりだったようだ。
刃物でも掴んだのか、てのひらはざっくりと切れており、血が流れ出ている。幸か不幸か、切り傷はてのひらだけのようだ。
「彼は、何かトラブルを抱えていたのか? これは、ちょっとしたケンカ程度の傷じゃない」
「聞いたことはありません。クラブ経営も上手くいっているようだし、あちこちの組に顔が利くからこそ、秦さんの店で揉め事を起こす人間はいません。……とはいっても、俺も秦さんのことを詳しく知っているわけじゃないんです」
意外に思って和彦がまじまじと見つめると、中嶋はちらりと笑った。
「仲良くしてもらってますけど、けっこう謎が多いんですよ、秦さんは。だからいまだに、秦静馬が本名なのかどうかすら知らない。俺は、実は秦さんが妻子持ちだったとしても、驚きませんね。本当のところ、いろんな組とのつき合いも、どこまで深いものなのか、よくわからない」
「……物腰は柔らかで紳士だが、実際はヤクザそのものみたいな男でも驚かない、か?」
「まあ、見た目通りの人だったら、したたかに組と渡り合うなんてできないでしょう。だけどその面を、秦さんは他人に見せない。ちょっと怖いですよね。そう考えると」
「でも、慕っているんだろ」
和彦の言葉に、真剣な顔で中嶋は頷く。
中嶋と秦と飲んだとき、二人はあくまで仲のいい先輩・後輩、もしくは友人同士に見えたのだが、中嶋の話を聞いて、表情を見ていると、そう単純なものでないことがわかる。崇拝という言葉が頭を過りもするが、それよりむしろ、シンパというほうがより近いかもしれない。
中嶋は、秦という男に何か共鳴するものを感じ、それを守ろうとしているのだとしたら、献身的ともいえる態度に納得できる。
ヤクザの世界の、一種独特な男同士の結びつきは濃厚で、和彦には理解しがたいものがあるが、ヤクザである中嶋と、ヤクザのごく側に身を置く秦の結びつきも、また独特だ。
中嶋と話しているうちに妙な熱に感化されてはたまらないと、和彦はバッグを開け、ひとまずてのひらを縫う準備をする。総和会の仕事で、和彦の治療に同行することが多い中嶋も慣れたもので、こちらが指示を出す前に、処置がしやすいよう秦の手の血を拭き取り、消毒をする準備を調えてしまった。
「うちは救急箱すらないので、必要なものがあったら言ってください。すぐに買いに行ってきます」
自分がいると邪魔になると思ったのか、今度はこんなことを申し出てきた中嶋に、和彦は鎮痛剤と冷湿布、コルセットや氷を頼む。実際、すぐに必要なものばかりだ。
中嶋が慌ただしく出ていくと、和彦も仕事をこなすことにする。
キッチンで手を洗って戻ってくると、秦は目を開けていた。和彦を見るなり、唇を歪めるようにして痛々しい笑みを浮かべた。
「……中嶋の奴、好き放題言ってましたね」
目を閉じたまま、和彦と中嶋の会話を聞いていたらしい。和彦はベッドの傍らに置かれたイスに腰掛け、手袋をしてから局所麻酔の準備をする。すると秦が、興味深そうに和彦の手元を見つめてきた。
「先生、それは……」
「俺も詳しいことは何も。ただ、手を貸してほしいと秦さんから電話があって駆けつけたら、ボロボロになって倒れていたんです。どこか別の場所で暴行されて、逃げてきたらしいんですが、相手が何人だったとか、そもそもこんな目に遭った理由はなんなのか、教えてもらえませんでした。ただ、先生に連絡を取るよう指示されて……」
「それで素直に従ったのか?」
和彦の口調は、つい呆れたものとなる。それを中嶋は感じ取ったのか、苦い表情を浮かべた。
「秦さんは特別なんですよ。借りがあるというより、恩がある。俺が組に入ったばかりの頃、仕事でヘマをやらかして、借金を背負わされたことがあるんです。まだ二十歳そこそこのガキに返すあてなんてない額ですよ。そこで助けてくれたのが、秦さんなんです。組に入れるようお膳立てしたのは自分だから、放っておけないと言って」
「金を貸してくれたのか?」
「それだと、俺の将来の役に立たないからと、組での金の稼ぎ方を教えてくれました。あっ、ヤバイ方法じゃないですよ。一応、真っ当な方法です。――借金を返せたうえに、俺は組の若衆の中でも、かなりの発言力を持てるようになったんですけど、僻みで人間関係がゴタゴタするのは、ヤクザも堅気も一緒です。そういうのに嫌気が差して、俺は幹部に推薦してもらって、総和会に入ったんです」
中嶋の話を聞きながら、和彦は休みなく秦の怪我を診ていく。右手にしっかり巻かれたタオルを外してみると、さらにネクタイをぐるぐる巻きにしてあった。止血のつもりだったようだ。
刃物でも掴んだのか、てのひらはざっくりと切れており、血が流れ出ている。幸か不幸か、切り傷はてのひらだけのようだ。
「彼は、何かトラブルを抱えていたのか? これは、ちょっとしたケンカ程度の傷じゃない」
「聞いたことはありません。クラブ経営も上手くいっているようだし、あちこちの組に顔が利くからこそ、秦さんの店で揉め事を起こす人間はいません。……とはいっても、俺も秦さんのことを詳しく知っているわけじゃないんです」
意外に思って和彦がまじまじと見つめると、中嶋はちらりと笑った。
「仲良くしてもらってますけど、けっこう謎が多いんですよ、秦さんは。だからいまだに、秦静馬が本名なのかどうかすら知らない。俺は、実は秦さんが妻子持ちだったとしても、驚きませんね。本当のところ、いろんな組とのつき合いも、どこまで深いものなのか、よくわからない」
「……物腰は柔らかで紳士だが、実際はヤクザそのものみたいな男でも驚かない、か?」
「まあ、見た目通りの人だったら、したたかに組と渡り合うなんてできないでしょう。だけどその面を、秦さんは他人に見せない。ちょっと怖いですよね。そう考えると」
「でも、慕っているんだろ」
和彦の言葉に、真剣な顔で中嶋は頷く。
中嶋と秦と飲んだとき、二人はあくまで仲のいい先輩・後輩、もしくは友人同士に見えたのだが、中嶋の話を聞いて、表情を見ていると、そう単純なものでないことがわかる。崇拝という言葉が頭を過りもするが、それよりむしろ、シンパというほうがより近いかもしれない。
中嶋は、秦という男に何か共鳴するものを感じ、それを守ろうとしているのだとしたら、献身的ともいえる態度に納得できる。
ヤクザの世界の、一種独特な男同士の結びつきは濃厚で、和彦には理解しがたいものがあるが、ヤクザである中嶋と、ヤクザのごく側に身を置く秦の結びつきも、また独特だ。
中嶋と話しているうちに妙な熱に感化されてはたまらないと、和彦はバッグを開け、ひとまずてのひらを縫う準備をする。総和会の仕事で、和彦の治療に同行することが多い中嶋も慣れたもので、こちらが指示を出す前に、処置がしやすいよう秦の手の血を拭き取り、消毒をする準備を調えてしまった。
「うちは救急箱すらないので、必要なものがあったら言ってください。すぐに買いに行ってきます」
自分がいると邪魔になると思ったのか、今度はこんなことを申し出てきた中嶋に、和彦は鎮痛剤と冷湿布、コルセットや氷を頼む。実際、すぐに必要なものばかりだ。
中嶋が慌ただしく出ていくと、和彦も仕事をこなすことにする。
キッチンで手を洗って戻ってくると、秦は目を開けていた。和彦を見るなり、唇を歪めるようにして痛々しい笑みを浮かべた。
「……中嶋の奴、好き放題言ってましたね」
目を閉じたまま、和彦と中嶋の会話を聞いていたらしい。和彦はベッドの傍らに置かれたイスに腰掛け、手袋をしてから局所麻酔の準備をする。すると秦が、興味深そうに和彦の手元を見つめてきた。
「先生、それは……」
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