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第7話
(5)
しおりを挟む夜に突然、部屋にやってきた和彦を見ても、賢吾は驚いた様子もなく、それどころか余裕たっぷりの笑みを浮かべた。
「――長嶺組組長のところに夜這いにくるなんて、大胆だな、先生」
浴衣姿で座卓につき、分厚い本を開いている賢吾は、見惚れるほど渋い紳士そのものだ。だが、口から出た言葉は、紳士からは程遠い。
四十半ばの男が言うようなことかと思い、和彦は顔をしかめる。賢吾にとっては満足のいく反応だったらしく、機嫌よさそうに手招きされ、和彦は障子を閉めた。
賢吾の部屋は、一階の奥まった場所にある。書斎と寝室として二部屋を使っているが、壁や襖で区切られているわけではないので、広くて開放感がある。ただし、せっかくの立派な中庭は見えない。
主の身を守ることに重点が置かれているこの家は、賢吾の部屋に行くまでに、組員が詰めた部屋の前を通り、さらに、頑丈なドアを開けてもらわなくてはならないのだ。和彦も、できることなら足を踏み入れたくない一角だ。
「今夜はもう、とっくに眠ったのかと思った。いろいろありすぎて、疲れただろ。しかも、うちのバカ息子が、心配しすぎて暴走した挙げ句に、その先生に無茶をやらかした」
傍らに座った和彦に、賢吾がそう話しかけてきながら、片手を握り締めてくる。和彦はちらりと隣の部屋に視線を向けたが、すでに寝床は整えられていた。賢吾もそろそろ休むところだったのかもしれない。
「千尋の無茶は、いつものことだ。ぼくも慣れた。……暴走しているようで、きちんと加減を知っていて、ぼくを傷つけることも、痛い思いをさせることもないし」
「俺の躾のおかげか?」
賢吾が意味ありげに笑いかけてきたので、軽く睨みつけてやった。
「――それで、どうかしたのか、先生」
「大したことじゃない……と、ぼくには判断ができないから、寝る前に一応報告しておこうと思ったんだ」
昼間、薬のせいで嫌というほど眠ったせいで、夜になってからはなかなか寝付けなかったのだ。そして、何度も寝返りを打ちながらあれこれ考えているうちに、和彦はあることを思い出した。
「……携帯電話を落とした。鷹津という刑事の前で。多分――」
「奴なら、嬉々として拾っただろうな」
自分のミスを責められた気がして、和彦は唇を噛む。すると、握られた手を引っ張られ、賢吾に抱き寄せられた。
「そんな顔するな。先生は何も悪くない。三田村に、秦という男に連絡を取らせて、詳しい状況は把握した」
賢吾の言葉に、和彦は身を強張らせる。秦にされたことを意識して頭から追い払おうとするが、千尋との濃厚な行為の余韻も加わり、煩悶したくなるような疼きを呼び起こしてしまう。
和彦のこの反応は、秦が望んでいるものだろう。罪悪感と恐怖から、すべてを賢吾に話すことなど不可能だった。
「あの場は、逃げ出して正解だ。下手に騒動になったら、それこそ公務執行妨害だなんだと難癖つけられて、警察に引っ張られる口実を与えるだけだ」
話しながら賢吾の指にうなじをくすぐられ、髪の付け根を刺激される。和彦が小さく身震いすると、賢吾の唇が耳に押し当てられた。
「……鷹津に近づくな。あいつは、俺相手に報復したくてウズウズしている。そこに、先生みたいな美味そうな餌がふらふらしていたら――」
耳朶にゆっくりと歯が立てられ、和彦は呻き声を洩らす。痛みと、ゾクゾクするような疼きが背筋を駆け抜けていた。
「喰らいつかれるぞ。先生がひどい目に遭わされると、さすがの俺も牙を剥かないわけにはいかなくなるからな。ヤクザと警察の円満な関係のためにも、先生はしっかり護衛に守られてくれ」
最初に自分に喰らいつき、ひどい目に遭わせてきたのは誰だと思いながらも、和彦は吐息を洩らすように応じた。
「ああ……」
「携帯は諦めろ。先生の携帯なら、見られて困るような人間の番号や、メールはないだろ」
「長嶺組組長直通の携帯番号を登録してある。あと、その息子の携帯番号も」
「だったら、番号を変更するついでに、三人仲良く、同じ携帯に買い換えるか?」
和彦は本気で呆れてため息をつき、その反応がおもしろかったのか、賢吾は声を洩らして笑う。そして、両腕で抱き締められた。この腕の強さと熱さは、体を求めてくるときの前触れだ。
「今夜は――」
「何もしない。ただ、同じ布団で寝るだけだ」
間近から覗き込まれると、大蛇を潜ませた目の威力に逆らえない。和彦は賢吾の唇を軽く吸ってから頷いた。
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