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第3話
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促されるまま和彦が先に後部座席に乗り込み、千尋が続く。旅行準備はすでに出来ているらしく、助手席にはバッグが置いてあった。
車が走り出してすぐ、千尋に手を握られる。横目で睨みはした和彦だが、機嫌よさそうな千尋の顔を見ると、叱るのも野暮な気がした。
「あー、先生ともっと一緒にいたい」
芝居がかった口調で千尋がぼやき、和彦は淡々と応じる。
「そう言ってもらえて光栄だ」
「俺、本気で言ってるんだけど。……あっ、旅行に一緒に行くってどう?」
「勘弁してくれ……。だいたいお前、レストランで物騒な話してただろ。そんな中に、ぼくも加われというのか。目立つのはご免だぞ」
やむをえず賢吾に従ってはいるが、他人からヤクザの仲間と思われるのは嫌だった。和彦はヤクザではないし、勇気さえあれば表の世界に戻れる。好きで裏の世界に留まっている連中とは違うのだ。
もっとも、肝心のその勇気が持てない限り、これは単なる言い訳でしかないと、和彦にはわかっていた。自分は違うと、自分自身に言い聞かせているうちに、どんどんヤクザの世界の深みにハマっている。
「――どうかした?」
千尋がひょいっと顔を覗き込んでくる。
「今、すごく暗い顔してた」
そう言われた瞬間、和彦は反射的にバックミラーに視線を向ける。三田村がこちらを見ているのではないかと思ったが、まっすぐ前を見据えている。
「……どうもしない」
和彦が首を横に振ると、千尋は握った手を持ち上げ、指に唇を押し当てた。
「先生のそんな顔見ると、すごく責任を感じる。そもそも俺とつき合ってたから、オヤジに目をつけられたんだし。先生、普段の様子が前と変わらないから忘れそうになるけど、こっちの世界に無理やり引きずり込まれたんだよね。しかもオヤジと俺が、先生の両足に鎖をつけた」
いや、と千尋が小さく洩らす。そして自分の左腕に触れた。
「蛇かな。蛇が、先生の体に巻きついて、がんじ搦めにしちゃった」
千尋は、和彦が父親の背中の刺青を見たことを知っているのだろうかと思った。それとも、体の関係を持っている以上、見ていて当然と考えているのか。
「――……少し前までは、こうなったのはお前がきっかけではあったけど、お前のせいじゃないと思うようにしていた。だけど今は、違う」
「そうだね。俺は、先生をオンナにしたからね。罵倒しても、詰ってもいいよ。だけどそれでも俺は、嫌がる先生を組み伏せてでも抱くよ」
子供が強がっているわけでもなく、強い光を放つ目で千尋は淡々と話した。その言葉には、そこはかとなく凄みが漂っている。
「俺の家が普通だったら、全力で先生を口説いて、一緒にいてもらっただろうけど、現実はこうだ。しかも、先生はオヤジにあっさり奪われるし。そうなったら、俺が取れる手段なんて限られてる。先生は嫌で嫌で仕方ないだろうけど、俺はこのやり方を貫くよ。――先生をオヤジに独占させたくないから」
「千尋、お前……」
和彦は取られていた手を抜き取り、千尋の頬を撫でてやる。途端に、明るく笑いかけてきた。
「こいつもいろいろ考えてるなー、とかって、今思った? 胸がときめいたりとか」
「……シリアスを決めるつもりなら、もう少し堪えろ。胸がときめく暇もなかった」
「先生は、まじめな俺のほうがいい?」
千尋の手が首の後ろにかかり、額と額を押し当ててくる。三田村が運転していることなど、まるでお構いなしだ。
「まじめとかふざけているとかじゃなく、出会った頃のお前がいい。ぼくはもう、お前の本当の顔がどれなのか、わからなくなってきた」
「いつも先生に、悩みがなさそうだと言われてたときが、素の俺だよ」
「そうなのか?」
そうだよ、と洩らして、千尋に唇に軽くキスされた。和彦は慌てて頭を引くと、また運転席を気にする。いまさらキスしたところを見られるぐらい、なんでもないのだが――。
「三田村が気になる? この間、俺たちのすごいところを見られたばかりじゃん」
「見られた、じゃなく、お前が見せつけたんだ」
そうだっけ? というのが千尋の答えだった。呆れながら和彦が睨みつけると、悪びれた様子もなくにんまりと千尋は笑い、再び和彦は首の後ろに手がかかって引き寄せられた。
「――俺としては、先生って実は、見られるほうが燃えるタイプなんじゃないかと思ってるんだけど」
そう言って千尋に唇を啄ばまれる。千尋の目を間近に見つめながら、和彦はしみじみと感じたことがあった。
「お前と、あの組長はよく似てる。自信家で、いろいろと性質が悪い」
和彦がこう言うと、途端に千尋は顔をしかめる。
「超ショック。俺、バカって言われるより、オヤジに似てるって言われるほうが、嫌だ」
「だったら、これでおあいこだ。今さっき、ぼくを変態みたいに言っただろ」
千尋は少し考える表情を見せたあと、楽しそうに目を輝かせ、実にロクでもないことを提案してきた。
「試してみようよ。先生が、見られても平気かどうか」
「それはそれで問題ある――」
言いかけた言葉はキスで奪われる。千尋に強く唇を吸われ、わがままな舌に歯列をなぞられてから、ヌルリと口腔に押し入られる。咄嗟に千尋の肩を押し退けようとしていた和彦だが、それ以上の力で背を引き寄せられ、後頭部を押さえられる。
「んっ……」
賢吾と違い余裕のないキスだが、情熱には溢れている。口腔をまさぐられて舌先を触れ合わせると、それだけで千尋の腕に力がこもる。興奮しているのは千尋のほうだと思うのだが、この直情さは、賢吾を知った今では、より貴重なもののように感じられる。
車が走り出してすぐ、千尋に手を握られる。横目で睨みはした和彦だが、機嫌よさそうな千尋の顔を見ると、叱るのも野暮な気がした。
「あー、先生ともっと一緒にいたい」
芝居がかった口調で千尋がぼやき、和彦は淡々と応じる。
「そう言ってもらえて光栄だ」
「俺、本気で言ってるんだけど。……あっ、旅行に一緒に行くってどう?」
「勘弁してくれ……。だいたいお前、レストランで物騒な話してただろ。そんな中に、ぼくも加われというのか。目立つのはご免だぞ」
やむをえず賢吾に従ってはいるが、他人からヤクザの仲間と思われるのは嫌だった。和彦はヤクザではないし、勇気さえあれば表の世界に戻れる。好きで裏の世界に留まっている連中とは違うのだ。
もっとも、肝心のその勇気が持てない限り、これは単なる言い訳でしかないと、和彦にはわかっていた。自分は違うと、自分自身に言い聞かせているうちに、どんどんヤクザの世界の深みにハマっている。
「――どうかした?」
千尋がひょいっと顔を覗き込んでくる。
「今、すごく暗い顔してた」
そう言われた瞬間、和彦は反射的にバックミラーに視線を向ける。三田村がこちらを見ているのではないかと思ったが、まっすぐ前を見据えている。
「……どうもしない」
和彦が首を横に振ると、千尋は握った手を持ち上げ、指に唇を押し当てた。
「先生のそんな顔見ると、すごく責任を感じる。そもそも俺とつき合ってたから、オヤジに目をつけられたんだし。先生、普段の様子が前と変わらないから忘れそうになるけど、こっちの世界に無理やり引きずり込まれたんだよね。しかもオヤジと俺が、先生の両足に鎖をつけた」
いや、と千尋が小さく洩らす。そして自分の左腕に触れた。
「蛇かな。蛇が、先生の体に巻きついて、がんじ搦めにしちゃった」
千尋は、和彦が父親の背中の刺青を見たことを知っているのだろうかと思った。それとも、体の関係を持っている以上、見ていて当然と考えているのか。
「――……少し前までは、こうなったのはお前がきっかけではあったけど、お前のせいじゃないと思うようにしていた。だけど今は、違う」
「そうだね。俺は、先生をオンナにしたからね。罵倒しても、詰ってもいいよ。だけどそれでも俺は、嫌がる先生を組み伏せてでも抱くよ」
子供が強がっているわけでもなく、強い光を放つ目で千尋は淡々と話した。その言葉には、そこはかとなく凄みが漂っている。
「俺の家が普通だったら、全力で先生を口説いて、一緒にいてもらっただろうけど、現実はこうだ。しかも、先生はオヤジにあっさり奪われるし。そうなったら、俺が取れる手段なんて限られてる。先生は嫌で嫌で仕方ないだろうけど、俺はこのやり方を貫くよ。――先生をオヤジに独占させたくないから」
「千尋、お前……」
和彦は取られていた手を抜き取り、千尋の頬を撫でてやる。途端に、明るく笑いかけてきた。
「こいつもいろいろ考えてるなー、とかって、今思った? 胸がときめいたりとか」
「……シリアスを決めるつもりなら、もう少し堪えろ。胸がときめく暇もなかった」
「先生は、まじめな俺のほうがいい?」
千尋の手が首の後ろにかかり、額と額を押し当ててくる。三田村が運転していることなど、まるでお構いなしだ。
「まじめとかふざけているとかじゃなく、出会った頃のお前がいい。ぼくはもう、お前の本当の顔がどれなのか、わからなくなってきた」
「いつも先生に、悩みがなさそうだと言われてたときが、素の俺だよ」
「そうなのか?」
そうだよ、と洩らして、千尋に唇に軽くキスされた。和彦は慌てて頭を引くと、また運転席を気にする。いまさらキスしたところを見られるぐらい、なんでもないのだが――。
「三田村が気になる? この間、俺たちのすごいところを見られたばかりじゃん」
「見られた、じゃなく、お前が見せつけたんだ」
そうだっけ? というのが千尋の答えだった。呆れながら和彦が睨みつけると、悪びれた様子もなくにんまりと千尋は笑い、再び和彦は首の後ろに手がかかって引き寄せられた。
「――俺としては、先生って実は、見られるほうが燃えるタイプなんじゃないかと思ってるんだけど」
そう言って千尋に唇を啄ばまれる。千尋の目を間近に見つめながら、和彦はしみじみと感じたことがあった。
「お前と、あの組長はよく似てる。自信家で、いろいろと性質が悪い」
和彦がこう言うと、途端に千尋は顔をしかめる。
「超ショック。俺、バカって言われるより、オヤジに似てるって言われるほうが、嫌だ」
「だったら、これでおあいこだ。今さっき、ぼくを変態みたいに言っただろ」
千尋は少し考える表情を見せたあと、楽しそうに目を輝かせ、実にロクでもないことを提案してきた。
「試してみようよ。先生が、見られても平気かどうか」
「それはそれで問題ある――」
言いかけた言葉はキスで奪われる。千尋に強く唇を吸われ、わがままな舌に歯列をなぞられてから、ヌルリと口腔に押し入られる。咄嗟に千尋の肩を押し退けようとしていた和彦だが、それ以上の力で背を引き寄せられ、後頭部を押さえられる。
「んっ……」
賢吾と違い余裕のないキスだが、情熱には溢れている。口腔をまさぐられて舌先を触れ合わせると、それだけで千尋の腕に力がこもる。興奮しているのは千尋のほうだと思うのだが、この直情さは、賢吾を知った今では、より貴重なもののように感じられる。
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