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第5話
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エレベーターの到着を待つ間がもたず、和彦にとってはもっとも大事な話題を持ち出す。三田村の後ろ姿は感情の揺れを一切うかがわせなかった。
「どうして急にそんなことを言い出したんだ」
「組長にも話したが、俺じゃ、先生みたいな人が望むような護衛をできる自信がない」
「先生みたいな人、って、具体的にどういうことだ?」
ようやく三田村が、肩越しにちらりと振り返る。きつい眼差しを向けると、感情を徹底して排した目で見つめ返してきた三田村は、また前を向いた。
「先生みたいな人としか表現できない。俺は三十四年生きてきて、あんたみたいな人には初めて会って、正直まだ戸惑っている。……普通の男の顔をして、平気で男を惑わせるしな。したたかで狡い性質かと思ったら、ひどく不安定で脆いところも見せられた。そういう難解な人間に、俺はいままで触れたことがない」
「だから護衛を外れるのか……」
「それがお互いのためだ。いろいろな事情を含めて」
そんな理由で納得できるはずないだろうと、カッとした和彦は怒鳴りたくなったが、たまたまエレベーターの扉が開いてしまったのでタイミングを逃す。それに、エレベーターには人が乗っていた。
和彦は三田村に促されるまま、少し離れたコインパーキングに置いてあるという車へと向かう。
花火大会のこんな夜、どこの駐車場も満車で、道路は混み合っている。和彦が花火を楽しんでいる最中、三田村はここに来るまで相当苦労しただろう。賢吾に命じられ、犬のように従順に和彦を捜していた男には、そんな感覚があるのか怪しいが。
歩道を歩く人たちの流れと逆の方向に進んでいるにもかかわらず、先を歩く三田村を、人々は露骨に避ける。この男が放つ独特の空気のせいか、和彦からは見えないだけで、威嚇するような表情を浮かべているのか――。
小さな花火の音が散発的に上がっていたが、不意をついたように、一際大きな花火の音が鳴り、和彦の体を震わせる。思わず足を止め、空を見上げていた。もちろん、ここから見えるはずもない。
それでも空を眺めていると、三田村に呼びかけられる。
「――先生」
早く来いと言わんばかりに片手を差し出され、ムッとしながらも和彦は足早に歩み寄る。
「まだ花火大会は終わってないんだ。どこかでゆっくり花火を見たい」
「そんな場所があったら、とっくに他の観客が占領してる。それに、渋滞に巻き込まれている間に、肝心の花火大会が終わるだろうな」
「……なら、歩いて帰る」
和彦が踵を返そうとすると、大股で歩み寄ってきた三田村に乱暴に腕を掴まれ、有無を言わさず引きずられる。
不思議なもので、三田村一人が歩いていると人々が道を空けたというのに、和彦の腕を掴んでいるというだけで、三田村の姿は人々の間に紛れてしまう。案外、酔っ払い同士がつるんでいるように見えているのかもしれない。
ようやくコインパーキングに到着した頃には、クラブで飲んだアルコールが程よく回り、少しだけ気分が落ち着いていた。
和彦が助手席に乗り込んでも、三田村は後部座席に移るよう言わなかった。黙って車を出し、案の定、すぐに渋滞に巻き込まれる。
沈黙を意識する前に、和彦は率直な疑問をぶつけた。
「これからぼくを、どこに連れて行くんだ」
「どこにも。ただ、先生を部屋に連れて帰る。そして先生は、風呂に入ってから、ゆっくり休んでくれ」
「だったら今夜は、あんたが護衛をしてくれるのか?」
「――……違う」
すかさず和彦はシートベルトを外そうとしたが、実行には至らなかった。こちらの行動を読んでいたように、三田村に手を掴まれたせいだ。
「何をするつもりだ」
「見張りがいないなら、ここで車を降りたところで問題はないだろう。あんたは、ぼくが見つからなかったと言えば済むし」
「ダメだ」
「ぼくの護衛でなくなったあんたに、そんなことを言う権利はない」
子供じみた理屈を言っていると、和彦にも自覚はあるのだ。だが、予測もしなかった形で三田村が目の前に現れ、クラブから連れ出されたことで、どういう態度を取っていいのかわからない。
『――三田村と寝たいか、先生?』
忌々しいことに、こんなときに賢吾の言葉が脳裏を過る。
そして、しっかりと手を掴んで離さない三田村は、射竦めるような眼差しを和彦に向けてくる。威嚇しているのではない。自制している男の、切羽詰った目だ。
三田村とは、色恋ではない。もっと性質が悪いものだ。動物的な本能だけで突き動かされる、欲望だ。
この男に守られるのが好きだった。この男に触れられるのが好きだった。必要な理屈があるとすれば、これで十分だ。
何もかも、賢吾が言っていた通りだった。和彦も野獣の一匹だ。もちろん、三田村も同じ。
三田村がふいに手を離し、車をほんの数メートルだけ進める。再び車が停まると、それを待ってから和彦から手を伸ばし、ハンドルを握る三田村の手の上に重ねた。すぐに三田村に手を握り返され、指を絡める。
「……三田村さん、あんたに聞きたいことがある」
「なんだ」
「組長から、ぼくのことで何か質問されなかったか」
三田村は答えなかったが、代わりに、強く指を握り締められた。
このとき和彦には容易に想像できた。『先生と寝たいか、三田村?』と唆す賢吾の姿と言葉が。
二人が沈黙している間、小さな花火がいくつか打ち上がる音がする。
じっと前を見据えていた三田村が、突然、話し始めた。
「――俺は、先生をさらに地獄に落としたくない。実行した俺が言うのもなんだが、ヤクザに拉致られて、おもちゃを尻に突っ込まれて、そんな場面を写真としてばら撒かれた挙げ句に、職場にいられなくなった先生を、俺たちはヤクザの世界に沈めた」
ハスキーな声は淡々とはしているが、それでも苦悩のようなものが滲み出ているようだった。
「いい部屋を与えられて、若くしてクリニック経営を任されて、欲しいものをなんでも買ってもらったところで、堅気にとっては、ヤクザの世界なんてやっぱり地獄だ。そんな環境の中にいて、俺が先生に触れていたなんて組長に知られたら――」
「もっと地獄を見せられるか、そうなる前に、殺されるかもな」
和彦の言葉に、三田村がゆっくりとこちらを見る。
「……煽ったのは、あの組長だ。欲しいという気持ちに見境も理屈もないと言って。ぼくは、そんな野獣たちの一員だそうだ」
もう一度和彦の指をきつく握ってから、三田村が手を離す。その手が伸ばされ、和彦の頬に触れてきた。ごっそりと感情をどこかに置き忘れたような無表情が印象的だった男は、今は、鬼気迫るような凄みを帯びた顔をしていた。
こんな三田村を怖いと感じながら、たまらなく欲しいとも思った。
互いにシートから身を乗り出すと、間近で見つめ合いながら、抗えない引力に引き寄せられるように唇を重ねていた。性急に三田村に唇を吸われ、二人は余裕なく貪り合う。
だが、こんなものでは、抱えた渇望は消えない。それは三田村も同じだと、目を見ればわかる。
このことを確認したとき、二人は完全に歯止めを失っていた。
「どうして急にそんなことを言い出したんだ」
「組長にも話したが、俺じゃ、先生みたいな人が望むような護衛をできる自信がない」
「先生みたいな人、って、具体的にどういうことだ?」
ようやく三田村が、肩越しにちらりと振り返る。きつい眼差しを向けると、感情を徹底して排した目で見つめ返してきた三田村は、また前を向いた。
「先生みたいな人としか表現できない。俺は三十四年生きてきて、あんたみたいな人には初めて会って、正直まだ戸惑っている。……普通の男の顔をして、平気で男を惑わせるしな。したたかで狡い性質かと思ったら、ひどく不安定で脆いところも見せられた。そういう難解な人間に、俺はいままで触れたことがない」
「だから護衛を外れるのか……」
「それがお互いのためだ。いろいろな事情を含めて」
そんな理由で納得できるはずないだろうと、カッとした和彦は怒鳴りたくなったが、たまたまエレベーターの扉が開いてしまったのでタイミングを逃す。それに、エレベーターには人が乗っていた。
和彦は三田村に促されるまま、少し離れたコインパーキングに置いてあるという車へと向かう。
花火大会のこんな夜、どこの駐車場も満車で、道路は混み合っている。和彦が花火を楽しんでいる最中、三田村はここに来るまで相当苦労しただろう。賢吾に命じられ、犬のように従順に和彦を捜していた男には、そんな感覚があるのか怪しいが。
歩道を歩く人たちの流れと逆の方向に進んでいるにもかかわらず、先を歩く三田村を、人々は露骨に避ける。この男が放つ独特の空気のせいか、和彦からは見えないだけで、威嚇するような表情を浮かべているのか――。
小さな花火の音が散発的に上がっていたが、不意をついたように、一際大きな花火の音が鳴り、和彦の体を震わせる。思わず足を止め、空を見上げていた。もちろん、ここから見えるはずもない。
それでも空を眺めていると、三田村に呼びかけられる。
「――先生」
早く来いと言わんばかりに片手を差し出され、ムッとしながらも和彦は足早に歩み寄る。
「まだ花火大会は終わってないんだ。どこかでゆっくり花火を見たい」
「そんな場所があったら、とっくに他の観客が占領してる。それに、渋滞に巻き込まれている間に、肝心の花火大会が終わるだろうな」
「……なら、歩いて帰る」
和彦が踵を返そうとすると、大股で歩み寄ってきた三田村に乱暴に腕を掴まれ、有無を言わさず引きずられる。
不思議なもので、三田村一人が歩いていると人々が道を空けたというのに、和彦の腕を掴んでいるというだけで、三田村の姿は人々の間に紛れてしまう。案外、酔っ払い同士がつるんでいるように見えているのかもしれない。
ようやくコインパーキングに到着した頃には、クラブで飲んだアルコールが程よく回り、少しだけ気分が落ち着いていた。
和彦が助手席に乗り込んでも、三田村は後部座席に移るよう言わなかった。黙って車を出し、案の定、すぐに渋滞に巻き込まれる。
沈黙を意識する前に、和彦は率直な疑問をぶつけた。
「これからぼくを、どこに連れて行くんだ」
「どこにも。ただ、先生を部屋に連れて帰る。そして先生は、風呂に入ってから、ゆっくり休んでくれ」
「だったら今夜は、あんたが護衛をしてくれるのか?」
「――……違う」
すかさず和彦はシートベルトを外そうとしたが、実行には至らなかった。こちらの行動を読んでいたように、三田村に手を掴まれたせいだ。
「何をするつもりだ」
「見張りがいないなら、ここで車を降りたところで問題はないだろう。あんたは、ぼくが見つからなかったと言えば済むし」
「ダメだ」
「ぼくの護衛でなくなったあんたに、そんなことを言う権利はない」
子供じみた理屈を言っていると、和彦にも自覚はあるのだ。だが、予測もしなかった形で三田村が目の前に現れ、クラブから連れ出されたことで、どういう態度を取っていいのかわからない。
『――三田村と寝たいか、先生?』
忌々しいことに、こんなときに賢吾の言葉が脳裏を過る。
そして、しっかりと手を掴んで離さない三田村は、射竦めるような眼差しを和彦に向けてくる。威嚇しているのではない。自制している男の、切羽詰った目だ。
三田村とは、色恋ではない。もっと性質が悪いものだ。動物的な本能だけで突き動かされる、欲望だ。
この男に守られるのが好きだった。この男に触れられるのが好きだった。必要な理屈があるとすれば、これで十分だ。
何もかも、賢吾が言っていた通りだった。和彦も野獣の一匹だ。もちろん、三田村も同じ。
三田村がふいに手を離し、車をほんの数メートルだけ進める。再び車が停まると、それを待ってから和彦から手を伸ばし、ハンドルを握る三田村の手の上に重ねた。すぐに三田村に手を握り返され、指を絡める。
「……三田村さん、あんたに聞きたいことがある」
「なんだ」
「組長から、ぼくのことで何か質問されなかったか」
三田村は答えなかったが、代わりに、強く指を握り締められた。
このとき和彦には容易に想像できた。『先生と寝たいか、三田村?』と唆す賢吾の姿と言葉が。
二人が沈黙している間、小さな花火がいくつか打ち上がる音がする。
じっと前を見据えていた三田村が、突然、話し始めた。
「――俺は、先生をさらに地獄に落としたくない。実行した俺が言うのもなんだが、ヤクザに拉致られて、おもちゃを尻に突っ込まれて、そんな場面を写真としてばら撒かれた挙げ句に、職場にいられなくなった先生を、俺たちはヤクザの世界に沈めた」
ハスキーな声は淡々とはしているが、それでも苦悩のようなものが滲み出ているようだった。
「いい部屋を与えられて、若くしてクリニック経営を任されて、欲しいものをなんでも買ってもらったところで、堅気にとっては、ヤクザの世界なんてやっぱり地獄だ。そんな環境の中にいて、俺が先生に触れていたなんて組長に知られたら――」
「もっと地獄を見せられるか、そうなる前に、殺されるかもな」
和彦の言葉に、三田村がゆっくりとこちらを見る。
「……煽ったのは、あの組長だ。欲しいという気持ちに見境も理屈もないと言って。ぼくは、そんな野獣たちの一員だそうだ」
もう一度和彦の指をきつく握ってから、三田村が手を離す。その手が伸ばされ、和彦の頬に触れてきた。ごっそりと感情をどこかに置き忘れたような無表情が印象的だった男は、今は、鬼気迫るような凄みを帯びた顔をしていた。
こんな三田村を怖いと感じながら、たまらなく欲しいとも思った。
互いにシートから身を乗り出すと、間近で見つめ合いながら、抗えない引力に引き寄せられるように唇を重ねていた。性急に三田村に唇を吸われ、二人は余裕なく貪り合う。
だが、こんなものでは、抱えた渇望は消えない。それは三田村も同じだと、目を見ればわかる。
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