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第4話
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「佐伯先生、ちょっとご相談したいことがあるんですが、かまいませんか?」
素早く頭を引いた和彦は、即座に答える。
「はいっ、今行きますっ」
ヤクザの組長という肩書きに似つかわしくなく、賢吾が大仰に顔をしかめる。和彦はたくし上げられていたTシャツを下ろしてから、苦笑しながらも賢吾の腕の中から抜け出そうとしたが、反対にきつく抱き締められた。
抗議の声を上げる前に、賢吾に耳元で囁かれる。
「――千尋が、先生が相手してくれないと拗ねてたぞ。あと、長嶺組の組長も」
「長嶺組の組長って、あんたのことじゃないか……」
「そうだ」
唇の端にキスされ、そのまましっとりと唇を重ね、和彦は賢吾の口腔に舌を差し込む。舌を甘噛みされて小さく声を洩らすと、そのまま性急に絡め合っていた。
「どんどんヤクザの扱いが上手くなってきてるな、先生。今のキスなんて、俺の好みそのものだ」
「……そうなるよう、仕込んだのはあんただ」
賢吾の太い指に、唾液で塗れた唇を拭われた。さりげなく片腕で腰を抱き寄せられそうになったが、また何をされるかわかったものではないので、和彦は露骨に逃げる。
「あんたが、自分のペースで物事を進めるから、おかげでこっちは忙しいんだ。少しぐらい時間が取れなくても、我慢してくれ――と、千尋に言っておいてくれ」
「俺の相手をして、すぐに千尋にバトンタッチしたら、そう時間も取らないだろ。何もベッドの上だけでできることでもないんだから」
本気で言っているから、このヤクザは性質が悪い。和彦はキッと鋭い視線を向けた。
「この間みたいなことを二人続けてされたら、ぼくが壊れる」
「この間……。あれか、立ったまま、三田村に掴まって――」
「それ以上言うなっ」
焦った和彦が声を荒らげると、おもしろがるような表情で賢吾があごに手をやる。睨まれているわけでもないのに凄みを感じさせる目に、心に隠したものをすべて暴かれそうで、和彦はスッと視線を逸らした。
「とにかく、こっちは忙しい。ぼくをどうこうしたかったら、そっちでスケジュールをどうにかしてくれ。どうせぼくは、あんたたちの所有物なんだから」
「そう憎まれ口を叩くな」
ドアを開けて廊下に出ようとした和彦に、最後に賢吾がこう言った。
「――考慮しておいてやる、いろいろと」
何事かと振り返った和彦に対して、賢吾は意味深な笑みを浮かべる。
ヤクザがこんな笑い方をするときは、人を食らうときだ。これまでの短いつき合いで、そんなことを学習した和彦は、小さく肩を震わせてから逃げるように別の部屋へと向かった。
夜からコーディネーターと打ち合わせをして、ファミレスで適当に食事を取ってから部屋に戻ってきたとき、和彦はもう、何もする気力が残っていなかった。ただ、汗をかいた不快さが我慢できず、三田村に頼んでバスタブに湯を溜めてもらう。
こんな生活に入る前までなら、何があっても自分一人ですべてこなさなければならなかったのだから、そういう意味では、ずいぶん優雅になったものだ。
ソファに転がって、夜のニュース番組を眺める。世間で起きていることに、すっかり興味が持てなくなっているが、それでもテレビをつけるのは習慣だ。
「――先生、湯が溜まった」
三田村に声をかけられ、体を起こす。よほど億劫そうに見えたのか、三田村は無表情のまま、それでいて声には気遣いを滲ませながら言った。
「今夜はゆっくり休めばいい。明日は予定が何も入ってないから」
「本当に、予定通りになればいいけどな。犬っころが、目を輝かせて転がり込んできそうな気がする」
三田村にもその可能性が否定できなかったらしく、黙り込まれてしまった。
和彦はちらりと笑って立ち上がると、その場でTシャツを脱ぎ捨てる。上半身裸のまま三田村の横を通り過ぎるとき、互いに緊張したことを感じ取る。
意識して、緊張しながら、何事もなかったように装うのが、二人の間では当たり前のようになっていた。何を意識しているのか、本当は和彦はよくわかっていない。いや、わかっていないふりをしているのだ。
現実から目を背けた、麻薬のように心地よく、何もかもを与えられる生活を送りながら、いまさらわからないものが一つ増えたところで、和彦は困りはしない。引きずり込まれた世界は、いまだに和彦にとってわからないことだらけなのだ。
手早く体を洗って湯に浸かると、クリーム色の天井を見上げる。
そのまま危うく眠りそうになっていた。目が覚めたのは、浴室の扉の向こうから呼びかけられたからだ。
「先生ー、プリン買ってきたから食べようよ。せ・ん・せ・い、聞いてるー?」
パシャッと水音を立てて、和彦は湯の中に完全に沈みかけた体を起こす。もう少しで顔まで湯に浸けるところだった。
「あー、寝てた……」
ぼんやりと呟いてから、顔を洗って、濡れた髪を掻き上げる。その間も、扉の向こうから呼びかけてくる声は続く。
「先生、早く顔出してよ。俺、下に車待たせてるから、あまり時間がないんだ」
甘えるような声で言われ、大きくため息をついた和彦は勢いよく立ち上がり、扉を開ける。脱衣所の床の上に、千尋がぺたりと座り込んでいた。まるで、飼い主の指示を待つ犬っころのようだ。
和彦の裸を見て、千尋は大げさに目を丸くするが、一方の和彦は素っ気なくバスタオルを取り上げて髪を拭く。
「……急いでいるなら、プリンだけ置いて帰ったらどうだ」
「プリンなんて単なる理由で、先生の顔を見たかったんだよ」
「だったら、こうして見られて安心しただろ」
少しばかり意地悪を言ってみると、思った通り、千尋が唇を尖らせる。バスローブを羽織った和彦は、くしゃくしゃと千尋の頭を撫でた。
素早く頭を引いた和彦は、即座に答える。
「はいっ、今行きますっ」
ヤクザの組長という肩書きに似つかわしくなく、賢吾が大仰に顔をしかめる。和彦はたくし上げられていたTシャツを下ろしてから、苦笑しながらも賢吾の腕の中から抜け出そうとしたが、反対にきつく抱き締められた。
抗議の声を上げる前に、賢吾に耳元で囁かれる。
「――千尋が、先生が相手してくれないと拗ねてたぞ。あと、長嶺組の組長も」
「長嶺組の組長って、あんたのことじゃないか……」
「そうだ」
唇の端にキスされ、そのまましっとりと唇を重ね、和彦は賢吾の口腔に舌を差し込む。舌を甘噛みされて小さく声を洩らすと、そのまま性急に絡め合っていた。
「どんどんヤクザの扱いが上手くなってきてるな、先生。今のキスなんて、俺の好みそのものだ」
「……そうなるよう、仕込んだのはあんただ」
賢吾の太い指に、唾液で塗れた唇を拭われた。さりげなく片腕で腰を抱き寄せられそうになったが、また何をされるかわかったものではないので、和彦は露骨に逃げる。
「あんたが、自分のペースで物事を進めるから、おかげでこっちは忙しいんだ。少しぐらい時間が取れなくても、我慢してくれ――と、千尋に言っておいてくれ」
「俺の相手をして、すぐに千尋にバトンタッチしたら、そう時間も取らないだろ。何もベッドの上だけでできることでもないんだから」
本気で言っているから、このヤクザは性質が悪い。和彦はキッと鋭い視線を向けた。
「この間みたいなことを二人続けてされたら、ぼくが壊れる」
「この間……。あれか、立ったまま、三田村に掴まって――」
「それ以上言うなっ」
焦った和彦が声を荒らげると、おもしろがるような表情で賢吾があごに手をやる。睨まれているわけでもないのに凄みを感じさせる目に、心に隠したものをすべて暴かれそうで、和彦はスッと視線を逸らした。
「とにかく、こっちは忙しい。ぼくをどうこうしたかったら、そっちでスケジュールをどうにかしてくれ。どうせぼくは、あんたたちの所有物なんだから」
「そう憎まれ口を叩くな」
ドアを開けて廊下に出ようとした和彦に、最後に賢吾がこう言った。
「――考慮しておいてやる、いろいろと」
何事かと振り返った和彦に対して、賢吾は意味深な笑みを浮かべる。
ヤクザがこんな笑い方をするときは、人を食らうときだ。これまでの短いつき合いで、そんなことを学習した和彦は、小さく肩を震わせてから逃げるように別の部屋へと向かった。
夜からコーディネーターと打ち合わせをして、ファミレスで適当に食事を取ってから部屋に戻ってきたとき、和彦はもう、何もする気力が残っていなかった。ただ、汗をかいた不快さが我慢できず、三田村に頼んでバスタブに湯を溜めてもらう。
こんな生活に入る前までなら、何があっても自分一人ですべてこなさなければならなかったのだから、そういう意味では、ずいぶん優雅になったものだ。
ソファに転がって、夜のニュース番組を眺める。世間で起きていることに、すっかり興味が持てなくなっているが、それでもテレビをつけるのは習慣だ。
「――先生、湯が溜まった」
三田村に声をかけられ、体を起こす。よほど億劫そうに見えたのか、三田村は無表情のまま、それでいて声には気遣いを滲ませながら言った。
「今夜はゆっくり休めばいい。明日は予定が何も入ってないから」
「本当に、予定通りになればいいけどな。犬っころが、目を輝かせて転がり込んできそうな気がする」
三田村にもその可能性が否定できなかったらしく、黙り込まれてしまった。
和彦はちらりと笑って立ち上がると、その場でTシャツを脱ぎ捨てる。上半身裸のまま三田村の横を通り過ぎるとき、互いに緊張したことを感じ取る。
意識して、緊張しながら、何事もなかったように装うのが、二人の間では当たり前のようになっていた。何を意識しているのか、本当は和彦はよくわかっていない。いや、わかっていないふりをしているのだ。
現実から目を背けた、麻薬のように心地よく、何もかもを与えられる生活を送りながら、いまさらわからないものが一つ増えたところで、和彦は困りはしない。引きずり込まれた世界は、いまだに和彦にとってわからないことだらけなのだ。
手早く体を洗って湯に浸かると、クリーム色の天井を見上げる。
そのまま危うく眠りそうになっていた。目が覚めたのは、浴室の扉の向こうから呼びかけられたからだ。
「先生ー、プリン買ってきたから食べようよ。せ・ん・せ・い、聞いてるー?」
パシャッと水音を立てて、和彦は湯の中に完全に沈みかけた体を起こす。もう少しで顔まで湯に浸けるところだった。
「あー、寝てた……」
ぼんやりと呟いてから、顔を洗って、濡れた髪を掻き上げる。その間も、扉の向こうから呼びかけてくる声は続く。
「先生、早く顔出してよ。俺、下に車待たせてるから、あまり時間がないんだ」
甘えるような声で言われ、大きくため息をついた和彦は勢いよく立ち上がり、扉を開ける。脱衣所の床の上に、千尋がぺたりと座り込んでいた。まるで、飼い主の指示を待つ犬っころのようだ。
和彦の裸を見て、千尋は大げさに目を丸くするが、一方の和彦は素っ気なくバスタオルを取り上げて髪を拭く。
「……急いでいるなら、プリンだけ置いて帰ったらどうだ」
「プリンなんて単なる理由で、先生の顔を見たかったんだよ」
「だったら、こうして見られて安心しただろ」
少しばかり意地悪を言ってみると、思った通り、千尋が唇を尖らせる。バスローブを羽織った和彦は、くしゃくしゃと千尋の頭を撫でた。
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