血と束縛と

北川とも

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第1話

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 そんなものでわかるはずがないと、いまさら言ったところで仕方がない。和彦は、こうして捕えられてしまった。
「お前は、こちらの命令に逆らえない。そのために、こうしてビデオに録画している。もし逆らうようなマネをしたら――わかるな?」
 和彦が浅く頷くと、千尋の父親が男の一人に片手を差し出す。
「こいつの名前がわかるものはないか」
 和彦がわずかに視線を動かすと、拉致されたときに落としたと思ったブリーフケースが男の手にあり、中から名刺入れを取り出していた。滅多に外で配ることはないが、そこには和彦の名刺が数枚収まっている。
 そのうちの一枚を受け取った千尋の父親に、名刺の端を唇で挟むよう言われ、従った。
 ビデオカメラが、また道具を呑み込まされてひくつく秘部から、再び欲情の兆しを見せて身を起こしかけた和彦のものを舐めるように撮っていき、さらに胸元まで上がる。ビデオカメラに見せつけるように胸の突起を弄られてから、とうとう顔の前にレンズが寄せられる。
 和彦は体の熱はそのままに、絶望的な気持ちになった。辱められる姿を、顔を、名まですべてビデオカメラに収められたのだ。痛めつけられなくても、今の生活を守りたいのであれば逆らえない。
 息もかかるほど間近に千尋の父親が顔を寄せ、声だけは優しくこう言った。
「時間はあるから、しばらく楽しんでいけばいい。たまには生身の男じゃなく、おもちゃで犯されるのも変わった趣向でいいはずだ」
 ぐうっと内奥深くを道具で突き上げられて、和彦はきつく目を閉じて顔を背けた。




 仕事に復帰できる精神状態になるまでに、五日かかった。手首に残った手錠の痕が消えるまでにはもう少しかかった。
 いままでのようにクリニックで医者としての仕事をこなしながらも和彦は、ときおりふと、手術中といえどもメスを持つ手を止め、自分は辱めを受けたのだという現実を噛み締める。辱めてきた相手が、ヤクザだという現実も。
 肉体に傷はつけられなかったが、精神はズタズタに切り裂かれた――という意識はなかった。徹底的に尊厳というものを踏みにじられてしまうと、その汚らわしいものを自分から切り離してしまおうとする防衛本能が働いているのかもしれない。
 現実は現実として受け止めながらも、一刻も早く忌まわしい出来事を忘れるよう努力するほうが、生産的だ。
「――最近、あのカフェに昼飯食いに行ってないみたいだな」
 医局に戻ってきてカルテを書き込んでいた和彦に、澤村が軽い調子で話しかけてくる。ひどい風邪を引いたと言って五日も休んだ和彦が、やっとクリニックに顔を出したとき、澤村はひどく心配してくれたが、同時に気もつかってくれた。休んでいた間のことを、何も聞かないでくれたのだ。
「ああ……。さすがに通いすぎて、飽きてきた。今は別の店を探している最中だ」
「あの犬っころ――じゃなくて、長嶺くんがひどく寂しがってたぞ、先生が来ないって」
 デスクに肘をついた和彦は薄い笑みを浮かべ、苦々しく洩らす。
「……別の店で、可愛い店員を見つけることにする」
「見つけたら教えてくれ」
 澤村らしい言葉に軽く手を上げて答えると、和彦は仕事を再開しようとしたが、すぐに気が変わって、デスクの引き出しを開ける。中に仕舞った携帯電話を手に取った。
 あの日、拉致されて辱められてから解放されたあと、和彦は携帯電話の番号を替える手続きを取り、そのとき千尋に関するものをすべて削除した。千尋の父親の忠告に従い、関係を絶ったのだ。
 あんな連中に歯向かってまで、千尋と情熱的な関係を続ける気はない。何より命が惜しいし、その次に、今の生活が大事だ。
「察してくれよ、千尋……」
 口中で小さく呟いた和彦は携帯電話を再び引き出しに仕舞う。あの夜の記憶が蘇るたびに、心臓が押し潰されそうなプレッシャーを感じ、息苦しくなる。同時に、屈辱と羞恥と淫靡さに満ちた行為の生々しい感触に、体の奥で何かが蠢くのだ。
 特に、あごを撫でてきた千尋の父親の指の動きと、冷徹な顔を思い出すと――。




 仕事を終えてクリニックのビルから出た和彦は、すぐにあることに気づいて歩調を緩めそうになる。だがすぐに気を取り直し、何も見なかったふりをして駐車場に向かおうとしたが、すかさず呼び止められた。
「待てよっ、先生っ」
 周囲に響き渡るような千尋の大声に、あえなく和彦は無視することをやめる。千尋なら、和彦が相手をするまで叫び続けると思ったからだ。
 立ち止まり、千尋のほうを見る。車道の向こう側にいた千尋は、素早く左右を見てから、まだ車が走ってきているというのに一気に突っ切るように駆け出す。見ているほうがヒヤヒヤする光景に、無事に車道を渡り終えたときには、和彦は本気で安堵の吐息を洩らしていた。
 目の前までやってきた千尋がキッと鋭い視線を向けてくる。
「……なんで、俺のこと無視しようとするんだよ。連絡だってくれない。それどころか、携帯の番号も変えただろ。澤村さんも、新しい番号はまだ教えてもらってないって……」
「澤村から、お前に伝わるのを避けるためだ」
「どうしてっ――」
 和彦は何度も周囲に視線を向ける。千尋の父親が、監視として誰か差し向けていることを警戒しているのだ。
「先生……?」
「……ぼくの反応で、察しろ。もう、お前との遊びは終わりだ。もう二度と、ぼくに話しかけるな」
 それだけを言い置いて和彦はまた歩き出したが、すぐに千尋が前に回り込み、腕を掴んでくる。今にも食らいついてきそうな激しい表情に、さすがに和彦は臆する。普段とは打って変わった凄みに、血筋なのだろうかと、皮肉半分、感嘆半分で思った。
「そんなんで、納得するはずないだろ。俺が何かして先生を怒らせたなら謝るから、きちんと話してくれよ」
 今度はすがるような目で見つめてきた千尋だが、腕を掴む手の力は増すばかりだ。和彦はもう一度周囲を見回してから妥協した。
「話すのは、場所を移動してからだ」
「だったら、俺の部屋で――」
「ダメだっ」
 和彦の反応に驚いたように目を見開いた千尋だが、次の瞬間にはスッと目を細めた。
「…… いいよ。だったらどこか店に入ろう」
 千尋の提案に、やむなく和彦は頷いた。

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