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第7話
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Tシャツの上からすっぽりと手術衣を着込み、帽子を被った和彦は、眉をひそめる。回りくどい言い方に、理解するのに少々時間がかかり、考え込みながらも手を洗って消毒を済ませる。
「つまり、ぼくが今すぐ事情を知る必要はないということですね」
「はい。早急に手術に取り掛かっていただけるとありがたいです」
必要がない限り、ヤクザの事情に立ち入らない姿勢を保っている和彦としては、こんな会話を交わしても疎外感に襲われることはない。
ペーパータオルで手を拭いてラテックス手袋をしてから、奥の〈手術室〉へと向かう。もとはベッドルームなのだが、その名残りを留めているものはなかった。
広めの部屋の中央に手術台が置かれ、傍らには、移動式の照明器具や、古いタイプながらも手術に必要な機械や道具が一式揃えられている。床や壁一面にはビニールが貼られ、手術台の周囲には、足が滑らないようラグが敷かれていた。それ以外には、何もない部屋だ。
あとは、どういう経緯で長嶺組と関わりを持つことになったのか知らないが、これまでも和彦の手術を手伝ってくれた中年女性二人がおり、一人は点滴を取り替え、もう一人はバイタルサインをチェックしていた。おそらく元看護師か、本業の合間の危険なアルバイトといったところだ。個々の事情にも、和彦は立ち入るつもりはなかった。
手術台の上に横たわった男の顔色は蒼白で、腹部に当てられたガーゼは血に染まっている。
ドアを閉めようとした和彦に、幹部の一人が声をかけてきた。
「組長から伝言を言付かっています」
「なんと?」
「――可能な限り死なせるな、とのことです」
賢吾なら言いかねない台詞だとひどく納得する一方で、あの男がここまで言うのなら、患者はなんらかの価値がある人物なのだろう。
努力はしてみると応じた和彦はマスクをする。外からドアを閉めてもらい、ベッドに歩み寄った。
間近で血塗れの傷口を覗き込んでから、ひとまず血を洗う。その傍ら、輸血用の血液をどんどん準備するよう指示を出す。足元で山になっているガーゼの量からして、出血がひどすぎる。
「……他人事だと思って、簡単に言ってくれる……」
さきほどの賢吾からの言付けを思い返し、和彦は口中で毒づく。
腹を刃物で刺されたという説明を受けたのだが、正確には、腹を裂かれていた。刺した挙げ句に、明確な殺意を持って刃物を動かしたようだ。臓器の損傷がどれぐらいのものなのか想像もつかず、大きく開腹して確認するしかない。
麻酔医がいないと、手術を最後まで終えられるかすら怪しいと思いながら、和彦は注射器を手にする。額には、じっとりと嫌な汗が滲んでいた。
患者の脈拍が落ちてきたことに焦りを覚えながら、和彦は裂けた腸管を切除していく。一度の開腹で必要な処置をすべて行うのは無理だと判断してしまうと、手術の方針を決めるのは早い。
和彦は温めた生理食塩水で慎重に傷口の洗浄を行いながら、とにかく出血と、腹部の汚染に気をつけて処置を急ぐ。
大腸が傷ついているのを見たときは、さすがにヒヤリとしたが、縫合手術で問題はなさそうだった。
今は応急手当として、傷ついた臓器に、腹膜を当ててやるほうが先だ。
血塗れのガーゼを足元に落とし、和彦が腹部に手を突っ込もうとしたとき、突然、インターホンの音が鳴り響いた。肩を大きく震わせ、反射的に顔を上げる。ドアの向こうから、組員たちの慌ただしい気配が伝わってきた。誰かがこの部屋を訪れるという事態は、予想外のことらしい。
こちらが気にするまでもなく、誰かが上手く対処してくれるだろうと思ったが、和彦のこの予想は裏切られることになる。
ドアの向こうの落ち着かない空気に集中力を奪われながらも、慎重にメスを動かしていたところ、控えめにドアがノックされ、和彦と同じ手術着を着込んだ組員が入ってきた。手術中、和彦が頼んだものをたびたび運び込んでいるため、こんな格好をしているのだ。
「先生、困ったことになりました」
今以上に困ったことがまだあるのかと、うんざりしながら和彦はメスを置く。かろうじて、患者の今のバイタルサインは安定を保っているが、次の瞬間にはどうなるかわからない、油断できない状態だ。
「なんだ?」
「――刑事が、外に来ています」
このときの和彦は、驚きすぎて、かえって反応できなかった。その反応を落ち着いていると取ったのか、組員が早口で説明を続ける。
「つまり、ぼくが今すぐ事情を知る必要はないということですね」
「はい。早急に手術に取り掛かっていただけるとありがたいです」
必要がない限り、ヤクザの事情に立ち入らない姿勢を保っている和彦としては、こんな会話を交わしても疎外感に襲われることはない。
ペーパータオルで手を拭いてラテックス手袋をしてから、奥の〈手術室〉へと向かう。もとはベッドルームなのだが、その名残りを留めているものはなかった。
広めの部屋の中央に手術台が置かれ、傍らには、移動式の照明器具や、古いタイプながらも手術に必要な機械や道具が一式揃えられている。床や壁一面にはビニールが貼られ、手術台の周囲には、足が滑らないようラグが敷かれていた。それ以外には、何もない部屋だ。
あとは、どういう経緯で長嶺組と関わりを持つことになったのか知らないが、これまでも和彦の手術を手伝ってくれた中年女性二人がおり、一人は点滴を取り替え、もう一人はバイタルサインをチェックしていた。おそらく元看護師か、本業の合間の危険なアルバイトといったところだ。個々の事情にも、和彦は立ち入るつもりはなかった。
手術台の上に横たわった男の顔色は蒼白で、腹部に当てられたガーゼは血に染まっている。
ドアを閉めようとした和彦に、幹部の一人が声をかけてきた。
「組長から伝言を言付かっています」
「なんと?」
「――可能な限り死なせるな、とのことです」
賢吾なら言いかねない台詞だとひどく納得する一方で、あの男がここまで言うのなら、患者はなんらかの価値がある人物なのだろう。
努力はしてみると応じた和彦はマスクをする。外からドアを閉めてもらい、ベッドに歩み寄った。
間近で血塗れの傷口を覗き込んでから、ひとまず血を洗う。その傍ら、輸血用の血液をどんどん準備するよう指示を出す。足元で山になっているガーゼの量からして、出血がひどすぎる。
「……他人事だと思って、簡単に言ってくれる……」
さきほどの賢吾からの言付けを思い返し、和彦は口中で毒づく。
腹を刃物で刺されたという説明を受けたのだが、正確には、腹を裂かれていた。刺した挙げ句に、明確な殺意を持って刃物を動かしたようだ。臓器の損傷がどれぐらいのものなのか想像もつかず、大きく開腹して確認するしかない。
麻酔医がいないと、手術を最後まで終えられるかすら怪しいと思いながら、和彦は注射器を手にする。額には、じっとりと嫌な汗が滲んでいた。
患者の脈拍が落ちてきたことに焦りを覚えながら、和彦は裂けた腸管を切除していく。一度の開腹で必要な処置をすべて行うのは無理だと判断してしまうと、手術の方針を決めるのは早い。
和彦は温めた生理食塩水で慎重に傷口の洗浄を行いながら、とにかく出血と、腹部の汚染に気をつけて処置を急ぐ。
大腸が傷ついているのを見たときは、さすがにヒヤリとしたが、縫合手術で問題はなさそうだった。
今は応急手当として、傷ついた臓器に、腹膜を当ててやるほうが先だ。
血塗れのガーゼを足元に落とし、和彦が腹部に手を突っ込もうとしたとき、突然、インターホンの音が鳴り響いた。肩を大きく震わせ、反射的に顔を上げる。ドアの向こうから、組員たちの慌ただしい気配が伝わってきた。誰かがこの部屋を訪れるという事態は、予想外のことらしい。
こちらが気にするまでもなく、誰かが上手く対処してくれるだろうと思ったが、和彦のこの予想は裏切られることになる。
ドアの向こうの落ち着かない空気に集中力を奪われながらも、慎重にメスを動かしていたところ、控えめにドアがノックされ、和彦と同じ手術着を着込んだ組員が入ってきた。手術中、和彦が頼んだものをたびたび運び込んでいるため、こんな格好をしているのだ。
「先生、困ったことになりました」
今以上に困ったことがまだあるのかと、うんざりしながら和彦はメスを置く。かろうじて、患者の今のバイタルサインは安定を保っているが、次の瞬間にはどうなるかわからない、油断できない状態だ。
「なんだ?」
「――刑事が、外に来ています」
このときの和彦は、驚きすぎて、かえって反応できなかった。その反応を落ち着いていると取ったのか、組員が早口で説明を続ける。
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