血と束縛と

北川とも

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第1話

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 さらに千尋を煽るように背を撫で、喉元を舐め上げやりながら、和彦はタトゥーにちらりと視線を向ける。
「今は軽く考えているようだが、将来、きちんと定職に就くつもりなら、早めにどうにかしたほうがいいぞ、それ」
「将来は、先生に食わせてもらうとか、どう?」
 どうやら千尋は、今は真剣に考える気はないらしい。千尋の保護者ではない和彦としてはあまり強く言う義理もなく、そもそも千尋が将来を考え始める頃まで、関係を続けているとも思えない。
「まあ……、ぼくの体じゃないから、お前がどう扱おうと知ったことじゃないんだけどな」
「ひでー言い方」
 千尋が低く声を洩らして笑いながら、和彦の片足を抱える。その拍子に、簡単にティッシュで拭っただけの内奥から、さきほど千尋に注ぎ込まれた欲望の名残りが溢れ出してきて、思わず和彦は眉をひそめる。しかし千尋は気にした様子もなく、熱いものの先端を擦りつけてきた。
 意識が〈そちら〉に向きそうになったが、なんでもないふりをして和彦は会話を続けた。
「他人のぼくはともかく、親は何も言わないのか?」
「うち、片親なんだよね。俺が小学校入る前に、母親はオヤジを罵倒して出ていった。で、現在に至るまで父子家庭。そして俺も、オヤジの面を見たくなくて、大学中退したあとはフリーターしながら、こうして一人暮らししてるわけ。だからまあ、先生も呼べるんだけど」
 あっけらかんとした口調で千尋が言い、咄嗟に和彦は反応できなかった。その隙に、といわんばかりに、千尋のものがゆっくりと内奥に挿入される。
 ひとまず会話を打ち切って、和彦は呻き声を洩らしながら千尋にしがみつき、千尋は荒い息を吐きながら腰を進める。
「あっ、あぁっ」
「いつも思うけど、何度入っても、いいよ、先生の中……」
 深く繋がったあとは、得られる陶酔感を二人は分かち合う。手を繋ぎ、抱き合い、唇を重ね、一度目の交歓にはない感覚を楽しんでいた。
 千尋の頭を片腕で抱き締めながら和彦は、自分たちが少し前まで交わしていた会話をようやく思い出す。指先で千尋のタトゥーを撫でてから、口を開いた。
「――で、お前のオヤジさんは、このタトゥーのことは知ってるのか?」
「えっ……、ああ、思い切り目の前で見せてやったら、露骨に嫌そうな顔しやがった」
「それはまあ、普通の親としての反応じゃないか」
「普通の親、か……」
 次の瞬間、千尋が見せた表情は印象的だった。皮肉っぽくて苦々しげ、そして、わずかな自嘲も込められた笑み。悩みもなく、この世に怖いものすらないように見える千尋とは思えない表情だ。
 もしかすると千尋は、年齢には見合わないものを背負っているのかもしれない――とまで思いかけた和彦だが、すぐにそれはないと思い直した。
 にんまりと笑みを浮かべた千尋が、実にロクでもないことを言ったのだ。
「もしかして、俺のオヤジに興味津々? 俺がイイ男だから、オヤジもイイ男だろうと思ったんでしょ、先生。残念、俺のほうが何倍もイイ男だよ。だいたいオヤジなんて、勃つのかどうかすら怪しいおっさんだぜ?」
 千尋が緩やかに腰を揺らし、内奥を刺激してくる。危うく嬌声を上げそうになった和彦だが、なんとか息を喘がせただけで堪える。
「バ、カっ……。誰が、そっちの話をしている。ただ、お前みたいなやんちゃ坊主を男手一つで育てるのは大変だったろうと思っただけだ」
「オヤジはなんもしてねーよ。俺を育てるのなんて、人任せ。そのくせ、何かあるとオヤジの強権を発動するんだ。それが嫌で、俺は家を出た」
 基本的に和彦と千尋の関係は、会えばベッドに直行して、享楽的な時間を貪ることで大部分が成り立っている。個人的な事情はさほど重要視していない。恋人と呼べるほどべったりとした関係ではないのだ。
 和彦は千尋の頭を撫でてから、唇にキスしてやる。
「能天気そうに見えて、意外に苦労してるな」
「俺にメロメロになった?」
「……どうだろうな」
 和彦の答えにニヤリと笑った千尋は、本格的に行為に没頭する気になったようだ。和彦の両足を左右に押し開いて、腰の動きを大きくする。
「はあっ」
 気まぐれに胸の突起に噛みつかれ、和彦はビクリと体を震わせてから、千尋の背に両腕を回した。
「きれいな体をしてるんだから、あまり無茶はするなよ」
 息を弾ませての和彦の忠告に、顔を上げた千尋が表情を綻ばせる。
「俺の心配してくれるのなんて、先生ぐらいだよ」
 思わず和彦も唇に笑みを浮かべ、千尋の頬を撫でてやる。
 若くてしなやかで野生的、粗暴でない程度に強引でありながら、甘える様は可愛くもある。囁いてくる言葉は恥知らずなほど直情的だが、耳に心地いい。何より、セックスが上手いのがいい。
「ねえ、また中に出していい?」
 千尋の熱っぽい囁きに、和彦は掠れた声で応じる。
「今度は、後ろからがいい」
 簡単に煽られた千尋のものが、内奥でまた硬くなる。
 和彦は、セックスフレンド以上恋人未満の十歳年下の千尋を、かなり気に入っていた。千尋が調子に乗るので、絶対本人には言わないが――。




 午前中の最後の患者を診察し終えた和彦は、午後に入っている手術の予約を確認する。基本的に和彦は、午後からは大半の時間を手術室で過ごし、手術を行っている。派手な宣伝を打っている大手のクリニックだけあって訪れる患者は多く、若手の医者といえど、否応なく経験を積まされるのだ。
 医者が若かろうがベテランであろうが、実績のあるクリニックに勤め、誠実なカウンセリングを行っていれば、それが患者からの信頼へと繋がる。あとは、患者のニーズを手術で応えられるかが、すべてだ。幸いにも、和彦は手術で結果を出し続けていた。
 もともとは外科志望だったのだが、現場の大変さを知るにつれ、なんとなく美容外科へと流れ着き、今に至っているのだが、職場の環境にも待遇にも不満はなかった。三十歳の医者としては、十分恵まれた位置にいる。
 仕事が上手くいけば、必然的に私生活も充実する。和彦が今のところ気にかけていることといえば、午後から手がける目頭切開の女性患者のことだ。何度もカウンセリングを重ねたが、ここにきて友人からのアドバイスでナーバスになっている。
「……今になって手術を取り止めると言い出しそうだなー」
 不安そうなら延期したほうがいいだろうと思いながら、和彦は診察室を出る。
 別フロアにある医局に戻った和彦が自分のデスクにつこうとすると、隣のデスクの澤村さわむらが、パソコンに向き合ったまま声をかけてきた。
「佐伯、これから昼飯食いに行こうぜ」
「ああ。いつものところでいいだろ」
「遠出するのも面倒だしな」
 イスに腰掛けた和彦は、ずっとつけたままだったマスクを外す。ふいにこちらを見た澤村が、真剣な顔で言った。
「お前、クリニックの中をうろうろするときは、マスクは外せよ」
「……いきなり意味がわからんことを言うな」
「せっかく持って生まれた顔を活用しろってことだ。今度うちのクリニックのホームページをリニューアルする予定があるらしいが、そのとき男前の先生たちの顔写真を使うって話がある。俺はもちろん、お前の顔写真も使われるぞ」
 自分の周りには、自意識過剰な男が多いのだろうかと思った和彦だが、もちろん声には出さない。案外、澤村が言っていることは外れてはいないのだ。
 和彦の一年先輩である澤村とは、このクリニックでは一番親しいつき合いをしている。甘い笑みがよく似合うすっきりと整った顔立ちをしており、それに白衣を羽織って颯爽と歩く姿は、かなり人目を惹く。口も上手く、女性関係も派手だが、どこか憎めないところがあり、女性の患者受けは抜群だ。
 そんな澤村に認められる和彦の容貌は――客観的に言うなら、どこか冷たく見える顔立ちをしている。造り物めいているというのだろう。世間の評価としては上等なハンサムという部類に入るらしいが、和彦はよくわからない。ただ、自分の顔立ちは嫌いではない。

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