血と束縛と

北川とも

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第2話

(12)

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 ベッドの傍らに立った賢吾が、自分の息子を見下ろして、苦笑めいた表情を浮かべる。その表情を見た和彦は、賢吾も父親なのだと改めて認識させられた。常識の枠外にいるヤクザの組長は、口では親だと言いながら、実は千尋の存在をさほど気にかけていないのではないかと思っていたのだ。
 和彦の視線に気づいたのか、賢吾は唇を歪めるようにして笑って言った。
「俺のオンナだけじゃなく、今度は千尋の〈母親〉にでもなってみるか、先生?」
「……正気を疑うようなことを言うな」
 起きるよう指先で指示され、仕方なく体を起こす。それでようやく気づいたらしく、千尋も目を開けたあと、うんざりしたようにすぐまた目を閉じた。
「悪夢だ。なんか変なものが見えた……」
「お前も起きろ、バカ息子」
 賢吾が布団を剥ぎ取り、上半身裸の千尋の体が露わになる。獣のような動きで千尋が飛び起き、賢吾を睨みつけた。
「なんの用だよっ。言っておくけど、先生はまだ返さないからなっ」
 千尋が賢吾に食ってかかっている間に、和彦は、当然のように賢吾に付き従っている三田村に問いかけた。
「……どうやってここに入ったんだ。鍵もドアチェーンもかけてあったはず――」
「とっくに合鍵は作ってあるし、チェーンは非常事態ということで切った。あとで修理させておく」
 それを聞いた和彦は、寝乱れた髪を掻き上げて息を吐き出す。傍迷惑な父親と息子のケンカ――というより、千尋の一方的な宣戦布告は、防衛ラインをあっさり突破されて終了したのだ。
 巻き込まれた和彦だけが体力を消耗した気もするが、篭城ごっこは案外楽しかった。
 賢吾に向かって怒鳴っている千尋の頭を撫でながら、和彦は賢吾に視線を向ける。
「それで、仕事っていうのは?」
「よそから回ってきた仕事だ。一人、診てもらいたい人間がいる」
「……言っておくが、ぼくは美容外科が専門だからな。大事の外科手術なんて任せるなよ」
「それは、総和会の人間に言え。外に迎えが来ている。俺は、このバカ息子を迎えに来るついでに、道案内をしただけだ」
 いきなり総和会という名を出され、和彦は体を強張らせる。長嶺組という組織ですら忌々しいのに、その長嶺組が名を連ねているという組織名を出されて、何も感じるなというほうが無理だ。だいたい長嶺組に対してすら、いまだに警戒と嫌悪という感情を持ち続けているのだ。
 よほど怯えているように見えたのか、賢吾が声をかけてきた。
「心配するな。お前は、うちの組の大事な〈身内〉だ。そのお前の手を借りたいと言ってきたんだ。絶対に手荒なことはさせないし、乱暴な言葉も吐かせない。お前は、淡々と自分の仕事をこなしてこい」
 ここまで言われて嫌とは言えない。もっともらしいことを言っているが、賢吾も少し前には、手荒な手段を使い、恫喝して和彦を従わせたのだ。
「……着替えないと… …」
 和彦が呟いてベッドを出ようとすると、すかさず目の前に紙袋が突き出された。三田村を見上げたあと、賢吾に視線を移す。
「パジャマ姿で行きたいなら止めないが、一応着替えを用意してきた。汚れたスーツを着る気にはなれないだろ」
 確かに、玄関での千尋との行為のせいで、和彦が着ていたスーツは汚れてしまった。篭城していたためクリーニングに出すこともできず、丸めたまま放っている。
 三田村の手から袋を受け取ると、傍らでは賢吾が千尋に対し、父親の強権を発動していた。
「お前は、このまま家に帰るぞ。文句を言うなら、ぶん殴っておとなしくさせてから、引きずっていく。そのために人手も用意してきた」
 どうやら賢吾と三田村以外に、部屋の外に組員がいるらしい。千尋に勝ち目はないなと思っていると、何言かのやり取りのあと、千尋は賢吾に屈服させられた。
 和彦が着替えている目の前を、賢吾に小突かれて千尋が歩いていく。思いきりふてくされた顔をしていた千尋だが、和彦と目が合ったときだけは、にんまりと笑いかけてきた。
 先に出ていると言い残して賢吾と千尋が部屋を出ていき、あとには和彦と三田村が残される。いまさら三田村に全裸を見られたところで恥ずかしくもない和彦は、ベッドに腰掛けたままパジャマを脱ぎ捨てる。
「……総和会の仕事には、あんたもついてくるのか?」
 サイズが大きめのコットンパンツを穿きながら問いかけると、三田村は首を横に振る。
「外で待っている車に乗ったら、先生は総和会の客だ。身柄の責任は、向こうが負うことになる」
「言い方を変えるなら、長嶺組は口出しするなということか」
「この先、先生はこういう仕事もこなすことになる。総和会は、十一の組の互助会みたいなものだ。それぞれの組から人を送り込み、手に余ることがあれば総和会が一旦預かって処理される。抗争の仲裁だけじゃなく、物品の仲介、必要な人材すらも紹介し合う。そうやって、組同士の関係を平和的に平等に保つ。 ――表向きは」
 なんとなく聞いていた和彦だが、三田村の物言いに興味をそそられる。
「実際は、平和的でも平等でもないということか」
「今、総和会の会長の座に就いているのは、長嶺組の前組長だ。つまり、総和会の中で長嶺組の発言力が強くなっている。十一も組が集まっていて、すべての組と相性がいいなんてことはありえない」
「ああ、長嶺組が気に食わない組もあるということか。……だったら、総和会を抜けると言い出す組はないのか?」
 和彦はコットンパンツのベルトを締めてからTシャツを取り上げる。
「総和会は互助会であると同時に、互いに監視し合う枠のようなものだ。一つの跳ね返りがいれば、処断は残りの組で。仮に、跳ね返りに賛同する組がいたとしても、総和会の調和を望む組もいる。十一という数は、なかなか絶妙だ。十という数だったら割り切れてしまうが、十一はそうもいかない」
「五分五分に分かれたとき、残り一つの組が数の主導権を握ることになる。ヤクザとしては、他の組にそんな美味しい役目はやれないから、下手に内輪揉めは起こさない、か」
 Tシャツを着込んだ和彦に対して、三田村は無表情に頷き、あまり嬉しくない言葉をくれた。
「先生、ヤクザのものの考え方を理解しているな」
「……それは、けなし言葉だぞ」
 三田村は唇の端をわずかに動かした。本人としては笑ったつもりなのかもしれない。

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