血と束縛と

北川とも

文字の大きさ
上 下
129 / 1,268
第8話

(1)

しおりを挟む
 秦の顔を見た瞬間、全身の血が凍りつくような気がした。自分の足で立っているという感覚すらなくなったが、手に持っていたバッグを足元に落とした音で、ようやく和彦は我に返る。
「彼が……」
 硬い声を発すると、隣に立った中嶋が頷く。
「電話で秦さんの名前を出さなかったのは、そう頼まれたからです。俺としては、秦さんの名前を出したほうが、先生は助けてくれると言ったんですけど、頑として聞き入れなくて」
「それで、ぼくを騙すようにして呼び出したのか」
 意識しないまま、和彦の口調は怒りを含んだものとなる。
 秦がどうして、電話で自分の名を出すことを許さなかったのか、その理由が和彦にはわかっていた。誰も好きこのんで、リスクを冒してまで脅迫者を助けたりはしない。だからこそ秦はまず和彦を呼び出し、現場で自分の存在を知らせることにしたのだ。
 中嶋の様子からして、二人の間に何があったのか関知していないのだろう。つまり中嶋は悪くない。理屈ではそうなのだが――。
「先生っ」
 和彦が帰ろうとすると、中嶋が驚いたような声を上げる。かまわず行こうとしたが、素早く中嶋が前に回り込んできた。和彦の異変に気づいたらしく、中嶋まで強張った顔をしている。
「どうかしたんですか?」
 必死の顔で問いかけられ、和彦はわずかに視線を伏せる。
「……悪いが、彼は診てやれない。組に隠れて医療行為を行うのは、やっぱりやめておきたい。あとあと面倒になる」
「でも、ここまで来てくれたじゃないですかっ」
「気が変わった」
 中嶋を避けていこうとしたが、すかさず両腕を広げて阻まれる。さすがに和彦も鋭い視線を向けた。
「そんなに医者に診てもらいたいなら、救急車を呼べばいい。病院から怪我についてあれこれ詮索されても、彼は組関係者じゃないんだ。警察に連絡されても、なんとでも切り抜けられるだろう」
「組関係者じゃなくても、組と繋がりはあります。そこを突っ込まれると、秦さんの立場が危うくなりかねないんです」
「それは、ぼくが心配することじゃない」
 和彦が言い切ると、中嶋が唇を引き結び、初めて見せる厳しい表情となる。恫喝されるのだろうかと身構えそうになったが、次の瞬間、中嶋は意外な行動に出た。
 床に額を擦りつけるようにして、土下座をしたのだ。
「中嶋くんっ……」
「お願いしますっ。秦さんを診てください。先生だから、頼るんです。俺がもっと総和会の中で力があれば、別の方法もあったかもしれない。だけど今は――先生しかいないんですっ」
 中嶋は必死だ。このまま和彦が玄関に向かおうとしたら、今度は足にしがみついてきても不思議ではない。見た目は普通の青年でも、本性は切れ者のヤクザだ。相手を従わせる手段など、いくらでも持っているだろう。
 それに、あまりに中嶋が必死で、振り切って帰るのは良心が咎めた。賢吾なら、それは良心ではなく、和彦の甘さだと言って鼻先で笑いそうだが。
 和彦は軽く息を吐き出すと、部屋に引き返す。
「先生……」
「一応、君に世話になったという自覚はあるからな」
 秦が横になっている部屋に入った和彦は、まず中嶋にハサミを持ってこさせ、破れたワイシャツを切って脱がせる。少し迷ってから、中嶋に手伝ってもらい、スラックスも脱がせた。ベルトで腹部を圧迫したくなかったし、何より、全身の検分をする必要がある。
 その間、秦は苦しげな呼吸を繰り返すだけで、目を開けなかった。意識が朦朧としているのか、痛みで目も開けられないのだろうが、和彦は頓着しない。それよりも今は、診察に集中する。
 秦の引き締まった体を一目見て、そっと眉をひそめる。顔の殴られた跡からある程度の惨状は予測していたが、それを上回る暴行の跡が残っていた。拳で殴られたものではなく、硬い棒状のものでめった打ちにされてできたものだ。
 普通、殴られるとわかったら人は体を丸め、その結果、背や脇腹が傷だらけになるものだが、胸や腹がこれだけひどい有様だということは、秦の体は押さえつけられたうえで、容赦なく痛めつけられたということになる。
 秦の体に慎重に触れながら、骨折していないか探る。病院に運べば、内臓からの出血も早期にわかるのだろうが、ここでは、なんらかの異変が出るまで知ることはできない。
「……肋骨が折れている」
「やっぱり。秦さんをここに連れて来るとき、胸が痛いと言っていたんです」
 中嶋に秦の体を少しだけ抱え起こしてもらい、背の怪我も診る。こちらも打撲がひどい。ただ、頭には腫れもなく、殴られた形跡はなかった。少なくとも、秦を殺すために暴行したわけではないようだ。
「一体、彼に何があったんだ」

しおりを挟む
感想 80

あなたにおすすめの小説

騙されて快楽地獄

てけてとん
BL
友人におすすめされたマッサージ店で快楽地獄に落とされる話です。長すぎたので2話に分けています。

壁乳

リリーブルー
BL
俺は後輩に「壁乳」に行こうと誘われた。 (作者の挿絵付きです。)

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

朝起きたら幼なじみと番になってた。

オクラ粥
BL
寝ぼけてるのかと思った。目が覚めて起き上がると全身が痛い。 隣には昨晩一緒に飲みにいった幼なじみがすやすや寝ていた 思いつきの書き殴り オメガバースの設定をお借りしてます

イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?

すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。 「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」 家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。 「私は母親じゃない・・・!」 そう言って家を飛び出した。 夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。 「何があった?送ってく。」 それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。 「俺と・・・結婚してほしい。」 「!?」 突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。 かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。 そんな彼に、私は想いを返したい。 「俺に・・・全てを見せて。」 苦手意識の強かった『営み』。 彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。 「いあぁぁぁっ・・!!」 「感じやすいんだな・・・。」 ※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。 ※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。 ※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。 ※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。 それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…

しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。 高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。 数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。 そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…

BL団地妻-恥じらい新妻、絶頂淫具の罠-

おととななな
BL
タイトル通りです。 楽しんでいただけたら幸いです。

魔王に飼われる勇者

たみしげ
BL
BLすけべ小説です。 敵の屋敷に攻め込んだ勇者が逆に捕まって淫紋を刻まれて飼われる話です。

処理中です...