特派の狸

こま

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第二章

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皇国歴 一九六一年 厳冬

 北楽第一狙撃部隊の隊章はふくろうで、狂山にいる黒子湯ノ島たちもその音もなく飛び獲物を仕留める夜の暗殺者をジャケットの上から背負っている。狙撃の任務は単独よりもどこかの部隊と協力することが多く、部隊間の連携の重要性をよく知っていた。
「榊さん」
 しかし狸の来訪に、黒子はちょっと顔をしかめた。前回のような相談をされても、答えは変わっていない。変わっているのは部下の子狸と、妙な風呂敷を抱えていることだけである。
「初めまして、黒子少佐。特別派遣部隊の巡です」
 巡は少し堅苦しく挨拶をした。黒子は微笑みを浮かべ握手をした。
「大鳥さんはあまり礼儀を気にしないのに、あなたはあまり影響されないのですね」
「榊隊長もそうですので、一人くらいはこうでなくてはなりませんから」
「この通り、外交にも内交にも手を焼いています」
 パーテーションで区切られた一室で、真実は肩をすくめておどけた。しかし、黒子の視線が風呂敷に向けられると、
「どこか、我々だけで話がしたい。部屋をとってありますの、ご足労いただきいただけないでしょうか」
 瞳がギラついている。前回とは意気込みがまるで違うのがはっきりとわかった。
「梟としての力ではなく、あなたの力を借りたい。少佐、あなたの目は闇夜を照らす月光よりなお鋭い。その目で、なにが真実しんじつかを見極めてほしいのです」
 黒子はまだ半信半疑で、巡と大鳥の顔色を探った。お願いしますと頭を下げる巡に合わせ、長身の元上司もそうした。しかしすぐに顔をあげる。子の記憶にある大鳥そのままだった。
「湯ノ島、悪だくみは、嫌いだったっけ」
 言い切るその口はマスクに隠れてはいるものの、音の調子は軽い。
「真実の悪だくみは、結構、楽しいよ」
「失礼しました。あなたの元上司を貶めるつもりはありませんが」
 真実がどうにか言い繕おうとすると、黒子はおかしそう遮った。
「いいんですよ。知らない仲ではありません。部屋を変えるのならば、異存はありません。大鳥さんはちょっと目立ち過ぎますので」
「そんなに、でかくないよ?」
「あ、身長ではなくて、軍の鳥はみんな鷹を羨むのです。梟も例外ではないので」
 黒子の言うとおり、やはり軍服たちの仕事の手が止まっている。パーテーションから出てくるのを見て、慌てて作業に戻るのを見て、大鳥はくすくす笑った。
「黒子少佐、銃は、相手をよく見て撃つとよろしいと思います」
 と、自分に期待されている狙撃の極意を大きな声でうたった。
「えー、その、すいません少佐。どうか大目に見てください」
 巡がしおらしく謝ると、黒子はもちろん気にしてないと言った。梟たちはそれぞれが自分の机の前で同意するように小さく頷いた。
「あなたはいつもそればかりを言っていましたね」
 そうして会話は続いたが、廊下に出ると梟の詰所が慌ただしくなった。
「おい聞いたか。よく見るんだってよ」
「今から射撃場に行くぞ。狙うぜ、真ん中見るよ、俺は真ん中だけ見るよマジで」
「すげえな、あれが大鳥さんか。黒子さんだけずるいだろ、講演会やってもらおう」
「あの人すげえタッパしてんな。やっぱ鷹ってすげえや」
「何食ったらあんな身長になるんだよ。百八十は軽く超えてるぞ。いや九十いってるよ絶対」
「狸が狸に見えたな。大人と子どもどころじゃねえ、まじで狸と鷹だった」
 防寒のために厚くなっている壁をぶち抜いて聞こえてくるから、黒子は恐縮してしまい、真実に「すいません。きつく叱っておきます」と肩を落とした。
 真実は喉で笑い、
「我々のやっかみには、もしかすると嫉妬が半分あるのかもしれませんね。虎に翼ならぬ、狸に大鳥羽音だ」
「ねえ、そんなに大きくないよ、ね?」
 巡はわざとらしく見上げるようにして大鳥を見た。ほとんど真上まで顔を上げた。
「大きくても困ることはないじゃないですか」
「認めた? 大きいって、認めた?」
 この談笑で黒子は狸を見る目が変わった。大鳥の存在も大きいが、真実たちが自分の尊敬する元軍人に、同じような敬意の表し方をしていたからだ。
 会議室を開けるとすぐに冷気の塊が押し寄せ皆が肩を震わせる。暖房を付け、席につくなり真実は風呂敷を机に置いた。
「それは?」
「黒子さん、私には推測がある。フェンリルと我々の敵についてです」
 すぐさま予想を詳らかにした。語り終わるまで、黒子は口を挟めなかった。荒唐無稽であるし、確かな証拠がまるでない。
 北楽は天使を操るための実験場で、それを指示しているものがどこかにいる。それは軍の上層部で、他国に繋がりを持つ誰かの仕業であるなどとは、品のないゴシップ誌にも劣る絵空事だろう。
「フェンリルを討てば連中は慌てる。きっと何か行動を起こすはずです。佐野中佐は中央でそれを監視している。この北楽にも実験の観測者がいるはずで、そいつは必ず動く、だから」
「だから私に何をしろと」
「だれそれが不審だったとか、その程度の情報でいいんです。そうなったら教えていただきたい」
「榊さん、あなたたちの境遇をおもえば、そういう考えに至るというのもわかりますが、少し飛躍しすぎでしょう」
「中佐にも似たようなことをいわれましたよ」
「そうでしょうね。それに、軽々しくフェンリルを討つだなんて、腕一本なんて前約束で中佐を中央に向かわせたんですか?」
 真実はやや俯いた。垂れた前髪の隙間から横目で巡を見ている。
(うわあ、いつもの顔だ)
 巡はすぐ目をそらした。みれば見るほどに吸い込まれそうな、よこしまで、それでいてこの少女の特徴ともいえる不敵な笑みだった。誠ならば腕から血を流させるほどに興奮するだろうこの笑みに、巡は自分がここにいる意味を楔とし、かえって冷静を保つよう戒めた。
 真実は顔を上げた。大胆にも笑んだままである。
「これ、なんだと思いますか」
「さあ。気にはなりますけど、この話になにか関係するものですか」
 風呂敷包みの封をとくと、黒子の呼吸が長く止まった。絞り出すように呻き、音にならない声を上げた。
「ウルフの総領。何人もの軍人を狂わせ殺した忌々しい犬の神。その腕です」
 巡でさえもあの瞬間の激昂と恐怖に吐息が荒くなる。黒子はそれ以上の動揺であり、しかし大鳥にはその気配がなかった。
「狸は、神と戦い、そして結果はこうです。どうですか、つまらん内輪のいざこざさえなければ、次は首をお持ちします。そのために、あなたには獅子身中の虫をみつけてもらいたい」
 まだ黒子は放心状態である。真実の言葉にも反応は薄く、視線を交えるだけで精一杯のようである。
「黒子少佐、いや湯ノ島さん。はっきり言うぜ、フェンリルはきっと討つ。だから、私たちの敵を見つけてくれ。上の連中にいくら嫌われたってかまいやしねえが、それじゃあ天使討滅の邪魔になる。それだけじゃない、きな臭い計画に巻き込まれるのなんてごめんだ。それは狸をの領分だ、こっちから巻き込んでやるんだ、密かに、音もなく、気づいた時には手遅れってくらいに。だからあんたなんだ、梟で、元は鷹で、ハネさんの信頼あつい湯ノ島さんだから頼むんだ」
 どうにかお願いできないか。そう言って椅子から降りて床に頭を付けた。巡もそうした。打ち合わせにはないアドリブだったが、柔軟に対応した。
 黒子が口をひらくまで一分もなかったが、真実は永遠のような長さを感じた。凍てつく床にではなく、望む答えが返って来ない場合を想像すると、黒子には口を噤んだままでいて欲しいとさえおもった。
「まずは、頭を上げて椅子にかけてください」
 真実は心身の疲弊を色濃く残したまま、椅子の背もたれに体を預けた。
「これは、私の範疇ではありません。内部調査や、軍以外の然るべき組織に介入させるか、そうして解決すべき案件でしょう」
 正しい返答ではあるが、それを決めるのも上層部であり、正しく解決されるかは疑わしい。
「佐野中佐ならばつてもあるでしょうが、私には到底できそうにありません」
 無理を通してくれ、と真実が吠えるその刹那に大鳥が突然に起立した。
「黒子中尉以下全員起立せよ」
 しわがれた老婆のような声だが、若々しいエネルギーがそこにはあった。聞き馴染みのない大鳥の軍人口調に、狸は反応できなかった。
「は、ハネさん?」
 しかし黒子はすでに立礼までしている。彼女は「榊、立て」と厳しく急がせた。
「我々第一狙撃部隊は鷹を背負い、獲物を食らうこと他部隊の追随を許さず、遅れを取ったことは未だにない」
 声の音量もその響きも、普段の大鳥とはまったくの別物だった。時々こんなふうにしゃがれた声が管理人室から聞こえてくることはあったが、狸にとっては衝撃的な姿である。
 黒子はこれを全身に浴び、否応なく昔を思い出した。鷹として地上の獲物を貫く弾丸を彼女の号令の元で放っていた当時の興奮が蘇り、
気を抜けば落涙しそうだった。
「私と貴官は別れ、背負うものが変わった。私は自ら止り木に降り、お前は姿を変じ夜の覇者となった」
 しかし、と吠えるその姿は、軍を退いたとはいえ衰えぬ中佐の威容がそのままに在る。
「戦いは続いている。鷹の大鳥ではなく、いち個人大鳥羽音として戦いだ。すでに爪も嘴もないこの身を情けなくはおもわないが、歯がゆくはある。助けるべき友人を、このままでは見殺しにしてしまう」
 大鳥は椅子の横に立ち、綺麗に頭を下げた。長身の彼女が、黒子の胸のあたりまで腰をおった。
「偲ぶほどの恥もないが、道理を曲げて頼む。なんとか力になってくれないか」
 消え入りそうな声にもはや威容はなく、これが鷹かと疑るほどに弱々しい。大鳥羽音でも鷹でもなく、害獣へのいたわりで構成された随行員のその念願に、黒子は歯ぎしりをした。
 手を椅子に向け、かけるよう誘導した。視線を受け狸も着席した。
「あなたのソレ、久しぶりだ」
 目をこすると涙のあとはなく、唇だけで微笑んだ。
「昔から私は、ソレの勇ましさに励まされ続けてきた。どんな天使だろうが神だろうが撃ち抜ける気になった」
「湯ノ島さん」
「榊。かつての上官への恩はある。しかし」
 真実は諦めきれずまだ何かを言おうとしたが、何も言葉が浮かんでこない。巡もそうで、大鳥などは目に涙を浮かべている。
「私がこれを引き受けるとするならば、それは過去の恩によってではない。害獣たちと、その毛皮にくっつく猛禽の羽のためですよ」
 唖然とする特派の面々だが、最初に反応を示したのは真実である。
「あんた、役者が過ぎるぜ」
 その軽口を、巡が咳をすることで注意した。おまけに肘も見舞った。
「せめてあんたはやめた方がよろしいかと」
「だあね。うん、そうだとも。ねえねえ、そんじゃ話を詰めようか。楽しくなってきたね、湯ノ島さん」
 そういうことじゃないってば。巡は呆れっぱなしでいるが、黒子ははにかんでそれを許した。
「下の名前で呼ばれるのはあまり慣れていなくて、くすぐったいですね。大鳥さんかあなたくらいですよ」
「巡もそう呼ぶから安心だね」
「私も? いや、でも」
「構いませんよ。なんだか女友達って感じで嬉しいし、そういう意味では楽しくなってきましたよ、真実さん」
 みろ、狸がまた一匹増えたぜ。ひとりで待機する誠に胸の中でそう告げた。


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