39 / 53
第二章
除雪車
しおりを挟む
皇国歴一九六一年 厳冬
「榊さん、例のレベト軍人と本当に出撃したみたいだな」
ウルフの出現報告は以前のほとんど十分の一というほどにまで落ち込み、北楽では周期に合わせて徹底的な天使討伐を開始した。報奨金はニ割増し、経費は三割減という大盤振る舞いで、どの軍服も目の色を変えている。
雪上に設置された小さな携帯用焚き火の周りには、俺たち特派の狸以外にも雀小隊いる。
「そうらしいな。黒子さんが教えてくれたよ。周到なこって、小さなメモをスリみたいにしてポケットに入れてきた」
「榊曹長、ハネさんに言われてから気づいてましたよね。洗濯ものに紙を混ぜるなって」
「うるさいぞ軍曹」
コーヒーの質は悪い。酸味と苦味を水に溶かせばこうなるという味で、しかしこれでも随分とマシなのだ。飲まず食わずを経験すれば、パンが虫でも水が泥でもかまわない。
「田島さん、うちらはもう行くよ。ごちそうさん」
雀の小隊長の田島秀人中尉は狸を可愛がってくれる人で、
「何かあったら呼べよ。すぐに飛んでいってチュンチュン鳴いてやっからよ」
と豪快に笑った。
「ありがと。そんじゃ」
花火を背負い、巡を先導にして行軍が始まった。太陽は真上にある。雪を踏み天使を退治し、この日は六度の戦闘を行った。日付が変わるころに雑木林で宿を取った。テントは二人用で、交代しながら一人が見張りをするのだが、
「私がやる」
真実は率先して見張りをしたがる。曰く日中の興奮を冷ますためらしい。
「じゃあ俺らは先に寝るから」
携帯食料は支給されたものでチョコバーからチョコを抜いたような、不味くはないが不満はあるというもので、それをかじって横になる。
「朝日、少し早めに交代してやれ」
テントの中で、巡が声を潜める。あの人、様子が変だ、そういって焚き火にあたる小さな背中に顎をしゃくった。
「そうします」
そんな感じはなかったけど、彼女が言うからにはそうなのだろう。
四時間ほど眠って外に出ると、寒いというよりは冷たいだけの銀世界である。真実は俺を一瞥し、あとはよろしくと腰を上げた。
「隊長、あなたの顔色が優れないと巡さんが」
「ん?」
彼女は薪をくべ、伸びをする。
「姉貴が張り切ってるからかな。焦ってるわけじゃないが、そうか、顔に出てたかな」
「どっか痛いわけじゃないんだな」
「違うよ。心配すんな」
「心配はしてない。お前に何かあったら困るから言ってんだよ」
真実は鼻をならして、哄笑した。彼女のそれは癖である。誰にもしない、親しいものにしいかしない癖なのだ。
「自分のことだけ考えとけ。怪我が代名詞なんだから」
「佐野さんが言ってたぜ。お前は狸の標だって。道を間違えないためのもんだ。それが壊れちゃ、困る」
「ふーん。お前はなんだよ」
「敵をぶっ壊す装甲車だとさ。なにをぶっ壊すかは」
「そう、フェンリルだ。そこにくっつく何かだ。わかってんじゃねえか、私もわかってる。やるぜ、誠。顔色なんか、関係ねえ。ついてこい、逃しはしねえぞ」
背中を向けながら天幕をくぐった。こんなお喋りをしたかったのか、それは違う。伝えるべきは、ひとつだ。
「逃げるもんか。それに、命優先、それが言いたかったんだ」
彼女はこたえない。しかしわかっているはずだ。自分の危機に、誰が、どう動くのかを。
ひとりになって火を眺めていると、周囲の気配に敏感になりながらも、頭の中で自分を見つめなおすことにした。真実のやる気に感化されたのか、そうしなければならない気がした。
「しかし、頼りねえ灯りだなあ」
焚き火はパチパチと爆ぜながら、くすぶっているようにも見える。俺は彼女たちの装甲車として機能しているのだろうか。
巡は、しっかりと機能している。あいつは狸に足りない部分を、礼儀とか、かっかしないところとか、常識とか、そういうのを補ってくれている。もちろん天使退治の実力もある。彼女を引き入れたことは、俺の大手柄といっても過言じゃない。
近くで音がした。細い枝から積もった雪が落ちてきた音だ。
「んー、装甲車より除雪車がいいな」
雪かきは狸の、真実の天敵だ。それに除雪車だったら戦うこと以外でも役に立つし、うん、やはり俺はそうありたい。
真実にこれを伝えたくなった。しかし、見張りを終えて寝入っているところを起こすのも悪いし、明日の行軍で気が滅入ったときにでも話題にしてみよう。
日が昇ると、まず巡が起きてきた。
「ご苦労。身支度をして、隊長を起こしてくれ」
「はい」
装備の確認をしていると、真実がテントから這い出てきた。今回の行軍では彼女はずっと規則的な起床をしている。いつもなら声かけから数分はもぞもぞと寝返りをうつが、このへんも榊さんの影響なのか、気合いが違う。
「おっす」
「おはよ。快晴だ」
「そうみたいだな。無線も鳴らなかったし、やっぱ天使が減ってるのかね」
「いいことじゃん」
「嵐の前の静けさってやつかもな」
三人で所持品の点検を終え、出発した。嵐の発生するであろう地点を周回していても、小規模な戦闘が続くだけだった。周囲数キロ範囲にはいつもなにかしらの部隊が点在していて、実に心強い。
「なあ隊長」
「私語」
巡が地図を眺めながら短く注意してきた。が、真実は気にせず返事をした。
「なんだ。便所か」
「いや、昨日な、装甲車って言ったろ」
「敬語」
「くっくっく、まあいいじゃねえか。言ったな、それがなんだ」
「考えたんだけど、俺は除雪車がいいな。雪かき、大変だろ?」
なんのことかわかっていない巡は、私語を叱るか仔細をきくのか迷った末、
「じっくりきいてやるから、今は静かにしていろ」
とどちらも折り込んで、地図のとおりに雪を踏む。
「ふふ、誠はいつも私に尽力するなあ」
「いやお前じゃないって。狸が大事なんだって」
「狸って、そりゃ私だよ」
「まあ、そうだけどさ。でも、ほら、実際大変だろ」
「うん。じゃあ今度から代わってくれよ」
「え? 馬鹿だな、そうじゃないよ。除雪車を誰が運転するんだよ。お前運転好きだろ」
そこまで、と巡が声を張った。今度こそマジで堪忍袋の緒が切れそうなので、了解と返事をして黙った。しばらくすると、真実は俺を少し振り返った。
「運転は好きだが、素直によ、雪かき手伝ってやると、そう言えばいいじゃねえか」
「いや、除雪車で突撃すれば天使も退治できるだろ。一石二鳥じゃないかと思ってな」
「真実さん、誠さん。黙って歩く。いいですね」
はいと真実まで大声だった。何の話か教えてやらねえと不機嫌なままだろうから、ちゃんと説明しなきゃ。大した話じゃないけど、別にいいか。
「榊さん、例のレベト軍人と本当に出撃したみたいだな」
ウルフの出現報告は以前のほとんど十分の一というほどにまで落ち込み、北楽では周期に合わせて徹底的な天使討伐を開始した。報奨金はニ割増し、経費は三割減という大盤振る舞いで、どの軍服も目の色を変えている。
雪上に設置された小さな携帯用焚き火の周りには、俺たち特派の狸以外にも雀小隊いる。
「そうらしいな。黒子さんが教えてくれたよ。周到なこって、小さなメモをスリみたいにしてポケットに入れてきた」
「榊曹長、ハネさんに言われてから気づいてましたよね。洗濯ものに紙を混ぜるなって」
「うるさいぞ軍曹」
コーヒーの質は悪い。酸味と苦味を水に溶かせばこうなるという味で、しかしこれでも随分とマシなのだ。飲まず食わずを経験すれば、パンが虫でも水が泥でもかまわない。
「田島さん、うちらはもう行くよ。ごちそうさん」
雀の小隊長の田島秀人中尉は狸を可愛がってくれる人で、
「何かあったら呼べよ。すぐに飛んでいってチュンチュン鳴いてやっからよ」
と豪快に笑った。
「ありがと。そんじゃ」
花火を背負い、巡を先導にして行軍が始まった。太陽は真上にある。雪を踏み天使を退治し、この日は六度の戦闘を行った。日付が変わるころに雑木林で宿を取った。テントは二人用で、交代しながら一人が見張りをするのだが、
「私がやる」
真実は率先して見張りをしたがる。曰く日中の興奮を冷ますためらしい。
「じゃあ俺らは先に寝るから」
携帯食料は支給されたものでチョコバーからチョコを抜いたような、不味くはないが不満はあるというもので、それをかじって横になる。
「朝日、少し早めに交代してやれ」
テントの中で、巡が声を潜める。あの人、様子が変だ、そういって焚き火にあたる小さな背中に顎をしゃくった。
「そうします」
そんな感じはなかったけど、彼女が言うからにはそうなのだろう。
四時間ほど眠って外に出ると、寒いというよりは冷たいだけの銀世界である。真実は俺を一瞥し、あとはよろしくと腰を上げた。
「隊長、あなたの顔色が優れないと巡さんが」
「ん?」
彼女は薪をくべ、伸びをする。
「姉貴が張り切ってるからかな。焦ってるわけじゃないが、そうか、顔に出てたかな」
「どっか痛いわけじゃないんだな」
「違うよ。心配すんな」
「心配はしてない。お前に何かあったら困るから言ってんだよ」
真実は鼻をならして、哄笑した。彼女のそれは癖である。誰にもしない、親しいものにしいかしない癖なのだ。
「自分のことだけ考えとけ。怪我が代名詞なんだから」
「佐野さんが言ってたぜ。お前は狸の標だって。道を間違えないためのもんだ。それが壊れちゃ、困る」
「ふーん。お前はなんだよ」
「敵をぶっ壊す装甲車だとさ。なにをぶっ壊すかは」
「そう、フェンリルだ。そこにくっつく何かだ。わかってんじゃねえか、私もわかってる。やるぜ、誠。顔色なんか、関係ねえ。ついてこい、逃しはしねえぞ」
背中を向けながら天幕をくぐった。こんなお喋りをしたかったのか、それは違う。伝えるべきは、ひとつだ。
「逃げるもんか。それに、命優先、それが言いたかったんだ」
彼女はこたえない。しかしわかっているはずだ。自分の危機に、誰が、どう動くのかを。
ひとりになって火を眺めていると、周囲の気配に敏感になりながらも、頭の中で自分を見つめなおすことにした。真実のやる気に感化されたのか、そうしなければならない気がした。
「しかし、頼りねえ灯りだなあ」
焚き火はパチパチと爆ぜながら、くすぶっているようにも見える。俺は彼女たちの装甲車として機能しているのだろうか。
巡は、しっかりと機能している。あいつは狸に足りない部分を、礼儀とか、かっかしないところとか、常識とか、そういうのを補ってくれている。もちろん天使退治の実力もある。彼女を引き入れたことは、俺の大手柄といっても過言じゃない。
近くで音がした。細い枝から積もった雪が落ちてきた音だ。
「んー、装甲車より除雪車がいいな」
雪かきは狸の、真実の天敵だ。それに除雪車だったら戦うこと以外でも役に立つし、うん、やはり俺はそうありたい。
真実にこれを伝えたくなった。しかし、見張りを終えて寝入っているところを起こすのも悪いし、明日の行軍で気が滅入ったときにでも話題にしてみよう。
日が昇ると、まず巡が起きてきた。
「ご苦労。身支度をして、隊長を起こしてくれ」
「はい」
装備の確認をしていると、真実がテントから這い出てきた。今回の行軍では彼女はずっと規則的な起床をしている。いつもなら声かけから数分はもぞもぞと寝返りをうつが、このへんも榊さんの影響なのか、気合いが違う。
「おっす」
「おはよ。快晴だ」
「そうみたいだな。無線も鳴らなかったし、やっぱ天使が減ってるのかね」
「いいことじゃん」
「嵐の前の静けさってやつかもな」
三人で所持品の点検を終え、出発した。嵐の発生するであろう地点を周回していても、小規模な戦闘が続くだけだった。周囲数キロ範囲にはいつもなにかしらの部隊が点在していて、実に心強い。
「なあ隊長」
「私語」
巡が地図を眺めながら短く注意してきた。が、真実は気にせず返事をした。
「なんだ。便所か」
「いや、昨日な、装甲車って言ったろ」
「敬語」
「くっくっく、まあいいじゃねえか。言ったな、それがなんだ」
「考えたんだけど、俺は除雪車がいいな。雪かき、大変だろ?」
なんのことかわかっていない巡は、私語を叱るか仔細をきくのか迷った末、
「じっくりきいてやるから、今は静かにしていろ」
とどちらも折り込んで、地図のとおりに雪を踏む。
「ふふ、誠はいつも私に尽力するなあ」
「いやお前じゃないって。狸が大事なんだって」
「狸って、そりゃ私だよ」
「まあ、そうだけどさ。でも、ほら、実際大変だろ」
「うん。じゃあ今度から代わってくれよ」
「え? 馬鹿だな、そうじゃないよ。除雪車を誰が運転するんだよ。お前運転好きだろ」
そこまで、と巡が声を張った。今度こそマジで堪忍袋の緒が切れそうなので、了解と返事をして黙った。しばらくすると、真実は俺を少し振り返った。
「運転は好きだが、素直によ、雪かき手伝ってやると、そう言えばいいじゃねえか」
「いや、除雪車で突撃すれば天使も退治できるだろ。一石二鳥じゃないかと思ってな」
「真実さん、誠さん。黙って歩く。いいですね」
はいと真実まで大声だった。何の話か教えてやらねえと不機嫌なままだろうから、ちゃんと説明しなきゃ。大した話じゃないけど、別にいいか。
0
あなたにおすすめの小説
どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~
さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」
あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。
弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。
弟とは凄く仲が良いの!
それはそれはものすごく‥‥‥
「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」
そんな関係のあたしたち。
でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥
「うそっ! お腹が出て来てる!?」
お姉ちゃんの秘密の悩みです。
百合ランジェリーカフェにようこそ!
楠富 つかさ
青春
主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?
ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!!
※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。
表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。
あるフィギュアスケーターの性事情
蔵屋
恋愛
この小説はフィクションです。
しかし、そのようなことが現実にあったかもしれません。
何故ならどんな人間も、悪魔や邪神や悪神に憑依された偽善者なのですから。
この物語は浅岡結衣(16才)とそのコーチ(25才)の恋の物語。
そのコーチの名前は高木文哉(25才)という。
この物語はフィクションです。
実在の人物、団体等とは、一切関係がありません。
合成師
盾乃あに
ファンタジー
里見瑠夏32歳は仕事をクビになって、やけ酒を飲んでいた。ビールが切れるとコンビニに買いに行く、帰り道でゴブリンを倒して覚醒に気付くとギルドで登録し、夢の探索者になる。自分の合成師というレアジョブは生産職だろうと初心者ダンジョンに向かう。
そのうち合成師の本領発揮し、うまいこと立ち回ったり、パーティーメンバーなどとともに成長していく物語だ。
転生したら名家の次男になりましたが、俺は汚点らしいです
NEXTブレイブ
ファンタジー
ただの人間、野上良は名家であるグリモワール家の次男に転生したが、その次男には名家の人間でありながら、汚点であるが、兄、姉、母からは愛されていたが、父親からは嫌われていた
嵌められたオッサン冒険者、Sランクモンスター(幼体)に懐かれたので、その力で復讐しようと思います
ゆさま
ファンタジー
ベテランオッサン冒険者が、美少女パーティーにオヤジ狩りの標的にされてしまった。生死の境をさまよっていたら、Sランクモンスターに懐かれて……。
懐いたモンスターが成長し、美女に擬態できるようになって迫ってきます。どうするオッサン!?
敵に貞操を奪われて癒しの力を失うはずだった聖女ですが、なぜか前より漲っています
藤谷 要
恋愛
サルサン国の聖女たちは、隣国に征服される際に自国の王の命で殺されそうになった。ところが、侵略軍将帥のマトルヘル侯爵に助けられた。それから聖女たちは侵略国に仕えるようになったが、一か月後に筆頭聖女だったルミネラは命の恩人の侯爵へ嫁ぐように国王から命じられる。
結婚披露宴では、陛下に側妃として嫁いだ旧サルサン国王女が出席していたが、彼女は侯爵に腕を絡めて「陛下の手がつかなかったら一年後に妻にしてほしい」と頼んでいた。しかも、侯爵はその手を振り払いもしない。
聖女は愛のない交わりで神の加護を失うとされているので、当然白い結婚だと思っていたが、初夜に侯爵のメイアスから体の関係を迫られる。彼は命の恩人だったので、ルミネラはそのまま彼を受け入れた。
侯爵がかつての恋人に似ていたとはいえ、侯爵と孤児だった彼は全く別人。愛のない交わりだったので、当然力を失うと思っていたが、なぜか以前よりも力が漲っていた。
※全11話 2万字程度の話です。
ユーザ登録のメリット
- 毎日¥0対象作品が毎日1話無料!
- お気に入り登録で最新話を見逃さない!
- しおり機能で小説の続きが読みやすい!
1~3分で完了!
無料でユーザ登録する
すでにユーザの方はログイン
閉じる