73 / 1,268
第5話
(6)
しおりを挟む
「まあ、お前がそこまで言うなら。それに、今のこの状態は気楽だから、文句言う気もない」
ただ、気楽なのは確かだが、外ではほぼ行動をともにしてきた三田村が側にいないということに、ふいに落ち着かなくなったりもする。側にいればいたで、圧迫感を覚えて居心地が悪くなることもあるのに。
和彦はカップを口元に運びながら、千尋を観察する。
千尋はどうやら、自分の父親と和彦、それに三田村の三人の間で異変が起こっていることに気づいていないらしい。それとも、そう装っているのか――。
ストローに口をつけていた千尋が、ふいに笑いかけてきた。
「――先生、色っぽいね。じっと俺を見るときの表情とか」
突然の千尋の言葉に、和彦はうろたえる。
「なっ、何、言ってるんだ、お前はっ……」
「初めて会ったときからさ、先生には独特の雰囲気があったんだよ。妙に惹きつけるっていうか。それに加えて、今は婀娜っぽい。ヤクザと渡り合ってると、必然的にそうなっちゃうのかな」
「……渋い言葉知ってるな、お前」
褒めたつもりはないのだが、千尋が照れたように笑ったので、つられて和彦も口元に笑みを浮かべる。本当は、変なことを言うなと怒るつもりだったのだが、毒気を抜かれた。
「ねえ、まだ買い物につき合ってもらっていい?」
「それはいいが、ぼくの買い物にもつき合えよ」
当然、と言わんばかりに、満面の笑みで千尋が頷いた。
クリニックに勤めている頃、敏感な女性患者の鼻を気にかけ、職場ではまったくコロンをつけていなかった和彦だが、皮肉なことに今の生活は、そういった気遣いからは解放されている。
もともと好みであるユニセックスな香りのコロンを、衝動買いすることが増えていた。どうせクリニックを開業するまでの間のことだ。
和彦はコロンが入っている小さな紙袋を掲げて眺めてから、視線を向かいのショップに向ける。雑誌で頻繁に取り上げられるというカジュアルブランドのショップだけあって、客のほとんどが二十歳前後の若者だ。
その中で一際目立つのは、楽しそうにTシャツを選んでいる千尋だった。
決して贔屓目ではなく、千尋の存在感は特別なのだ。さきほど、実家の仕事のせいで孤立していたと話した千尋だが、本当はそれだけではないだろうと和彦は考えている。魅力的な存在は、人を惹きつける一方で、それが過ぎて、近づくことを臆させてしまうものなのだ。
和彦の視線に気づいたのか、千尋が手にしたTシャツを胸元に当ててこちらに見せてくる。似合っているという意味を込めて和彦が頷いて見せると、子犬のような素直さで、千尋がパッと顔を輝かせる。
「……ああして見ると、本当に、いいところの坊ちゃんにしか見えないんだがな……」
千尋の屈託ない表情につられて、口中でそう呟きながらも和彦は、つい笑みを浮かべていた。
手すりにもたれかかり、吹き抜けとなっている階下を何げなく見下ろす。雑多に行き交う客の姿を漫然と目で追っていた和彦だが、突然背後で、言い争うような声が上がった。
「おい、なんだよ、あんたっ」
それが千尋の声だとわかり、素早く振り返る。すると、少し前まで楽しそうにTシャツを選んでいた千尋が、殺気立った様子で目を吊り上げていた。そして、そんな千尋の髪を鷲掴んでいる男がいる。
一目見て異常な状況がわかり、和彦は総毛立つ。
「離せよっ。俺が何したってんだっ」
千尋が男の手を振り払おうとしたが、もう片方の手が、今度は千尋の喉元を掴む。それを見た瞬間、和彦は駆け出していた。
「千尋っ」
二人の側に行くと、男の言葉が耳に届いた。
「――お前、長嶺のところのガキだな」
この言葉を聞いた瞬間、和彦の体は勝手に反応する。千尋の喉元にかかる男の手に、自分の手をかけていた。
ようやく和彦の存在に気づいたように、男がゆっくりとこちらを見た。
「先生っ、離れててっ……」
千尋が悲鳴のような声を上げるが、和彦は男から目が離せなかった。離した瞬間、どんな危害を加えられるかわからなかったからだ。
男からは、嫌なものを感じた。怖いのではない。ただ、生理的な嫌悪感を覚える。
「……長嶺組も変わったな。こんな優男が組にいるのか」
男はそう言って薄い笑みを浮かべ、和彦はそんな男を見据える。
癖のある長めの髪をオールバックにしており、彫りの深い顔には無精ひげが目立つ。顔の部位の一つ一つが日本人離れして大きく、国籍不明の外国人のようにも見え、三十代後半から四十代前半ぐらいの男を胡散臭く見せている。
ただ、気楽なのは確かだが、外ではほぼ行動をともにしてきた三田村が側にいないということに、ふいに落ち着かなくなったりもする。側にいればいたで、圧迫感を覚えて居心地が悪くなることもあるのに。
和彦はカップを口元に運びながら、千尋を観察する。
千尋はどうやら、自分の父親と和彦、それに三田村の三人の間で異変が起こっていることに気づいていないらしい。それとも、そう装っているのか――。
ストローに口をつけていた千尋が、ふいに笑いかけてきた。
「――先生、色っぽいね。じっと俺を見るときの表情とか」
突然の千尋の言葉に、和彦はうろたえる。
「なっ、何、言ってるんだ、お前はっ……」
「初めて会ったときからさ、先生には独特の雰囲気があったんだよ。妙に惹きつけるっていうか。それに加えて、今は婀娜っぽい。ヤクザと渡り合ってると、必然的にそうなっちゃうのかな」
「……渋い言葉知ってるな、お前」
褒めたつもりはないのだが、千尋が照れたように笑ったので、つられて和彦も口元に笑みを浮かべる。本当は、変なことを言うなと怒るつもりだったのだが、毒気を抜かれた。
「ねえ、まだ買い物につき合ってもらっていい?」
「それはいいが、ぼくの買い物にもつき合えよ」
当然、と言わんばかりに、満面の笑みで千尋が頷いた。
クリニックに勤めている頃、敏感な女性患者の鼻を気にかけ、職場ではまったくコロンをつけていなかった和彦だが、皮肉なことに今の生活は、そういった気遣いからは解放されている。
もともと好みであるユニセックスな香りのコロンを、衝動買いすることが増えていた。どうせクリニックを開業するまでの間のことだ。
和彦はコロンが入っている小さな紙袋を掲げて眺めてから、視線を向かいのショップに向ける。雑誌で頻繁に取り上げられるというカジュアルブランドのショップだけあって、客のほとんどが二十歳前後の若者だ。
その中で一際目立つのは、楽しそうにTシャツを選んでいる千尋だった。
決して贔屓目ではなく、千尋の存在感は特別なのだ。さきほど、実家の仕事のせいで孤立していたと話した千尋だが、本当はそれだけではないだろうと和彦は考えている。魅力的な存在は、人を惹きつける一方で、それが過ぎて、近づくことを臆させてしまうものなのだ。
和彦の視線に気づいたのか、千尋が手にしたTシャツを胸元に当ててこちらに見せてくる。似合っているという意味を込めて和彦が頷いて見せると、子犬のような素直さで、千尋がパッと顔を輝かせる。
「……ああして見ると、本当に、いいところの坊ちゃんにしか見えないんだがな……」
千尋の屈託ない表情につられて、口中でそう呟きながらも和彦は、つい笑みを浮かべていた。
手すりにもたれかかり、吹き抜けとなっている階下を何げなく見下ろす。雑多に行き交う客の姿を漫然と目で追っていた和彦だが、突然背後で、言い争うような声が上がった。
「おい、なんだよ、あんたっ」
それが千尋の声だとわかり、素早く振り返る。すると、少し前まで楽しそうにTシャツを選んでいた千尋が、殺気立った様子で目を吊り上げていた。そして、そんな千尋の髪を鷲掴んでいる男がいる。
一目見て異常な状況がわかり、和彦は総毛立つ。
「離せよっ。俺が何したってんだっ」
千尋が男の手を振り払おうとしたが、もう片方の手が、今度は千尋の喉元を掴む。それを見た瞬間、和彦は駆け出していた。
「千尋っ」
二人の側に行くと、男の言葉が耳に届いた。
「――お前、長嶺のところのガキだな」
この言葉を聞いた瞬間、和彦の体は勝手に反応する。千尋の喉元にかかる男の手に、自分の手をかけていた。
ようやく和彦の存在に気づいたように、男がゆっくりとこちらを見た。
「先生っ、離れててっ……」
千尋が悲鳴のような声を上げるが、和彦は男から目が離せなかった。離した瞬間、どんな危害を加えられるかわからなかったからだ。
男からは、嫌なものを感じた。怖いのではない。ただ、生理的な嫌悪感を覚える。
「……長嶺組も変わったな。こんな優男が組にいるのか」
男はそう言って薄い笑みを浮かべ、和彦はそんな男を見据える。
癖のある長めの髪をオールバックにしており、彫りの深い顔には無精ひげが目立つ。顔の部位の一つ一つが日本人離れして大きく、国籍不明の外国人のようにも見え、三十代後半から四十代前半ぐらいの男を胡散臭く見せている。
45
お気に入りに追加
1,391
あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
イケメン社長と私が結婚!?初めての『気持ちイイ』を体に教え込まれる!?
すずなり。
恋愛
ある日、彼氏が自分の住んでるアパートを引き払い、勝手に『同棲』を求めてきた。
「お前が働いてるんだから俺は家にいる。」
家事をするわけでもなく、食費をくれるわけでもなく・・・デートもしない。
「私は母親じゃない・・・!」
そう言って家を飛び出した。
夜遅く、何も持たず、靴も履かず・・・一人で泣きながら歩いてるとこを保護してくれた一人の人。
「何があった?送ってく。」
それはいつも仕事場のカフェに来てくれる常連さんだった。
「俺と・・・結婚してほしい。」
「!?」
突然の結婚の申し込み。彼のことは何も知らなかったけど・・・惹かれるのに時間はかからない。
かっこよくて・・優しくて・・・紳士な彼は私を心から愛してくれる。
そんな彼に、私は想いを返したい。
「俺に・・・全てを見せて。」
苦手意識の強かった『営み』。
彼の手によって私の感じ方が変わっていく・・・。
「いあぁぁぁっ・・!!」
「感じやすいんだな・・・。」
※お話は全て想像の世界のものです。現実世界とはなんら関係ありません。
※お話の中に出てくる病気、治療法などは想像のものとしてご覧ください。
※誤字脱字、表現不足は重々承知しております。日々精進してまいりますので温かく見ていただけると嬉しいです。
※コメントや感想は受け付けることができません。メンタルが薄氷なもので・・すみません。
それではお楽しみください。すずなり。

久々に幼なじみの家に遊びに行ったら、寝ている間に…
しゅうじつ
BL
俺の隣の家に住んでいる有沢は幼なじみだ。
高校に入ってからは、学校で話したり遊んだりするくらいの仲だったが、今日数人の友達と彼の家に遊びに行くことになった。
数年ぶりの幼なじみの家を懐かしんでいる中、いつの間にか友人たちは帰っており、幼なじみと2人きりに。
そこで俺は彼の部屋であるものを見つけてしまい、部屋に来た有沢に咄嗟に寝たフリをするが…



塾の先生を舐めてはいけません(性的な意味で)
ベータヴィレッジ 現実沈殿村落
BL
個別指導塾で講師のアルバイトを始めたが、妙にスキンシップ多めで懐いてくる生徒がいた。
そしてやがてその生徒の行為はエスカレートし、ついに一線を超えてくる――。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる