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第4話
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「構いませんか?」
和彦は声をかけてからベッドの傍らに腰掛けると、女の顔から濡れタオルを除ける。一目見て、顔をしかめた。愛らしい顔立ちをした女の両瞼が腫れ上がり、満足に目も開けられないようだった。
「……こうなる原因に心当たりはありますか?」
「昨日まで、海外に行ってたんだ。行った先で、整形手術が安く簡単に受けられるといって、二重瞼の手術をしたそうだ。……バカが。そんなもの必要ないだろうに」
難波が女の頬を撫でてやり、女のほうが甘えたような声を出す。思わず和彦は視線を逸らしていた。ベッドに横たわっている女の立場が、男の自分と大差ないことに気づいたからだ。
組長に飼われた〈オンナ〉――。
夜中に叩き起こされた挙げ句、こんな形で自分の立場を見せつけられないといけないのかと思いながら、和彦は両瞼を診察する。
「技術的に問題があるところで手術されたようですね。このままの状態で放置しておくと、眼球が傷ついて、視力をどんどん落としますよ」
「どういうことだ?」
「瞼を二重にするなんて、ちょっと糸で縫うだけの簡単な手術だと思うかもしれませんが、技術の差が如実に出るんです。上手い医者だと、手術後もほとんど腫れない。これは……腫れるどころじゃない。縫った糸が、瞼の裏を突き抜けて眼球に触れている」
女が小さく悲鳴を上げ、難波の手にすがりつく。そんな女の華奢な肩を、難波は抱き寄せた。
舌の上に広がる苦いものをぐっと呑み込んでから、和彦は立ち上がる。中嶋に小声で話しかけた。
「どこか、手術が出来る場所はないか?」
「やはりここじゃダメですか」
「無理だ。一度、マンションの部屋で手術させられたが、腹の穴を塞ぐより、感染症のほうが怖くてヒヤヒヤした。この間の歯科クリニックだった場所は使えないのか? あそこはきれいにしてあったはずだ」
「……聞いてみます」
中嶋が部屋の隅に移動し、素早く携帯電話を取り出してどこかと連絡を取り始める。すぐに話は決まり、場所を移動して処置をすることになる。だが、難波の説得にはてこずった。
どうしてこの部屋ではダメなのだと言い始めたのだ。女のほうも、難波の言い分に乗る形で、動きたくないと主張し始める。
「普段生活している場所だと、どんな雑菌がいるかわからないんです。その雑菌が傷に入ったら、大変なことになりますよ。それに処置するにしても、もっと明るい照明が必要です。瞼を少し切って、糸をすべて取り除くことになりますから」
「それで、お前が上手くできるという保証はあるのか? もしかすると、もっとひどいことになることもあるんだろう。場所を変える云々も、自分の腕に自信がないからだろう。だいたい、こんな若い医者の言うことが信用できるか」
さてどうしたものかと、和彦は中嶋と顔を見合わせる。聞き分けの悪い患者の相手は慣れているが、クリニックの仕事とはわけが違う。組の事情などというものを背負わされているため、慎重にならざるをえない。何より、女の両瞼の状態は、このままにしておけない。本人もかなり痛いはずだ。
和彦が説明を再開しようとすると、難波が蔑んだような眼差しを向け、こう言い放った。
「――お前、男のくせに、長嶺組の組長のオンナらしいな。手術の腕より、男のものを咥え込むほうが上手くて、そっちの経験ばかり積んでるんじゃないか。だいたい、総和会に入ったのも、長嶺のごり押しで、医者としての経験は関係ないんだろ。総和会も、こんな人間を寄越すなんて、何を考えてるんだ」
和彦は一切の感情を表に出さなかった。全身の血が凍りついたようになり、反応できなかったのだ。おかげで、無様に動揺する姿を晒さなくて済んだともいえる。
「難波さん、それぐらいにしておいてください。総和会は、どうしてもという難波さんの頼みがあったから、佐伯先生に無理を聞いていただいたんです。それなのに佐伯先生は嫌だとおっしゃるなら、長嶺組さんだけでなく――、総和会の面子に泥を塗る行為だと判断せざるをえませんよ」
こういう場面で、まだ若い中嶋の冷ややかさと皮肉の混じった口調は痛烈だ。言葉によって、難波の顔をしたたか打ち据えたのだ。
憎々しげに睨みつける難波と、それを涼しげな顔で受け止める中嶋との間に、和彦は割って入る。
「この場は、組長さんの感情の問題よりも、まずは彼女の痛みを和らげることを優先しましょう。若くてきれいなお嬢さんの顔に、取り返しのつかない傷は残したくありません。処置は早ければ早いほどいいし、より最善の環境を整えられるなら、そちらに移ったほうがいい。……彼女が大事なら、ここは収めてもらえませんか」
和彦が切実な口調で訴えると、難波の服を握り締める女の指に力が入る。難波の説得などどうでもいい。ようは、女にどんな結論を出させるかだ。顔に傷が残るかもしれないと聞いて、平静でいられる女はいない。
案の定、女が小声で難波に訴える。こうなると、あとは早かった。
もちろん、女と難波が出した結論は、和彦が望んだ通りのものだ。
和彦は声をかけてからベッドの傍らに腰掛けると、女の顔から濡れタオルを除ける。一目見て、顔をしかめた。愛らしい顔立ちをした女の両瞼が腫れ上がり、満足に目も開けられないようだった。
「……こうなる原因に心当たりはありますか?」
「昨日まで、海外に行ってたんだ。行った先で、整形手術が安く簡単に受けられるといって、二重瞼の手術をしたそうだ。……バカが。そんなもの必要ないだろうに」
難波が女の頬を撫でてやり、女のほうが甘えたような声を出す。思わず和彦は視線を逸らしていた。ベッドに横たわっている女の立場が、男の自分と大差ないことに気づいたからだ。
組長に飼われた〈オンナ〉――。
夜中に叩き起こされた挙げ句、こんな形で自分の立場を見せつけられないといけないのかと思いながら、和彦は両瞼を診察する。
「技術的に問題があるところで手術されたようですね。このままの状態で放置しておくと、眼球が傷ついて、視力をどんどん落としますよ」
「どういうことだ?」
「瞼を二重にするなんて、ちょっと糸で縫うだけの簡単な手術だと思うかもしれませんが、技術の差が如実に出るんです。上手い医者だと、手術後もほとんど腫れない。これは……腫れるどころじゃない。縫った糸が、瞼の裏を突き抜けて眼球に触れている」
女が小さく悲鳴を上げ、難波の手にすがりつく。そんな女の華奢な肩を、難波は抱き寄せた。
舌の上に広がる苦いものをぐっと呑み込んでから、和彦は立ち上がる。中嶋に小声で話しかけた。
「どこか、手術が出来る場所はないか?」
「やはりここじゃダメですか」
「無理だ。一度、マンションの部屋で手術させられたが、腹の穴を塞ぐより、感染症のほうが怖くてヒヤヒヤした。この間の歯科クリニックだった場所は使えないのか? あそこはきれいにしてあったはずだ」
「……聞いてみます」
中嶋が部屋の隅に移動し、素早く携帯電話を取り出してどこかと連絡を取り始める。すぐに話は決まり、場所を移動して処置をすることになる。だが、難波の説得にはてこずった。
どうしてこの部屋ではダメなのだと言い始めたのだ。女のほうも、難波の言い分に乗る形で、動きたくないと主張し始める。
「普段生活している場所だと、どんな雑菌がいるかわからないんです。その雑菌が傷に入ったら、大変なことになりますよ。それに処置するにしても、もっと明るい照明が必要です。瞼を少し切って、糸をすべて取り除くことになりますから」
「それで、お前が上手くできるという保証はあるのか? もしかすると、もっとひどいことになることもあるんだろう。場所を変える云々も、自分の腕に自信がないからだろう。だいたい、こんな若い医者の言うことが信用できるか」
さてどうしたものかと、和彦は中嶋と顔を見合わせる。聞き分けの悪い患者の相手は慣れているが、クリニックの仕事とはわけが違う。組の事情などというものを背負わされているため、慎重にならざるをえない。何より、女の両瞼の状態は、このままにしておけない。本人もかなり痛いはずだ。
和彦が説明を再開しようとすると、難波が蔑んだような眼差しを向け、こう言い放った。
「――お前、男のくせに、長嶺組の組長のオンナらしいな。手術の腕より、男のものを咥え込むほうが上手くて、そっちの経験ばかり積んでるんじゃないか。だいたい、総和会に入ったのも、長嶺のごり押しで、医者としての経験は関係ないんだろ。総和会も、こんな人間を寄越すなんて、何を考えてるんだ」
和彦は一切の感情を表に出さなかった。全身の血が凍りついたようになり、反応できなかったのだ。おかげで、無様に動揺する姿を晒さなくて済んだともいえる。
「難波さん、それぐらいにしておいてください。総和会は、どうしてもという難波さんの頼みがあったから、佐伯先生に無理を聞いていただいたんです。それなのに佐伯先生は嫌だとおっしゃるなら、長嶺組さんだけでなく――、総和会の面子に泥を塗る行為だと判断せざるをえませんよ」
こういう場面で、まだ若い中嶋の冷ややかさと皮肉の混じった口調は痛烈だ。言葉によって、難波の顔をしたたか打ち据えたのだ。
憎々しげに睨みつける難波と、それを涼しげな顔で受け止める中嶋との間に、和彦は割って入る。
「この場は、組長さんの感情の問題よりも、まずは彼女の痛みを和らげることを優先しましょう。若くてきれいなお嬢さんの顔に、取り返しのつかない傷は残したくありません。処置は早ければ早いほどいいし、より最善の環境を整えられるなら、そちらに移ったほうがいい。……彼女が大事なら、ここは収めてもらえませんか」
和彦が切実な口調で訴えると、難波の服を握り締める女の指に力が入る。難波の説得などどうでもいい。ようは、女にどんな結論を出させるかだ。顔に傷が残るかもしれないと聞いて、平静でいられる女はいない。
案の定、女が小声で難波に訴える。こうなると、あとは早かった。
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