血と束縛と

北川とも

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第3話

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 テーブルに肘をついた千尋は、おもしろくなさそうに唇を尖らせていた。あえてそれに気づかないふりをして、和彦はコーヒーを啜る。
 平日の昼間から、ホテルのレストランで優雅な昼食をとれるとは、自分の境遇も変わったものだと内心で皮肉っぽく思いはするのだが、こんなことが当たり前になる日がくるのだろうかと興味深くもある。
 生活そのものが大きな変化の過程にあるため、毎日慌ただしく過ごしていても、何もかもが新鮮に感じられるのだ。たとえば、こうして千尋と向き合って、食後のコーヒーを味わっていても。
 少し前の和彦と千尋は、十歳という年齢差も気にせず、享楽的な関係を無邪気に楽しんでいた。それが今や、和彦はヤクザの組長に飼われる存在で、組長の息子である千尋にも、共同所有を宣言されてしまった。
 今のところ、それで千尋の態度が横暴になるということもなく、相変わらず和彦にじゃれつき、甘えてきているが、なんといってもあの男の息子だ。気は抜けなかった。ただ、こういう緊張感は嫌いではない。
「……オヤジの陰謀の気がする」
 ぼそりと千尋が洩らし、カップを置いた和彦は笑いながら続きを促す。
「どんな陰謀だ?」
「俺と先生を引き離そうとしている。せっかく今日、先生が昼からなら暇だと言ってたから、俺、張り切ってたんだよ。そうしたら、今度は俺のほうに予定が入れられてさ。こうやって昼メシ食うのが精一杯だ」
「陰謀って、お前、本気で言ってるか……?」
 半分呆れながら和彦が問いかけると、ふてくされた様子で千尋がぷいっと顔を背けた。
「愚痴ぐらい言わせてよ、先生」
「愚痴はいいが、午後からどんな予定を入れられたんだ」
「じいちゃんのお供。オヤジと違って可愛げありまくりだから、俺けっこう大事にされてるんだよ、じいちゃんに」
 普通なら簡単に相槌をうって済みそうな話だが、多少事情がわかっているとそうもいかない。
「じいちゃんって……、もしかして――」
「総和会の会長。俺が実家に戻ったのが耳に入ったらしくて、機嫌よくてさ。久しぶりだからゴルフ旅行につき合えってことになって、部屋に露天風呂ついた旅館にも予約入れたんだって」
「優雅だな」
「どちらかというと、優雅というより物騒だよ。ぞろぞろ護衛引き連れてさ。そういうの連れていかないと、危なくて外を歩けないんだ。……総和会は、そういうところだよ」
 子供のように明け透けに話していたかと思うと、千尋は思わせぶりに牙を覗かせる。強い光を持つ目は、和彦を従わせようとする力にも満ちていた。甘えてくるかと思えば、父親に倣ったように服従も求めてくる。
「……長嶺組との関わりですら荷が重いのに、この間、総和会の仕事をさせられたぞ。お前の部屋にいたところを、お前の父親に踏み込まれたときのことだ。覚えているだろ?」
「うん。――先生、あまり総和会に気に入られないようにしてよ」
「どういう意味だ」
「長嶺組から総和会に、先生が召し上げられる可能性があるってこと」
 召し上げられるという表現が気に食わないが、今は置いておく。最近の和彦は、組関係で気になることがあれば、詳しく説明を聞く方針にしたのだ。
「今の先生の存在は、言葉は悪いけど、所有権は長嶺組にあるんだ。だから先生を自由に使える」
「ぼくの意思じゃないけどな」
 和彦がそう付け加えると、千尋はちらりと苦笑する。
「総和会ってのは、十一の組からそれぞれ人間を集めて運営されてるんだよ。所属する組からの推薦で。で、誰を迎え入れるか、総和会の幹部会で事務的に決められるんだけど、例外もある。総和会の幹部が目をかけていて、箔をつけさせるために連れてきたり、反対に、問題行動が目に余って、警察にマークされている人間とか。組から切り離して、総和会に放り込んでおけば、何かあったとき世間に組の名前が出ることはないってこと」
「……ああ、だからテレビでよく聞くのか、総和会の名前を。十一の組の厄介者を引き受けていたら、そうなって当然か」
「もちろん、迎え入れた経緯によって、扱いは全然違う。使える人間は優遇される。将来、総和会の幹部になるかもしれないしね」
 さすがに、長嶺組の組長を父親に、総和会の会長を祖父に持つサラブレッドだけあって、千尋は詳しい。
 千尋の話につい聞き入ってしまった和彦だが、自分が本当は何を聞きたかったのか思い出す。
「それで、ぼくが召し上げられる云々というのは……」
「先生、特殊技能の持ち主じゃん」
「特殊技能……。ああ、医師免許のことか」
「普通の病院に勤めていて、裏でこっそりと協力する――させられる医者はいるんだけど、先生みたいに、ずっぷりと組の事情にハマり込む人はなかなかいないんだよ。つまり、貴重。しかも先生、美容外科医だし。利用価値抜群」
 こうもはっきり言われると、腹が立ってくる。
「しばらくは、総和会が長嶺組に借りを作る形で、先生に仕事させるかもしれないけど、そのうち――と俺は心配してるんだよ。そんなことになったら、先生と今以上に会えなくなるし」
「……お前の心配はそっちか」
「でも、規約だと、先生はうちの組でも部外者扱いになるのかな」
 また、気になる言葉が出た。どういう意味かと問いかけたかった和彦だが、腕時計を見てから、仕方なく話を切り上げる。祖父と旅行に出かけるという千尋は、レストランから直接駅に向かうことになっているのだ。
 千尋を促して席を立ち、支払いを済ませてレストランを出る。歩きながら携帯電話で連絡を入れ、ホテルの正面玄関の車寄せ前に立つと、絶妙のタイミングで車がやってきた。運転しているのは、もちろん三田村だ。

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