特派の狸

こま

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第二章

ここでもやるぞ

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皇国歴一九六〇年 厳冬

「真っ白だぁね」
 皇国の北端、北楽ほくら藩。足元は密度の高い雪氷、そして視界を狭める数メートルにまで積み上げられた雪、俺たちは一面の銀世界に圧倒されていた。
「あそこに見えるのが基地でしょうか」
 雪の表面は冬の強い日差しを反射して眩しい。薄目をあけるとポツンと黒っぽい屋根がある。三角屋根は雪が積もるのを防ぐ工夫だろう。
「距離、目算!」
 真実は横に積まれた雪の上を歩いた。 
 こんなに積もった雪は始めてだそうで、はしゃいでいた。雪の屋根は薄氷といってよく、踏み抜いてしまうと簡単に体が埋まる。その度に「うわあ、落ちたあ」とまぬけに叫び、自然の落とし穴へと落ちているのだが、どうもその不思議な浮遊感と自らの無様さが楽しいらしい。わざわざ俺たちを呼びつけてまでするほどのこととは思えないが。
「降りろって。危ない」
 数メートルもの高さでも、彼女は堂々と歩いている。そこに助けにいく方の身にもなれ。
「約十キロメートルですね」
 巡りは双眼鏡をしまい、一時は真実と一緒にうっとりと雪景色を眺めていたが、早々に降りてきた。俺も同様である。不安定な足場はやはり怖い。
「ここはもう軍の敷地だぜ。危ないことはないさ」
「いや、埋まったらどうする。危ないだろう」
「助けてくれよ」
 ほとんど直角な斜面を滑り降り、真実は列に加わった。
 歩道の雪は両側に積んである。歩道となる空間はちょうど一メートルほどで、脇に数メートルの高さまでそびえる雪山、いや、雪山脈は人をどうにも惹き付ける。登ってみたいという心理が働くのもわからなくもない。
「ハネさん、また転ぶと危ないですから、ほら手を繋いで」
 巡が随行員である大鳥羽音さん、ハネさんのお目付け役となり、一直線に延びた雪の狭間を進んでいく。どこまでもこれが続いているのを見て、初めて皇都に出てきた夏の日を思い出した。射撃訓練の壁が懐かしい。
「なに呆けてんだ」
 見透かすような真実から顔をそらした。軍にまつわるどの懐かしさにも彼女がいた。
「別に。それよりトラックはどうすんだよ。あれしか足がないのに」
「ここは通れないよ。強行しても壁が崩れる。あとで取りに来させるよ」
「誰に」
「暇な軍服どもにさ」
 ただの曹長のくせに偉そうだった。
 日没、気温は氷点下を軽く下回り、どこかでふくろうが鳴いた。雪の壁の遥か先に灯る暖かな光を目指し、俺たちは未だに歩いている。足下の雪は行軍速度を、外気は体温を奪う。予定していた到着時間よりもずっと遅れていた。
「寒い」
 そう呟くハネさんは名残惜しそうに翠湖寮を離れた。皇都を出るまでは少し元気がないようだったが雪に、雪山に、見たことのない風景に感動を覚えていた。「きれー」と棒読みではあったが、やはり真実と一緒になってはしゃいでいた。
 しかしここは美しさと厳しさの北楽であり、その厳しさを堪え忍び今まで歩いてきたのだ。
 だがそれも彼女の、巡の一言で崩壊する。
「……聞いてないですよ。こんなの」
 飛雪舞い、等間隔の外灯は油絵のようにぼんやりと、頭だけが見えている。手足はかじかむ。耐えてきただけに反動は大きかった。
「巡ぃ、そのくらい想定しておけよ、この馬鹿」
 ついつい余計なことも言ってしまう。寒さとはそういうものなのだ。
「馬鹿ってなんですか。防寒具の支給が届く前に出発したの、真実さんでしょ」
 溜め込んだ鬱憤がつい口からでた。これも慣れない場所では有り得ることだ。
「待ってたらそれだけ遅くなるだろうが」
「これ自前なんですよ? 皇都の冬用のジャケットですよ? ペラペラですよ」
「うっさい。私だって同じ装備だ。文句はやめろ」
 だいたいなぁ。真実は声を荒らげた。
「なーにが十キロだ。もっと遠いじゃねえか。それに遅いよ、お前の足に合わせてたら明日になっちまうぞ」
「目算はあってますよ。あそこの光は大きくなってるじゃないですか。それに遅いのはハネさんの手を引いてるからです」
御座みくら……言い過ぎ。真実だって、遊んでた」
 ハネさんがちょっとショックを受けてるぞ。わざわざ随行なんてかたちで連れてきたんだからもっと優しくしろ。
「ああ、クソ! 黙って行軍! 命令だ!」
 雰囲気は最悪だった。真実の指示で最後尾につくと、ハネさんはよたよたと引かれるままに歩いている。分厚いコートには鳥の紀章があった。俺たちのにはしっかりと狸が描かれているので、もしかしたら誰かに貰ったのかもしれない。それとも退役したのか。そういえば中佐とか言ってったっけ。
「本当に軍人なのかな」
 疲労でとぎれとぎれの思考をまとめようとすると、真実が大声で叫んだ。どんな場所でもよく通る声だ。
「あと一キロ! どうだ、正確だろうが巡ぃ」
「残念でした! 二百メートル足りませーん」
「ふざけんな、お前の足が遅いから長く見えてんだよ!」
「私の、せい?」
「放っておきましょう。イライラしてるだけですよ」
 喚き罵りあい、しかし北楽支部の玄関先、半径五十メートル程度に除雪されたスペースに到達すると手を取り合って喜んだ。
 我先にと玄関まで疲れも忘れて走り、飛び込んだ。俺たちはロビーに座り込み暖房の息吹を受ける。深夜の行軍は終わった。
「さすがの私も疲れたぜ」
「ハネさん、大丈夫ですか?」
「うん、平気」
 真実はガタガタとまだ歯を鳴らして、若い軍服の一人を掴まえた。こんな時間まで何をしているのだろう、北楽は相当に大変なところらしい。
「本部からきた特派だ。植草中尉はいるか」
「少々お待ちください。確認して参ります」
 彼は息を切らせて戻ってくると、
「もうお休みになられています。明日にまたお伺いしていただけると」
「ああそうかい。わかった。ご苦労」
 真実は彼を適当に労って下がらせた。ロビーに人影はなく、奥の方に電灯の光がある。あそこで一般人の対応なんかをするのだろう、ここには整列した椅子と立って書き物をするための背の高い机しかない。
 ここの電灯が点いているのも、俺たちの到着を待っていたのかもしれない。無人のロビーだったし、鍵が開いていたのもそのためで、さっきの彼が見張りとして残り、その必要もなくなったから去ったのか。
「疲れたから上官の相手なんかしたくねえや」
 と、真実はおそらく誰かがいても言ったであろう台詞を吐いた。
「休もう。なんか毛布とかないか」
「ある。でも薄っぺらいのが三枚しかない」
  野宿の予定なんかしてないんだから、これはただの保険だ。それをこんなにも早く頼るとも想定していなかったが。
「四人いてなんで三枚なんですか」
「俺の自前だ」
「死活問題だな。まあいいや、一枚は自分で使え。ハネさんにも一枚。あとは私」
「隊長、再考を。私だって寒いんですよ」
「誠のなんだから、一枚やってもいいだろ。ハネさんはでかいから冷気にあたる面積が広い」
「真実……? でかく、ないよ。ちょっと、背が高いだけ」
 軽く傷ついていたハネさんを気にする余裕はないようで、どちらが毛布を使うか論争は続く。
「私の方が真実さんより背が高いですよ」
「ぬかせ、たった数センチの差だ」
「私は百五十六。たいちょー殿は百四十九。明らかです」 
 背すじを伸ばすと彼女が告げた身長よりもいくらか高いように思う。
「七捨八入しろ。一緒だ」
「四捨五入でしょ。なんですかそれは、聞いたことのない算法はやめてください」
 このままだと寝る時間がなくなってしまう。ハネさんなんかもう椅子の上で寝てるぞ。
「逆らうか」
「本懐です」
「やめろって。一緒に使えばいいだろ。で、騒ぐなうるさいから」
 もう寝る。靴跡のついた汚い床に頭をつけた。雪よりは何倍もましだった。

 寒い。赤間でも冬になれば雪は降るが、北楽のそれは別格だった。雪をすくうスコップの音で目を覚ますと、窓の外では日も明けきらぬうちから作業をする軍服連中がみえた。わずかな陽光は雪にはね返り、それなりに明るいのは雪国特有だろう。
 まだ時間も早い。真実と巡は結局二人で一つの毛布を使ったようで、小さな体をなお丸めて、どちらかのジャケットをひいた上に寝ていた。
「猫みたいだ」
 ハネさんがいなかった。彼女の毛布はなぜか俺にかけてあった。
「あいつらにかけてあげればいいのに」
 トイレを探し用を済ませ、玄関から外に出た。除雪の手伝いをするためだ。
「おはようございます」
 見知らぬ俺に、ロビーで寝ていた不審な軍服が何をしに来たという顔を向けた。
「本部から来ました特派の朝日と申します。除雪の手伝いをさせてください」
「本部から? 経験がないと大変だぞ」
「出身は赤間藩です。なので多少はお力になれると思います」
 赤間ときいて彼は少しだけ表情を引き締めたが、特になにも言わなかった。
「そうか、じゃあ適当にこの辺を」
 指差す範囲は玄関から百メートルほど。昨日まで道があった場所に一晩ですねの辺りまで積もっていて、ここからさらに駐車のためのスペースを設けるらしい。
 二十数名でやって、これか。すくった雪は水気が多く重い。三輪車での運搬も容易ではない。たっぷり一時間、腕が上がらなくなるまでやって、ようやく号令がかかった。
「朝飯に遅れるな。ご苦労、解散」
 その頃にはロビーにも活気があった。すっかり温まった体で眺めると軍服の往来は多く、しかし目立つ小柄な二人。なぜ目立つと思ったのか、それは彼女たちが騒がしいからだけではない気がする。
「よう! 早いな、何してたんだ」
 椅子にあぐらをかいた真実が手をふった。
「除雪の手伝いだ。ハネさんは?」
「起きたときにはいませんでしたけど、どこに行ったんでしょう」
「もう植草中尉はいらっしゃるとよ。ハネさんはあとで探せばいい」
 北楽支部は大きい。比例して部屋数も多い。
 植草は治安維持部隊の隊長で、翠湖寮の半分はある大部屋が彼らの巣穴だ。部隊のマークは鴨だ。
「挨拶が遅れて申し訳ありません。特別派遣部隊、着任いたしました」
「植草だ。ようこそ北楽へ」
 肥満ぎみの体は軍人らしくなく、しかし彼の軍服からのぞく皮膚には無数の細かい傷がある。片方の眼は白く濁っていた。
「狙撃にいてね。昔の話だけど皇都にいたこともあるんだよ。これは火花と煙でやられて」
 勲章みたいなものさと大きな体を揺すった。
「実はね、北楽は天使の出現率が高いんだ。今この瞬間に裂け目が現れても驚かないくらいにね」
「私たちは実戦を二度しか経験していませんが、戦力になりますでしょうか。人数もここにいるのが全てです」
 真実の言葉にも植草は動じない。
「ならなくては困る。狸はやると噂で聞いている。設立半年の部隊が二度の戦闘で得た戦果にしては討伐数だって多いし、期待しているよ」
 それに。彼は続ける。
「手荒にしてもかまわないって言われてるからね、頑張ってくれ」
 笑い事ではないが、彼の人柄は悪くない。それだけでほっと胸を撫で下ろした。上との面倒はないほうがいい。それは彼女の、我が隊長の、愛すべき狸の機嫌を損ねるから。
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