血と束縛と

北川とも

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第6話

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 千尋なりに、独占欲をぶつけたいという衝動を、今日までなんとか堪えていたらしい。子供のように不器用に言葉を紡ぐ千尋を見ていると、和彦はどうしても、突き放すことができない。
 犬っころのように素直で可愛い反面、とてつもなく扱いにくくて、危険なこの青年を、和彦なりに大事に思っているのだから仕方ない。
「十歳も年上の男に、お前は特別だ、と言われて嬉しいか、お前?」
「嬉しいよっ」
 即答され、和彦は苦笑を洩らす。気が高ぶっている千尋を落ち着かせるため、背をポンポンと軽く叩いてやったが、逆効果だったらしい。切羽詰った表情で顔を上げた千尋に、いきなり唇を塞がれた。
「んんっ……」
 ドアに押しつけられ、千尋が体全体で威圧してくる。千尋の目的がわかり、和彦は必死に押し退けようとするが、必死さが伝わってくる抱擁に、手荒なことができない。
 和彦は確かに千尋に甘いが、それはやはり、千尋に求められるのが好きだからだ。
 ヤクザの世界に沈められてからの和彦は明らかに、男たちからぶつけられる激情に貪欲になりつつあった。どれだけ呑み込んでも、さらに欲してしまう――。
 千尋に煽られるように、和彦もキスに応じていた。舌先を触れ合わせながら、千尋の頬を撫で、髪を梳いてやると、熱い吐息を洩らして千尋にきつく抱き締められる。
「……先生が誰のものになってもいいけど、こうして甘やかすのは、俺に対してだけだって、約束して」
 唐突な千尋の言葉に、軽く目を見開いた和彦だったが、すぐに柔らかな苦笑を浮かべて頭を撫でてやる。
「甘ったれ」
「いいよ。先生が頭を撫でてくれるなら、俺はずっと、甘ったれでいる」
 熱烈な口説き文句だなと思いながら、つい視線をさまよわせる。十歳も年下の青年から囁かれる甘い言葉に、何も考えずに酔ってしまいたいところだが、もう一人、千尋の告白を聞いている人間がいるのだ。
 再びドアを開けたとき、秦は嫌悪感も露わな表情を見せるだろうかと想像しながら、和彦は千尋からのキスを受け入れる。しかし、すぐに声を上げることになる。
「バカっ……、千尋、こんなところで何を――」
 千尋の片手が油断ならない動きで、和彦の両足の間をまさぐり始めたのだ。
「オヤジとは、ここでもっとすごいことしたんでしょ?」
 賢吾を煙たがる言動を取っているようで、千尋は賢吾の影響を強く受けている。特に、ロクでもない方面で。
「だからといって、お前がマネする必要ないだろ」
「約束して。先生が甘やかすのは、俺だけだって」
 真摯な表情と、食い入るような眼差しを向けられて、冷たくあしらうことなどできなかった。小さく息を吐き出した和彦は、大きな図体の犬っころの頭を撫で回す。
「ぼくはいままで、お前みたいな甘ったれと出会ったことはないぞ。こっちも手加減を忘れて甘やかしているから、お前一人で手一杯だ。他の奴に甘えられても、面倒見きれない」
「……照れ屋だなー、先生。お前だけだ、の一言で済むのに」
「調子に乗るな」
 千尋の頬を軽く抓り上げたが、当の千尋が楽しそうに笑っているので、バカらしくなってくる。和彦は、千尋の頭を抱き締めた。
「今日は、おとなしく帰れ。明日なら、部屋に転がり込んできてもいいから」
「うん。……いっぱいセックスしていい?」
 調子に乗るなと、千尋の足を思いきり踏んでやった。笑いながら体を離した千尋から濃厚なキスを与えられてから、なんとか帰らせることに成功する。
 エレベーターまで見送りに行ってから引き返した和彦は、ドキリとする。秦の姿がホールにあったからだ。
 咄嗟にどんな顔をすればいいのかわからず、和彦は所在なく髪に指を差し込んだまま口ごもる。考えあぐねた挙げ句に出た言葉は、これだった。
「――……すみません……」
 秦は短く噴き出し、知り合ってから変わらない柔らかな笑みを浮かべた。
「どうして謝るんですか」
「いえ……、不愉快なものをお見せしたというか、お聞かせしたというか……。ぼくが、長嶺組でどんな存在なのか、もうご存じだとは思いますが、やはり話を聞くのと、実態に触れるのとでは、嫌悪感は違うんじゃないかと――」
「声しか聞こえませんでしたが、刺激的でドキドキしましたよ。会話が甘くて、さすがのわたしも、照れてしまいそうでしたが」
 冗談めかしてこう言ってくれるのは、秦ながらの気遣いなのだろう。
「ここの内装はわかったし、先生が持つクリニックのインテリアのイメージも掴めたので、今度はわたしが、近いうちにお気に入りの店を案内します」
「ぜひ。いつでも連絡をください。ぼくは基本的に、いつでも動けますから」
「はりきって、先生とのデートのタイムテーブルを組みますよ」
 えっ、と声を洩らした和彦に対して、秦は唇の端を動かすだけの笑みを浮かべる。そうすると、人当たりの柔らかな美貌の青年実業家は、少しだけ悪い男に見えた。
「――先生みたいな方なら、わたしは十分、〈あり〉ですよ。いろんな意味で先生は興味深いし、魅力的ですからね」
 目を丸くする和彦の前で一際艶やかな笑みを見せた秦は、スマートな動作で一礼して、非常階段があるほうへと歩いていく。
 和彦は、思いがけない秦の言葉に動揺してしまい、見送るどころか、礼を言うことすらできなかった。

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