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第3話
(16)
しおりを挟む千尋は今日も元気だ――。
犬っころのように目を輝かせ、落ち着きなく食器売り場を行き来するため、いつか食器を割るのではないかと見ているこっちがハラハラする。
実家に戻ってから、明らかに身につけるものの質が上がった千尋が今穿いているのは、あるブランドもののジーンズだ。スタイルがいい千尋にはよく似合っており、足元のレザースニーカーの組み合わせも様になっている。ラフに着ているTシャツも、きっと数万円はするのだろう。
おかげで、一見して育ちのいい好青年ぶりに拍車がかかり、デパートを歩き回っていると、特に目につく女性客から注目を浴びる。しかし当の千尋に自覚はないらしく、何かあるたびに嬉しそうに目を輝かせ、和彦を手招きする。
「――……躾のなってない元気な犬っころを散歩させている気分だ ……」
和彦がため息交じりにぼやくと、荷物持ちに徹している三田村が応じた。
「そのわりには、楽しそうだ」
和彦は振り返り、ニヤリと笑いかける。
「金を気にしなくていい買い物は好きだ」
なるほど、と言いたげに無表情で三田村は頷く。賢吾からカードを預かっている三田村は、和彦の買い物に関しての支払いをすべて担当している。和彦としては、ヤクザに物を買ってもらうことに抵抗がないわけではないのだが、さすがにクリニック用のテナントを用意してもらうと、その感覚が壊れ始めていくのを自覚していた。
それに今日の買い物は、千尋のわがままにつき合っているという大義名分があった。
ようやく和彦の新しい部屋にやってきた千尋は、さんざん寛いで一泊したあと、今日になって、食器を買いに行こうと言い出した。基本的に食事は外で済ませている和彦は、家に滅多に客を呼ばないこともあり、所有している食器は乏しい。それが、長居する気満々の千尋にとっては不満らしい。
『これからはたくさん客も来るんだから、コーヒーカップやグラスもいいの用意しないと』
十歳も年下の千尋にもっともらしい顔で説教までされてしまったので、必要ないとも言えない。それに、客がやってくるというのは本当だ。クリニック開業までに、打ち合わせのためにさまざまな人間が訪れる予定なのだ。
すでに主な食器は買ったのだが、千尋は茶碗や皿どころか、調理器具も揃えると張り切っている。おそらく和彦の部屋のキッチンは、千尋専用のものとなるだろう。
「先生っ、この皿可愛いよっ」
大きく手招きしながら、片手ではある皿を指さしながら、千尋が言う。辺りに響き渡るような声に、思わず和彦は大股で千尋に歩み寄り、頬を軽く抓り上げる。
「大きな声を出すなっ。それに、男しか寄り付かないような家に、可愛い食器なんていらないだろっ」
「……俺専用で……」
「あー、クマちゃんだろうが、ウサギちゃんだろうが、好きな絵柄がついたのを買え」
途端に千尋が拗ねたように唇を尖らせたので、もう一度頬を抓り上げてやった。そんな二人のやり取りを、少し離れた場所で眺めている三田村の目元が、心なしか柔らかくなったような気がする。
千尋の相手をしながら和彦は、さりげなく視界の隅で三田村を捉えていた。
〈あのこと〉があってからも、三田村とは毎日顔を合わせて、言葉を交わしている。しかし、互いに何も匂わせない。まるで、最初から特別なことなどなかったように。だが空気でわかるのだ。そう装っているだけで、常に意識しているのだと。
ようやく千尋専用の食器や調理器具を買い込み、三田村の片手だけでは足りず、千尋が両手で荷物を持つことになる。三田村が右手を自由にしておきたい理由は――。
「拳銃を持ち歩いているのか?」
地下の食品売り場で、千尋が気に入っているというパンを選んでいるのを待つ間に、小声で和彦が尋ねると、三田村は微苦笑を浮かべる。
「俺を銃刀法違反で逮捕させたいのか」
「ということは、刃物もなしか」
「先生や千尋さんに何かあるときは、俺が体を張る。だからこうしてついているんだ」
「……千尋はともかく、ぼくに何かあるとも思えないが――」
ふいに三田村の手が肩にかかってドキリとする。さりげない動作で体の位置を移動させられ、数人のグループとぶつかりそうになるところを、寸前で躱せた。
驚いて目を丸くする和彦に、三田村は表情も変えずこう言った。
「こういうことでも役に立つつもりだ。先生の身に何かあったら大変だ」
スッと手が離れたが、和彦の肩には、三田村の手の感触がしっかりと残る。
「お待たせっ」
千尋が袋を手に駆け寄ってきたので、まだ何も持たせてもらっていない和彦は、パンが入った袋を取り上げる。どうせ他の荷物を持とうとしても、千尋と三田村に拒まれるのだ。
それから三人は駐車場に移動し、三田村が食器以外の荷物をトランクに詰め込む間に、和彦と千尋は後部座席に乗り込む。
「このあと、オヤジも合流して、三人で晩メシ食うことになってるんだよね?」
「そういう連絡が、三田村さんに入ったみたいだな」
「オヤジがいると、護衛が物々しいんだよなー」
「仕方ないだろ、お前も組長も、そういう立場なんだから」
ここで千尋が、唐突に意味深な笑みを浮かべた。
「……なんだ?」
「他人事みたいに言ってるけどさ、先生も、俺たちの側に来たどころか、もう仲間だよ」
あっ、と声を洩らした和彦は、顔をしかめてから髪を掻き上げる。
長嶺組の加入書に署名させられたのは、ほんの数日前のことだ。その翌日に、ホテルのラウンジで総和会の藤倉と会い、総和会の加入書にも署名した。このとき、和彦の隣には当然賢吾がおり、自分は長嶺組の世話になる覚悟がついていると宣言までさせられた。
こうして和彦は、長嶺組に面倒を見てもらいながら、依頼があれば総和会の仕事までこなす立場になったのだ。賢吾は、できる限り総和会の仕事はセーブするとは言っていたが、どこまで信用していいのか、よくわからない。
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