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第4話
(10)
しおりを挟む診るたびに、肌の露出が多くなっていくのはどういうことなのだろうかと、そんな疑問を抱きながら和彦は、並んでソファに腰掛けた由香の瞼を検分する。
別に胸に聴診器を当てる必要も、腕に注射をする必要もないのだが、由香はなぜか、キャミソールにショートパンツという際どい格好をしていた。最初の頃は、長袖の野暮ったいパジャマ姿だったというのに。
和彦の医者としての腕に対して、最初は不信感を露わにしていた彼女だが、数回ほど通ううちに、すっかり態度が変わった。今では、整形手術について相談されるまでになっていた。
昭政組組長の難波の愛人であることを、明け透けに話してくれる様子は、手管に長けた女のものというより、無邪気な子供を思わせる。そのくせ、和彦が訪問の回数を重ねるごとに強調されていく由香の体のラインは、見事に成熟している。
薄いキャミソールの上から、はっきりとわかる形のいい胸を一瞥して、和彦はそっと息を吐き出す。
「傷は化膿していません。ぼくの注意をよく守ってくれていたみたいですね」
目を開けさせて和彦が笑いかけると、由香はパッと表情を輝かせる。すかさず和彦は由香の瞼を捲り上げ、充血を確認する。こちらも問題なかった。
「まだ赤みが残ってますから、ぼくがいいと言うまで、アイメイクは控えてください」
「ということは、まだ佐伯先生、ここに通ってきてくれるの?」
由香の物言いから、露出の高い格好の意味を察する。クリニックにいた頃、患者から特別な関心を持たれることは何度もあったのだ。
「もう消毒の必要はないから、あとは完治まで、週に一度通ってくる程度になりますね」
由香が唇を尖らせたが、その仕種がどこかの犬っころを連想させ、つい和彦は表情を綻ばせる。由香と、どこかの犬っころは、年齢が同じなのだ。
「つまんなーい。難波さんには、しばらく家から出るなって言われてるから、毎日先生が通ってきてくれるのが楽しみだったのに」
「どうしてそんなこと言われたんです?」
「この目の手術のことで怒ってるの。勝手なことした挙げ句に、長嶺――」
パッと口元を手で押さえた由香が、ある方向を見る。視線の先には、昭政組の組員二人が立っていた。和彦が自分の愛人に手を出すとでも思っているのか、診察のときには難波は、こうやって組員を立ち合わせているのだ。クリニックでは看護師がいることを思えば、男しかいないこの状況では仕方のない処置だろう。
由香は声を潜めて言葉を続けた。
「長嶺組に借りを作ったのが、気に食わないみたい。仲が悪いんでしょう?」
「さあ、そこまでは」
和彦が苦笑で返すと、組同士の関係に興味がないらしく、由香は身を乗り出して次の話題に切り替えた。
「そういえば佐伯先生、近いうちに、クリニックを開業するって聞いたんだけど、本当?」
「……誰に聞いたんですか」
由香がちらりと一瞥したのは、隣のダイニングのテーブルで優雅にコーヒーを飲んでいる中嶋だ。和彦を送り迎えする以外にも、ここに顔を出しているらしい。
「総和会から連絡したいことがあると、中嶋さんが来るの。奥さんがいる家より、こっちのほうが、難波さんが捕まりやすいんだと思う」
和彦の疑問を察したように教えてくれたが、その口調からは、愛人である自分の立場に対する引け目のようなものは一切感じ取れない。案外、仕事のようなものだと割り切っているのかもしれない。
「ねえ、佐伯先生、クリニックの話、本当?」
「あっ、まあ、クリニックを開くのは本当ですよ。今はまだ、準備中ですけど」
「だったら、開業したら、わたしのことも診てくれる?」
まだ二重瞼の手術を諦めていないのだろうかと思いながら、和彦は微笑んで頷く。
「開業準備ができたら、一番に案内状をお渡ししますよ」
「ありがとっ」
大げさなほど飛び上がった由香に、次の瞬間、抱きつかれた。弾力のある胸の感触は、男としては魅力を感じるべきなのだろうが、和彦が気にかけたのは、周囲の組員たちの反応だ。あとで難波に怒鳴り込まれてはたまらない。
さりげなく由香の体を押し戻してから、和彦は立ち上がる。
「それじゃあ、今日はこれで失礼します。何か異変があったら、いつでも中嶋さんを通して連絡をください」
その中嶋は、いつの間にか和彦の傍らに立っていた。促されるまま立ち去ろうとすると、名残惜しそうに由香に手を振られ、苦笑しながら和彦は会釈で返した。
「――先生、気に入られてますね」
エレベーターの中で二人きりになると、中嶋が口を開く。仕事以外のことで中嶋から声をかけてくるのは、もしかして初めてかもしれない。驚いて目を丸くする和彦に、中嶋はちらりと笑いかけてきた。
「雑談、邪魔ですか?」
「いや……、そうじゃなくて、総和会というのがいまいちよくわかってないから、組の人間に個人的なことは話しかけてこないのかと思っていた」
「そんなことありませんよ。ただ、先生はどういう人なのか、ずっとうかがっていただけです。気難しい人か、そうじゃないか――とか。だから、難波組長の件で助けてもらったときも、あえて長嶺組経由で礼を伝えたんです。反応を見たくて」
慎重だな、というのが和彦の率直な感想だった。所属する組織によって、人間関係どころか、言動にも気をつかわざるをえないらしい。
「ぼくにそんなに気をつかわなくていいよ。単なる医者だ」
「それは、正確じゃないですね」
中嶋の婉曲な言い方に、反射的に顔をしかめる。言いたいことはわかっている。この世界で和彦の存在を表すのに大事なものは二つだけだ。医者であることと、賢吾のオンナであることだ。ついでに、千尋のオンナでもある。
「……とにかく、会話に気をつかってもらうほどの存在じゃない。なんでもかんでも、長嶺組に報告する気もないしな」
駐車場に向かいながら和彦は、エレベーター内での中嶋の言葉の意味を尋ねる。
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